バラエティ番組「欽ドン!良い子悪い子普通の子」の「フツオ」役で人気絶頂の中、大学受験を理由に番組を降板し、地元・大阪に戻るも、
大阪で芸能活動を再開すると、芸能活動再開に際し、萩本欽一さんら東京の番組関係者に事前に報告をしていなかったことから、東京の芸能関係者から”不義理”と激しく非難されたという、長江健次(ながえ けんじ)さん。
今回は、長江健次さんと萩本欽一さんの出会い、オーディションで不合格から合格になった理由、番組降板、長きに渡る萩本欽一さんとの絶縁状態、現在の長江健次さんと萩本欽一さんの関係などを、エピソードを交えながらご紹介します。

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長江健次が「欽ドン!良い子悪い子普通の子」のオーディションで「不合格」から一転「合格」になった理由とは?
中学時代からしばしば素人参加番組に出演する中、高校時代、某番組のアシスタントから紹介された「海原千里・万里」のマネージャーに、萩本欽一さんの番組「欽ドン!良い子悪い子普通の子」で15~16歳の男の子を探しているからと勧められ、大阪で行われたオーディションを受けると、見事、合格するも、
その後、東京で行われたオーディションを受けると、真っ先に不合格を言い渡され、大阪へ帰る新幹線の始発を待つため、フジテレビのスタジオに残って館内をぶらぶらして過ごしていると、
突然、萩本欽一さんに舞台を歩くように言われ、言われた通り歩くと、一転、合格したという長江健次さんですが、
実は、当時、コーナーの配役について、中原理恵さん、山口良一さん、西山浩司さんの3名に決定するも、中原理恵さんが別コーナーで1人3役を演じることが決まったことから、
萩本欽一さんが、「2つのコーナーを兼任するのは負担が大きすぎる」と考え、急遽メンバーの変更を模索していたそうで、
あと1人をどうするか悩んでいたタイミングで、スタッフから、
何か大阪の子がウロウロしているよ、最初に落とした子が
と、報告を受けた萩本欽一さんが、長江健次さんを呼び出し、舞台上をただ歩いてみるよう指示すると、
オーディション(ワルオ役)の時とは打って変わり、ごくごく普通な佇(たたず)まいで歩く長江健次さんの風体を見て、直感で「フツオ」役にぴったりだと思ったそうで、
一度は落選させたものの、一転して、長江健次さんをに合格したのだそうです。
長江健次は「欽ドン!良い子悪い子普通の子」第1回目の放送で自分がウケるためアドリブで萩本欽一の頭を叩いていた
こうして、1981年4月6日、「欽ドン!良い子悪い子普通の子」の放送が開始すると、長江健次さんは「フツオ役」でデビューしたのですが、
(長江健次さんは、大阪の高校に通いながら東京で収録する生活を送るようになったそうです)
もともと、やりたいことをやるタイプだった長江健次さんは、1回目の放送の時、
関西人だから本番でかましてやろう
と、なんと、萩本欽一さんのハゲヅラをとって頭を叩いたそうで、
お客さんにはドーンとウケたそうですが・・・
収録が終わった後には、萩本欽一さんにものすごく怒られたといいます。
ただ、萩本欽一さんは、長江健次さんの無礼に対して怒ったのではなく、
笑いを取るのはヨシオとワルオの仕事なのに一番盛り上がっちゃダメ
それに最初からエスカレートさせると、ハードルが上がって笑いを取るのが難しくなる
そもそも、フツオ(普通の子)は親の頭を叩かない
と、リアリティと笑いに関する指摘をしながら、諭(さと)されたのだそうです。
とはいえ、長江健次さんは、ウケたいと思っていたことから、正直なところものすごく不満だったそうですが、ここでは、自分の役どころや役回りが大切なんだと理解し、以降、全て萩本欽一さんの言う通りにやるようになったのだそうです。
(萩本欽一さんが言っていることを本当に理解できたのは、後に自身がお芝居を始めるようになってからで、出演者全員がウケようとするとお芝居が台無しになることが分かったそうです)
長江健次は人気絶頂の中「イモ欽トリオ」を脱退し「欽ドン!良い子悪い子普通の子」も降板していた
その後、長江健次さんは、「欽ドン!良い子悪い子普通の子」内のユニットとして、山口良一さん(ヨシオ役)、西山浩司さん(ワルオ役)と3人で「イモ欽トリオ」を結成し、ファーストシングル「ハイスクールララバイ」をリリースすると、160万枚を売り上げる大ヒットとなり、たちまちブレイクを果たしているのですが・・・
わずか1年半後の1982年9月27日放送分をもって、「イモ欽トリオ」を脱退し、番組も降板しています。
長江健次は大学受験を理由に「欽ドン!良い子悪い子普通の子」を降板していたが・・・
ちなみに、長江健次さんは、萩本欽一さんには、降板の理由について、
大学受験があるので
と、言ったそうで、
萩本欽一さんは、
そういった理由があるなら仕方がない。そりゃ頑張れ
と、応援してくれたそうですが・・・
長江健次が「欽ドン!良い子悪い子普通の子」を降板した本当の理由とは?
