1982年、23歳の時、バラエティ番組「欽ちゃんの週刊欽曜日」のレギュラーに抜擢されると、たちまち人気を博し、その後は、「ザ・ベストテン」の司会でお茶の間の顔として広く知られるようになった、小西博之(こにし ひろゆき)さん。
そんな小西博之さんは、幼い頃から体格には恵まれるものの、内面は気が弱く泣き虫だったそうですが、小学4年生の時、あることがきっかけで自信がつくと、学級委員長に選ばれるほか、少年野球チームでもキャプテンを任されるようになったといいます。
今回は、小西博之さんの生い立ち(幼少期から大学時代まで)をご紹介します。

小西博之のプロフィール
小西博之さんは、1959年9月28日生まれ、
(伊勢湾台風が上陸した2日後)
和歌山県田辺市上秋津の出身、
身長180センチ、
体重78キロ、
血液型はA型、
学歴は、
和歌山県立田辺商業高等学校(現:和歌山県立神島高等学校)
⇒中京大学商学部卒業
趣味は、
パソコン、料理、ガーデニング、釣り、サイクリング、
特技は、
ボクシング、スキー、ゴルフ、野球、合気道、乗馬、
ちなみに、「小西博之」は本名で、愛称は小学校時代から「コニタン」
だそうです。
小西博之は幼少期は体格に恵まれるも気が弱く泣き虫だった
小西博之さんは、幼い頃から人一倍身体が大きく、和歌山県から「健康優良児」として表彰されるほどだったそうですが、
その体格とは裏腹に、内面は気が弱くて泣き虫だったといいます。
小西博之は小学4年生の時にクラスで一番強いと周囲に認められ内面も強くなっていた
そんな中、小西博之さんは、小学4年生の10月に、妹が生まれたそうですが、
その日はちょうど学校の遠足で、お弁当の時間、嬉しさを抑えきれず、
僕、お兄ちゃんになったんやで!
と、大はしゃぎしていると、
クラスで一番強いクラスメートに小突かれ、手元のお弁当が地面に落ちてしまったそうで、
小西博之さんは、怒りのあまり、思わず
なにするんや!
と、相手の肩を突き返したそうですが、
そのクラスメートは軽々と吹っ飛んだそうで、
その決定的な瞬間をクラスメイト全員が目撃していたことから、
コニタンのほうが強いやん!
と、この日を境に、クラスでの力関係が変わり、小西博之さんは、一躍、「クラス最強」となると、
その後、学級委員長に選ばれ、少年野球チームでもキャプテンを任されるなど、心も体も本当に強い少年へと成長していったそうで、
小西博之さんは、
子供って何かのきっかけで大きく変わるんですよ。だから親御さんには『ウチの子はダメだ』とは絶対に思わず、『今のあなたが大好き』と言い続けてほしいんです
と、語っています。
小西博之は中学1年生の時に尊敬できる担任の先生に出会っていた
その後、小西博之さんは、中学校に入学すると、野球部に所属し、学級委員長も務めたそうですが、
23歳の熱血新任男性が担任の先生になったそうで、
入学から一週間が経った最初のホームルームで、
男ども! この一週間、色々あったやろ! 前へ出ろ!
と言い、男子生徒たちが前に呼び出されて整列させられたといいます。
すると、その中には、タバコの匂いを漂わせる、学校一の不良(ヤンキー)も混ざっていたことから、
小西博之さんは、
悪いことをしたら、力ずくでしばき倒されるんじゃないか……
と、ビクビクしていたそうですが、
先生は、いきなり、一番ワルそうな生徒をギュッと抱きしめ、
外でタバコ吸うたらカッコ悪いぞ。なんぼ男前でもオンナにモテへんぞ
と、語りかけたそうで、
予想外の展開に全員がポカンとしたといいます。
そして、今度は、(野球部に所属し、学級委員長を務めていた)小西博之さんが抱きしめられ、
一週間、よう頑張ったな
と、言われたそうで、
実は、小西博之さんは、野球部の朝練のために早く登校していたことから、「少しでも委員長らしい貢献をしたい」との思いもあり、毎朝クラス全員の机を拭いていたそうで、
小西博之さんは、
それを見ててくれたんやと知って、もう感動ですよ。悪い生徒も一生懸命な生徒も分け隔てなく、ひとりひとりのいいところを見つけて全力で褒めてくれる。僕も大人になったらこんな先生になりたい、そう思った瞬間でした
と、語っています。
小西博之は高校時代も素晴らしい先生と出会っていた
また、小西博之さんは、中学卒業後は、野球の強豪校・県立田辺商業(現・神島高等学校)に進学したそうですが、惜しくも甲子園出場の夢は果たせなかったものの、ここでも、素晴らしい先生たちとの出会いがあったといいます。
一人は、英語の教師でもあった野球部の監督たったそうで、
ある日、監督から、
甲子園は目標じゃない、枕投げを目標にしろ
と、言われたそうで、最初は何のことか意味が分からなかったそうですが、
監督が言いたかったことは、
甲子園で試合をする前日、泊まった旅館でおとなしく寝るか?ワクワクして眠れんやろ、うれしくて枕投げするやろ、それを目標にせんかい!
と、いうことだったそうで、
小西博之さんは、人は楽しいことを目標にしたほうが頑張れるんだということを悟ったのだそうです。
そして、もう一人は、ユニークな数学の先生だったそうで、定期試験前の大切な授業の日、
いきなり、教壇から、
お前ら、ミーちゃんとケイちゃん、どっちが好きや?
と、尋ねると、
そこから40分間、当時大ブームだった「ピンク・レディー」の話題でクラス全員が大盛り上がりとなったそうですが、
授業の残り時間が5分になると、先生は黒板に一つの公式をサッと書き、
これは覚えておけ
と言い残し、そのまま教室を出て行ったそうで、
小西博之さんは、
その授業、今でも覚えているんですよ。で、大学で児童心理学の本を読んでいたら、肝心なことを教えるときこそ遊びや回り道も必要だと書いてあった。そうか!あの授業やったんか、と
と、語っています。
小西博之は中京大学に進学後は野球部に入部するもすぐに演劇部に転部していた
こうして、中学、高校と、尊敬できる先生に出会った小西博之さんは、自分もそうなりたいと、高校卒業後は、教師を目指し、教員免許を取得するために、中京大学に進学したそうですが、
中京大学では野球部に入部すると(中京大学は野球の名門校)、有無を言わさぬ熱血指導が横行していたことから、小西博之さんは、そんな指導方法にうんざりし、すぐに野球部を退部して、演劇部に転部したそうで、
小西博之さんは、演劇部を選んだ理由について、
教師になったら生徒からおもしろいと思われる授業をせないかんでしょ?演劇部でパフォーマンスを身につけたかったんです
と、語っています。
「【画像】小西博之の若い頃は欽ちゃんファミリー!現在までの経歴は?」に続く
![]()
1982年、23歳の時、バラエティ番組「欽ちゃんの週刊欽曜日」にレギュラーとして出演すると、お茶の間の人気を博し、1985年、26歳の時には、人気音楽番組「ザ・ベストテン」の男性司会者に抜擢された、小西博之(こにし ひろ …







