1982年、15歳の時、バラエティ番組「欽ちゃんのどこまでやるの!」に、「萩本家」の3つ子の三女”たまえ”役として出演すると、そのキャラクターで人気を博すほか、
企画ユニット「わらべ」としても、「めだかの兄妹」「もしも明日が…。」が大ヒットした、高橋真美(たかはし まみ)さん。
そんな高橋真美さんは、1977年、10歳の時、児童劇団のチラシを見て、オーディションを受け続けるも、当初は、なかなか合格しなかったそうですが、やがて、「劇団白鳥座」に合格すると、土曜ワイド劇場「人それを情死と呼ぶ」の佐久間良子さんの子供時代で子役デビューしたといいます。
今回は、そんな高橋真美さんの生い立ち(幼少期から中学時代まで)をご紹介します。

高橋真美のプロフィール
高橋真美さんは、1967年9月20日生まれ、
東京都目黒区の出身、
身長160センチ、
靴のサイズは24センチ、
血液型はA型、
学歴は、
聖徳栄養短期大学卒業、
趣味は、
料理、ヒップホップ、
特技は、
タップダンス、
ちなみに、「高橋真美」は本名で、結婚後は「亀井真美」というそうです。
高橋真美が幼い頃は日本舞踊やクラシックバレエなど様々な習い事をしていた
高橋真美さんは、2人きょうだい(5歳上の兄1人)の長女として誕生すると、お母さんは、当時まだ珍しかったキャリアウーマンで仕事が忙しく、なかなかかまってもらえなかったそうですが、
その代わり、日本舞踊、クラシックバレエなど、様々な習い事をさせてもらったそうです。
高橋真美は10歳の時に児童劇団のオーディションを受けるも不合格続きでエキストラをしていた
そんな高橋真美さんは、1977年、10歳の時には、児童劇団のチラシを見つけて、お母さんにやってみたいとお願いし、オーディションを受けるため、お芝居やダンスのレッスンを受けたそうですが・・・
たくさんのオーディションを受けるも、なかなか合格せず、当初は、(テレビや映画の画面に映るかどうかもわからない)エキストラをやっていたそうです。
高橋真美は10歳の時に「劇団白鳥座」に合格し「土曜ワイド劇場」で子役デビュー
しかし、同年(1977年)、「劇団白鳥座」のオーディションを受けると、ついに合格したそうで、
土曜ワイド劇場「人それを情死と呼ぶ」(佐久間良子さん主演)の回想シーンでの佐久間良子さんの子供時代役で、子役デビューを果たしたのだそうです。
とはいえ、セリフは、
あっ、お姉ちゃん
の一言だけだったといいます。
また、高橋真美さんは、撮影の時、一張羅(いっちょうら)のワンピースを着ていったそうですが、時代背景に合わないと、着替えさせられたそうです。
(高橋真美さんのデビュー作については、1978年放送のポーラ名作劇場「みずきの花匂うとき」だとする話もありますが、高橋真美さん本人はインタビューで、「土曜ワイド劇場」の回想シーンで佐久間良子さんの子供時代だと語っています)
高橋真美は中学3年間は芸能活動からやや遠ざかっていた
ただ、その後は役がつかず、ずっと、”その他大勢”の役ばかりだったそうで、子供心にも辛く、それが原因でか、芸能活動からはやや遠ざかり、
中学の3年間は、主にバレーボール部で(アタッカーとして)活動したそうです。
「【画像】高橋真美の若い頃は「わらべ」のたまえ!現在はダイエット?」に続く
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1982年、15歳の時、バラエティ番組「欽ちゃんのどこまでやるの!」から3人組のユニット「わらべ」として、1stシングル「めだかの兄妹」でレコードデビューすると、たちまち88万枚を売り上げる大ヒットとなり、 さらには、1 …







