1982年、14歳の時、バラエティ番組「欽ちゃんのどこまでやるの!」から誕生したユニット「わらべ」として「めだかの兄妹」でレコードデビューすると、88万枚を売り上げる大ヒットとなって、たちまち人気アイドルの座に駆け上がり、

1983年、15歳の時には、主演を務めたテレビドラマ「積木くずし〜親と子の200日戦争」が社会現象を巻き起こす大ヒットとなるなど、女優としても高い評価を得た、高部知子(たかべ ともこ)さん。

しかし、人気絶頂の同年、「FOCUS」に”ニャンニャン写真”を掲載されると、以降、高部知子さんの人生は大きく変わったといいます。

今回は、そんな高部知子さんの若い頃(「わらべ」としてデビュー以降)から現在までの経歴を時系列でご紹介します。

高部知子

「高部知子の生い立ちは?幼少期に両親が離婚!子役時代は主演も!」からの続き

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高部知子は15歳の時「欽ちゃんのどこまでやるの!」内ユニット「わらべ」としてデビューシングル「めだかの兄妹」が88万枚を売り上げる大ヒット

1981年、14歳の時、お昼のドラマ「わが子よ」で、骨肉腫に冒される主人公を演じ、注目を集めた高部知子さんは、

1982年、15歳の時には、バラエティ番組「欽ちゃんのどこまでやるの!」内のコント「萩本家の3人の娘(3つ子)」の長女・のぞみ役のオーディションを受けると、見事、合格し、同年9月、「欽ちゃんのどこまでやるの!」に初出演を果たしているのですが、

同年12月21日、「欽ちゃんのどこまでやるの!」内で結成された、次女・かなえ役の倉沢淳美さん、三女・たまえ役の高橋真美さんとの3姉妹ユニット「わらべ」として、ファーストシングル「めだかの兄妹」でレコードデビューすると、

88万枚を売り上げる大ヒットを記録し、高部知子さんも、たちまち、アイドルとして人気を博しました。

「めだかの兄妹」
「めだかの兄妹」

高部知子は15歳の時に「積木くずし〜親と子の200日戦争」で主人公を熱演し社会現象を巻き起こす大ヒット

また、高部知子さんは、1983年、15歳の時には、テレビドラマ「積木くずし〜親と子の200日戦争〜」で、非行に走る主人公の少女・穂積由香里役を熱演すると、ドラマは視聴率45%をマークし、社会現象を巻き起こす大ヒット。

高部知子さんの迫力ある演技は高く評価され、”第2の大竹しのぶ”、”ポスト大竹しのぶ”と呼ばれ、女優として大きな期待が寄せられました。

「積木くずし」
(左から)高部知子さん、前田吟さん、小川眞由美さん。

(ドラマ「積木くずし」は、俳優の穂積隆信さんが自身の長女・穂積由香里さんの非行と家庭崩壊の実体験を綴った手記が原作となっています)

高部知子は15歳の時、「FOCUS」に掲載された”ニャンニャン写真”で「わらべ」を除名され、萩本欽一から破門されていた

しかし、そんな人気絶頂の1983年6月、高部知子さんは、ベッドで裸で布団を掛けた状態で、たばこを口元にあてた写真が、写真週刊誌「FOCUS」に掲載され、

あたかも性行為の後に一服しているように見えたことから、当時15歳だった高部知子さんは、性行為疑惑と未成年喫煙疑惑を持たれることになり、高部知子さんの”清純な少女タレント”というイメージは完全に崩壊。

高部知子

これにより、高部知子さんは、出演中だった全てのテレビ、ラジオ、CMを降板するほか、主演予定だった劇場版「積木くずし」も降板が決定して代役が立てられ、

1983年秋から主演する予定だったドラマ「スケバン刑事」に至っては製作そのものが一時中止となってしまったのでした。

(同作は約1年半後、斉藤由貴さん主演で放送が開始されています)

そして、所属事務所からは謹慎処分を言い渡され、通学していた堀越高等学校からは、喫煙行為により無期停学処分を受けたのでした。

高部知子

実は、当初、高部知子さん本人や所属事務所は、他のメディア露出は降板することになっても、いずれは、「欽ちゃんのどこまでやるの!?」へ復帰できるだろうと見込み、同番組への出演はあくまで”謹慎”という形をとっていたといいます。

しかし、それから2ヶ月後、問題の写真を「FOCUS」に売り込んだという高部知子さんの元彼氏が自殺。

これにより、遺族側への配慮から、高部知子さんは、ユニット「わらべ」から除名され、萩本欽一さんからも破門を言い渡されることとなったのでした。

(以降、「わらべ」は残されたメンバーである倉沢淳美さんと高橋真美さんの二人だけで活動を継続しています)

