1981年、「欽ドン!良い子悪い子普通の子」に「フツオ」役として出演し、ユニット「イモ欽トリオ」として、1stシングル「ハイスクールララバイ」でレコードデビューすると、たちまち160万枚を売り上げる大ヒットとなり、一躍、人気アイドルの座に駆け上った、長江健次(ながえ けんじ)さん。
そんな長江健次さんは、小学生の頃からクラスの人気者だったそうで、早くから芸能界に憧れ、中学生の時には、地元・大阪の素人参加番組に数多く出演していたといいます。
今回は、長江健次さんの生い立ち(幼少期から高校生の時に萩本欽一さんの番組のオーディションを受けるまで)をご紹介します。

長江健次のプロフィール
長江健次さんは、1964年7月17日生まれ、
大阪府豊中市出身、
身長170センチ、
血液型はО型、
学歴は、
豊中市立第七中学校
⇒大阪府立渋谷高等学校
⇒大阪芸術大学中退
趣味は、
スノーボード(トリノオリンピック全日本コーチ)、 ウェイクボード、スキー、
ちなみに、「長江健次」は本名です。
長江健次は幼い頃からクラスの人気者で芸能界に憧れていた
長江健次さんは、2人きょうだい(5歳年上の姉1人)の長男として誕生すると、幼い頃から人を楽しませることが好きだったそうで、小学生の時からクラスの人気者だったそうです。
また、少年時代には、お姉さんの影響で「ビートルズ」に親しんでいたそうですが、山下達郎さんや角松敏生さんのようなミュージシャンにも憧れていたそうで、
ずっと、芸能界に入りたい、歌手になりたいと思っていたそうです。
長江健次は中学生の頃から素人参加番組に多数出演していた
そんな長江健次さんは、中学生の頃から、地元・大阪で素人参加番組に数多く出演し、モノマネなどを披露していたそうですが、
あるテレビ番組のオーディションの審査員に明石家さんまさんがおり、長江健次さんが、中学卒業後は桂三枝(現・桂文枝)さんの弟子になりたい旨を相談すると、
(吉本に入りたかったという話も)
さんまさんに、
やめとけ、まだ中学生やのに。高校だけは行っといたらどうや?
と、諭されそうで、
長江健次さんは、
それがなかったら、勉強もそんなにしたくなかったし、高校には行ってなかったでしょうね。
と、語っています。
長江健次は中学3年生の時、スタッフに頼まれて急遽「ザ・びっくりショー」に出演し漫談やモノマネを披露していた
こうして、長江健次さんは、とりあえずは、高校へ進学することにしたそうですが、
中学3年生の時には、「ザ・びっくりショー」を観に行った際、審査員の一人が遅刻して来ていなかったそうで、
そんな中、客席にいた(素人ながら有名だった)長江健次さんを見つけたスタッフに頼まれ、急遽ステージに上がって、漫談やモノマネをして、一時間ほどその場をつなぐと、
それがスタッフらに気に入られて、同番組に起用されたそうで、高校1年生の3月までレギュラー出演したといいます。
長江健次は高校生の時、萩本欽一の新番組の大阪でのオーディションに合格していた
そんな長江健次さんは、高校進学後は、アルバイトをしながら芸能界を目指そうと思っていたそうですが、
そんな中、素人参加番組のアシスタントの人が、漫才コンビ「海原千里・万里」のマネージャーを紹介してくれ、そのマネージャーから、「欽ちゃんのドンといってみよう!」がリニューアルするにあたり、15~16歳の男の子を探しているからと、オーディションを受けることを勧められたそうで、
長江健次さんは、大阪で開催されるそのオーディションに参加しようと会場へ向かったそうですが、1時間ほど遅刻してしまったそうで、テレビ局の人は既に東京に帰る準備をしていたそうです。
ただ、それでも、オーディションを受けさせてくれたことから、長江健次さんが、桜田淳子さんと元内閣総理大臣の田中角栄氏のモノマネをすると、見事合格し、東京に来るように言われたのだそうです。
ちなみに、長江健次さんは、
松竹さんとか吉本さんのタレントもいっぱい来て、何百人もオーディションを受けたらしいんですけど全部落ちて、受かったのは僕だけだったんですよ。
あとで聞いたら、何ができるかと聞かれて、すぐにモノマネをやったからだと言われました。似てるとか似てないじゃなくてね(笑)
と、語っています。
長江健次は高校生の時、萩本欽一の新番組の東京でのオーディションに不合格となっていた
そこで、長江健次さんは、もうテレビに出られるものだと思い込み、
学校中の生徒に、
欽ちゃんの番組に出るらしい。もうスターになるから
と言い回り、学校を休んで東京までオーディションを受けに行ったそうですが・・・
オーディション会場には、20人ほどの参加者がおり、長江健次さんは、真っ先に不合格を言い渡されてしまったのだそうです。
長江健次は高校生の時、萩本欽一の新番組の東京でのオーディションで不合格から一転して合格となっていた
そんな中、長江健次さんは、学校中の生徒にスターになると宣言していたことから、そのまま帰るのが格好悪く、どうしようかと思ったそうですが、
大阪に帰る新幹線ももう無くなっていたことから、始発まで時間をやり過ごそうと、スタジオに残り、「夜のヒットスタジオ」に出演していた歌手の人たちにサインをもらったり、有名人に会えないかとテレビ局の中をウロウロしていると、
それがスタッフの目に留まり、萩本欽一さんに伝わったそうで、
萩本欽一さんから、
とりあえず舞台を歩いてみて
と、言われ、
長江健次さんが、言われた通り歩いてみると、
萩本欽一さんに、
君でいいよ
と、言われたそうで、
なんと、不合格から、一転、合格となったのだそうです。
「【画像】長江健次の若い頃はイモ欽トリオのフツオ!現在までの経歴は?」に続く
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