実は、長江健次さんが「欽ドン!良い子悪い子普通の子」を降板した本当の理由は、大学受験ではなく、長江健次さん自身の心境の変化から来るものだったといいます。
というのも、長江健次さんは、「イモ欽トリオ」として「ハイスクールララバイ」などの大ヒットに恵まれるも、厳格な番組内の制限の中で活動を続けるうち、
歌も売れたけど、このままやっていていいのだろうか?
と、疑問を抱くようになり、
イモ欽トリオでは自分の良さを活かしきれない。一人でやった方がもっと面白いはずだ
と、自分のやりたいことがしたいと思い始めたのだそうです。
(長江健次さんいわく、ブレイクしたことで天狗になっていたとのこと)
そこで、一度、本格的に演技を学ぼうと決意したそうで、
大阪芸術大学に進学してしっかり演技を勉強し、早くても1〜2年はしっかり勉強してから復帰しよう
と、番組を降板して大阪へ戻る道を選んだのだそうです。
ただ、大阪に戻るにあたり、長江健次さん自身も知らされていない、事務所や局側の動きがあったそうで、
毎日放送からの要請で、降板の翌月(10月)からスタートする毎日放送のバラエティ番組「突然ガバチョ!」(笑福亭鶴瓶さんとの共演)への出演が決定していたのだそうです。
長江健次は萩本欽一に不義理し絶縁状態にあった
そして、長江健次さんが「突然ガバチョ!」に出演したことで、長江健次さんが大阪で芸能活動を再開したことが東京に知れると、
長江健次さんは、萩本欽一さんをはじめ、東京で芸能活動をしていた時の所属事務所や番組関係者に対して、一切、事前相談も報告もしていなかったことから、
東京の芸能界からは”不義理”と激しく非難されたそうで、
長江健次さんは、
まず、雑誌でたたかれたんですね、いっぱい。それが出たときに『やばいかな』って思いました。
まだ東京の仕事もあったので、東京の仕事場に行ったときの僕に対する皆さんの空気感がすごかったんですよ。あれだけ親しかったはずなのに、知らない顔をするという感じでしたから。
と、語っています。
また、明石家さんまさんからは、
大将(萩本欽一さん)が怒って皿を割ったらしいぞ
と、言われたほか、
(ただ、さんまさんは話を盛ることがあったことから、この話は半信半疑だったそうですが)
フジテレビには出入り禁止となり、以降、「欽ちゃんファミリー」が一堂に会する特別番組(「欽ちゃんまつり」等)からも除外されたのだそうです。
長江健次は「欽ドン!良い子悪い子普通の子」の最終回には呼ばれるも萩本欽一とは挨拶以外会話はなかった
そんな中、1985年、「欽ドン!良い子悪い子普通の子」の最終回スペシャルには呼ばれたそうで、長江健次さんは、数年ぶりに「フツオ」として出演したそうですが、
楽屋裏で萩本欽一さんと久しぶりの対面を果たした際には、「おはようございます」と挨拶をしただけで、ほかにはお互い何も言葉を交わさなかったそうで、
長江健次さんは、
怒っていたと思う。大将(萩本欽一さん)だけではなく、番組スタッフ全員。
と、語っています。
長江健次は数十年後に萩本欽一の大きく温かい心を感じ涙が止まらなかった
その後、数十年という年月が流れる中、長江健次さんは、自身の勘違いと傲慢さ(ブレイクしたことで天狗になっていたこと)を反省し、
2014年3月、「門前払いされるかもしれない」という恐怖心を抱えながら、意を決して萩本欽一さんの舞台の楽屋を訪ねたといいます。
すると、萩本欽一さんは温かく迎えてくれ、周囲の気遣いもあり、2人きりになった部屋で久しぶりに話をすることができたのだそうです。
ただ、その後、長江健次さんは、バラエティ番組で萩本欽一さんと共演すると、番組内で萩本欽一さんに叱りつけられたそうで、
