1978年、19歳の時、アルバム「TOUCH ME」で歌手デビューすると、いきなり、ファーストシングル「東京ららばい」、セカンドシングル「ディスコ・レディー」が立て続けに大ヒットし、たちまち人気歌手となった、中原理恵(なかはら りえ)さん。
実は、中原理恵さんは、もともと、ファッションデザイナーに憧れていたそうですが、地元・北海道函館市で開催されたコンテスト「歌のフェスティバル」に出場すると、優勝は逃したものの、その歌唱力でスカウトされたそうで、これをきっかけに歌手になることを決めたといいます。
今回は、中原理恵さんの、生い立ちから、若い頃(歌手全盛時代)のヒット曲や経歴を時系列でご紹介します。
中原理恵のプロフィール
中原理恵さんは、1958年6月17日生まれ、
北海道函館市の出身、
身長160センチ、
血液型はO型、
学歴は、
函館市立潮見中学校
⇒遺愛女子高校卒業
だそうです。
中原理恵の本名は?芸名の由来は?
中原理恵さんの本名は、「目加田 貴美恵」(めかた きみえ)というそうですが、
本名が6文字で長いため、4文字で明るく軽い響きの名前に憧れ、姓名判断の字画も自分で調べて、既に高校生の時に、「中原理恵」という名前を考えていたそうで、
この名前で友達と呼び合って遊んでいたそうです。
中原理恵は高校卒業後に地元のコンテストでスカウトされて歌手を目指し上京していた
中原理恵さんは、高校卒業後は、札幌で、喫茶店のウェイトレスや高級クラブのホステスをしていたそうですが、
そんな中、地元・北海道函館市で開催されたコンテスト「歌のフェスティバル」に出場すると、優勝は逃したものの、その歌唱力がスカウトの目に留まり、スカウトされたそうで、上京したそうです。
ただ、実は、歌手よりもファッションデザイナーになりたかったそうで、
中原理恵さんは、最終的に歌手への道を選んだ経緯について、
以前は歌手よりファッションデザイナーになりたかったの。高校を出ると、とにかく東京に行きたいと計画していました。
でもある日、デザイナーでも歌手でも自分の世界をつくることに変わりはない。自分の世界をつくれれば最高!と思うようになりました
と、語っています。
中原理恵は19歳の時、ファーストシングル「東京ららばい」が大ヒット
そして、1978年、19歳の時、アルバム「TOUCH ME」で歌手デビューすると、
アルバム発売後の同年3月21日にリリースしたファーストシングル「東京ららばい」が大ヒットし、いきなり、中原理恵さんは大ブレイクを果たしています。
「東京ららばい」
ちなみに、この「東京ららばい」は、筒美京平さん(作曲家)と松本隆さん(作詞家)の黄金コンビニよって作られた、歌謡曲とスパニッシュギターによるユーロビートを融合させた新しいタイプの楽曲で、都会で生きる大人の女性の孤独を詩的に表現したものだったのですが、
中原理恵さんも、この楽曲に合わせ、本当は19歳だったところ、年齢を偽り、2つ年上の”21歳”としていたといいます。
中原理恵は20歳の時、セカンドシングル「ディスコ・レディー」も大ヒット
そんな中原理恵さんは、続く、同年(1978年)8月1日にリリースした、2枚目のシングル「ディスコ・レディー」も大ヒットを記録しています。
「ディスコ・レディー」
中原理恵が20歳の時にリリースしたセカンドアルバム「KILLING ME」は現在も高く評価されている
また、中原理恵さんは、同年(1978)12月5日には、山下達郎さんや坂本龍一さんらが制作に携わった、2枚目のアルバム「KILLING ME」をリリースしているのですが、
このアルバムは、シティポップの名盤として、今もなお、高く評価されています。
中原理恵のシングル一覧
それでは、最後に、中原理恵さんのシングルをご紹介しましょう。
- 1977年「ロックンロール・ランデブーのテーマ Too Fast To Live (Too Young To Die)」※プレデビュー盤
- 1978年「東京ららばい」
- 1978年「ディスコ・レディー」
- 1978年「マギーへの手紙」
「マギーへの手紙」 - 1979年「枕詞 ピロー・トーク」
- 1979年「SHOW BOAT」
- 1979年「寒い国から来た女」
- 1980年「懐しのジョージ・タウン」
- 1980年「抱きしめたい」
「抱きしめたい」 - 1981年「シェイク・シェイク・・・」
- 1981年「死ぬほど逢いたい」
- 1982年「愛してクレイジー」
- 1982年「頬たたかれて」
- 1982年「風が吹いたら恋もうけ」
- 1983年「さみしさ裏がえし」
「さみしさ裏がえし」 - 1983年「銀河系まで飛んで行け!」
- 1984年「さよなら冷たいひと」
- 1984年「千年接吻」
- 1985年「私小説」
- 1997年「吐息のオペラ」
と、リリースしています。
「【画像】中原理恵の若い頃は欽ドンや寅さんも!現在はビルメンテナンス?」に続く
1stシングル「東京ららばい」、2rdシングル「ディスコ・レディー」が、続け様に大ヒットし、人気歌手の仲間入りを果たすと、1981年、21歳の時には、「欽ドン!良い子悪い子普通の子」でコメディエンヌとしての才能も発揮した …