高部知子は17歳の時にテレビドラマ「転校少女Y」の主演で芸能界に復帰していた

それでも、高部知子さんは、1984年秋には、1年3ヶ月ぶりに、テレビドラマ「転校少女Y」の主演で、本格的に芸能界に復帰すると、

「転校少女Y」

「転校少女Y」

同年5月には、著書「告白ハンパしちゃってごめん」を出版しています。

高部知子は17際の時にアルバム「雨・ア・ガ・リ」でソロデビュー

そして、同年(1984年)11月には、アルバム「雨・ア・ガ・リ」でソロデビューも果たすと、

同月には、このアルバムの中の楽曲「雨の街」(作詞作曲:岡村孝子)をシングルカットしています。

(ヒットとはなりませんでした)

「雨の街」
「雨の街」

高部知子は22歳の時に結婚し芸能界を引退していた

その後も、高部知子さんは、ドラマや舞台の端役を中心に活動を続けるのですが、

メディアで大きく取り上げられることはなく、1989年、22歳の時、結婚し、芸能界を引退しています。

 

高部知子は20代の時に離婚⇒再婚⇒離婚

結婚後、高部知子さんは、子供2人に恵まれたそうで、子育てをしながら、夫婦でコンビニエンスストアを経営していたそうですが、

数年後には離婚すると、その後、別の男性と再婚したそうですが、再び離婚したといいます。

高部知子は32歳の時に局部にピアスをつけたヘアヌード写真集「Objet D’amour」を発売していた

そんな高部知子さんは、1999年、32歳の時、

局部にピアスをつけた大胆なヘアヌード写真集「Objet D’amour」を発売し、たちまち注目を集めています。

高部知子
「Objet D’amour」

高部知子は33歳の時に慶應義塾大学文学部哲学科に入学していた

しかし、高部知子さんは、そのまま芸能界を引退。

実は、その4年前から、青山心理臨床センターの精神病理学の研究所で学んでいたそうで、

認定心理士の資格を取得すると、翌年の2000年、33歳の時には、慶應義塾大学文学部哲学科(第1類)(通信教育課程)に入学しており、

高部知子さんは、心の専門家という職業を選んだ理由について、

ずっと私のなかで”人間ってなんだろう”というのがテーマにありました。私にとって演技をすることは”人間とは何か”というものをアウトプットするものでした。

今の仕事もこのテーマを突き詰めていくものと考えているので、私にすれば演技をすることも、この仕事をすることも同じことなんです

慶應義塾大学の哲学科に入学した理由については、

古いギリシャ哲学や仏教哲学を学びましたが、何かわかりそうな気がするけど、わかったところで何になるんだろうという思いがずっとあって……。

悩んでいたときに、精神保健福祉法が制定されたんです。私の目指していたものはこれかなって思いました

と、語っています。

その後、高部知子さんは、2005年に慶應義塾大学文学部通信教育課程を卒業すると、次なるステップとして、東京福祉大学(精神保健福祉士養成コース)へ進学し、

2007年、40歳の時、東京福祉大学(精神保健福祉士養成コース)を修了すると、同年、精神保健福祉士の資格(国家資格)を取得しています。

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高部知子の現在は?

そんな高部知子さんは、現在は、精神保健福祉士として、全国各地の精神医療や福祉関連施設で認知症や各種依存患者へのカウンセリングとケア、薬物依存症患者の回復支援などに取り組みつつ、

心の専門家を育てる「悠學塾」を主宰し、”共に生きるということ”をテーマに全国で講演活動や教育セミナーを行っているといいます。

高部知子

ちなみに、心理やメンタルケアに関わる分野には、主に以下の3つの役割があるそうですが、

  • 「精神科医」は主に医療機関において、薬物を用いた治療を行う。
  • 「臨床心理士」はカウンセリングを通じて、本人の認知のゆがみを探り改善を促す。
  • 「精神保健福祉士」は 精神に問題を抱えた人に寄り添い続け、生活問題や社会問題の解決、社会参加に向けた支援を行うソーシャルワーカー

高部知子さんは、この3つの中で、最も患者に寄り添う「精神保健福祉士」という生き方を選んでおり、かつての演技のテーマだったという”人間とは何か”を、職業は全く異なりながら、今も探求しているようです。

(高部知子さんは、2001年には、官能ビデオ「パラノイア」にも出演しているのですが、これは、芸能界復帰のためというよりも、ヘアヌード写真集の出版も含め、進学資金と生活資金を捻出するためだったのかもしれません)

「【画像】高部知子の出演ドラマ映画バラエティCMラジオは?著書は?」に続く

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