当初、ドッキリ風の”ネタ”であることを知らなかった長江健次さんは、
ワー、怒ってるわ。でも、怒られてもしょうがないしなあ
と、思っていたといいます。
(また、ネタバラシの部分がカットされた状態でオンエアされたことから、周囲からは「(長江健次さんが)まだ怒られている」ように見えていたそうです)
また、収録が終わって食事会に行くことになるも、萩本欽一さんは、スタッフや共演者全員を食事に誘う中、長江健次さんだけは誘われなかったといいます。
それでも、長江健次さんは、
まあ、いいや、大将(萩本欽一さん)が出るのを見送ってから帰ろう
と思って、待っていると、
萩本欽一さんが、
フツオ、どうしてるんだ? 空いてるの?
と、当時の呼び名でで声をかけてくれたのだそうです。
(とてもうれしかったそうです)
そして、中華料理店に移動すると、二つの円卓が用意されていたそうですが、風見しんごさんや山口良一さんといった「欽ちゃんファミリー」の仲間たちが気を利かせて、あえて長江健次さんを萩本欽一さんの隣の席へ促し、自分たちは別のテーブルへと座って、二人きりで対話する空間を作ってくれたそうで、
長江健次さんが、かつては若気の至りで聞くことができなかった仕事や教えについての質問を、萩本欽一さんにたくさん投げかけると、萩本欽一さんは丁寧に答えてくれたのだそうです。
また、長江健次さんは、あえて改まった謝罪の言葉は口にしなかったそうですが、思い出や疑問を語り合う中で、萩本欽一さんの温かく大きな心を感じたそうで、
長江健次さんは、
本当にたくさん話をしました。それで大将の車をお見送りして頭を下げたとき、自然と涙が出てきて止まりませんでした。大将のあまりの心の広さに涙が止まらなかったです。
山口(良一)さんと(風見)しんご、そして事務所の人に『ありがとうございました』って言って、電車に乗って1人で帰りました。あの2人には感謝ですね。あえて別のテーブルに行ってくれて大将と2人にしてくれたので、大将とちゃんと話ができたわけですから
涙が止まらなかった。駅からどうやって帰ったのかも覚えてないくらい、放心状態だった
と、語っています。
(長江健次さんは、「欽ドン」降板後、東京での居場所がなくなったことについて、萩本欽一さんを恨んだこともあったそうですが、萩本欽一さんは実際(仕事を干すなど)何もしておらず、周りの忖度(そんたく)だったことが分かったそうです)
長江健次は萩本欽一のようなおじいさんになりたいと思っている
ちなみに、萩本欽一さんは、その後も長江健次さんのことをずっと気にかけてくれているそうで、
長江健次さんは、2018年のインタビューで、
『24時間テレビ』にイモ欽トリオで出演して歌ったら、大将が俺の顔をジロジロ見てるんですよ。
で、歌い終わって大将が来たから『おつかれさまでした~大将!!」って言ったら、俺の方を振り返って、なんか言いたそうな顔してから『ダメだお前は、もう汚れちゃって』って(笑)。
『気悪いな~』と思って、周りの人に聞いたら『あれは、気にしてるんだよ、お前のことを』って言うんですよ。でも、気悪いやん、汚れてるって。当たり前やん、16歳から55歳くらいになったら、そら汚れるわ!そのまま純粋な方がおかしいやろって……(笑)
と、語っているのですが、
長江健次さんは、裏切るようなことをしたにもかかわらず、今も気にかけていろいろと声をかけてくれる、萩本欽一さんのようなおじいさんになりたいと思っているといいます。
「【画像】長江健次の出演ドラマ映画CM舞台ラジオは?シングルやアルバムは?」に続く
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