1982年、「欽ちゃんのどこまでやるの!?」に「萩本家の3人娘」の長女・のぞみ役として出演し、1982年、15歳の時、3姉妹ユニット「わらべ」として、1stシングル「めだかの兄妹」でレコードデビューすると、たちまち88万枚を売り上げる大ヒットとなり、一躍、人気アイドルの座に駆け上った、高部知子(たかべ ともこ)さん。
そんな高部知子さんは、幼い頃、身体が弱かったことから、家の中で読書をすることが好きで、いつ頃からか、感情移入して物語の主人公に完全になりきる癖がついていたそうで、
小学生の時、児童劇団に入団すると、1981年、14歳の時には、昼のドラマ「花王 愛の劇場」の「わが子よ」で、骨肉腫に冒される主人公の少女・美樹役に抜擢され、たちまち、注目を集めました。
今回は、高部知子さんの幼少期(生い立ち)から14歳の時、テレビドラマ「わが子よ」で注目されるまでをご紹介します。

高部知子のプロフィール
高部知子さんは、1967年8月25日生まれ、
東京都文京区の出身、
身長160センチ、
血液型はB型、
学歴は、
堀越学園高校
⇒慶応大学通信教育部卒業
趣味は、
読書、バイク、フィギュアスケート、
ちなみに、「高部知子」は本名です。
高部知子は幼少期、両親が離婚して母親に引き取られるもかまってもらえず寂しい日々を送っていた
高部知子さんは、幼い頃、両親が離婚し、お母さんに引き取られたそうですが、お母さんは、普段から全然かまってくれなかったそうで、
友達が家に遊びに来た時にはおやつを出してくれたそうですが、普段の日はテーブルの上に200円がぽつんと置いてあっただけで、寂しい思いをしていたそうです。
そして、学校行事でも同様だったそうで、遠足の時でもお弁当は作ってくれず、値札がついたままのコンビニ弁当を渡されていたそうで、高部知子さんは、幼心にもお母さんのことが大嫌いだったそうです。
高部知子は少女時代、体が弱く家の中で読書することが好きだった
また、高部知子さんは、小児喘息(しょうにぜんそく)を患うなど体が弱かったそうで、自然と、外で元気に遊ぶよりも家の中で本を読んで過ごすことが多かったそうですが、
やがて、読書に没頭するうち、物語の主人公に深く感情移入し、完全になりきってしまう癖がついたそうで、
「奇跡の人」を読んだ時には、ヘレン・ケラーになりきって、目をつぶったまま外を歩き、そのまま塀に頭をぶつけて出血したこともあったといいます。
(ヘレン・ケラーは、アメリカの政治活動家で、幼い頃、高熱により聴覚と視覚を完全に失い、話すことも聞くことも見ることもできず、三重苦と言われました)
高部知子は12歳の時に映画「東京大空襲 ガラスのうさぎ」で子役デビュー
そんな高部知子さんは、小学生の時、児童劇団に入団すると、
1979年、12歳の時には、映画「東京大空襲 ガラスのうさぎ」で主人公の級友役で子役デビューを果たしているのですが、
この映画に出演している間は、役柄の戦災孤児になりきっていたそうで、
家にいる時も、
お父さん、死なないで
と、叫んでいたといいます。
高部知子は13歳の時にテレビドラマ版「ガラスのうさぎ」で主人公・敏子役に抜擢されていた
また、1980年、13歳の時には、芸能プロダクションにスカウトされると、
NHKの「銀河テレビ小説」でテレビドラマ化された「ガラスのうさぎ」で、主人公の敏子役に抜擢されています。

「ガラスのうさぎ」より。
高部知子は14歳の時に昼のドラマ「わが子よ」で骨肉腫に冒される主人公を演じ注目を集めていた
そして、1981年、14歳の時には、昼のドラマ「花王 愛の劇場」の「わが子よ」で、骨肉腫に冒される主人公の少女・美樹役に抜擢されると、たちまち、注目を集めています。
ちなみに、高部知子さんは、骨肉腫のため片腕を失くすという役どころを演じているのですが、この役を演じるため、普段から片腕を縛って生活し、腕を脱臼してしまったこともあったといいます。

「わが子よ」より。
「【画像】高部知子の若い頃はわらべでブレイクもニャンニャン事件!現在は?」に続く
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1982年、14歳の時、バラエティ番組「欽ちゃんのどこまでやるの!」から誕生したユニット「わらべ」として「めだかの兄妹」でレコードデビューすると、88万枚を売り上げる大ヒットとなって、たちまち人気アイドルの座に駆け上がり …









