1982年、15歳の時、バラエティ番組「欽ちゃんのどこまでやるの!」から3人組のユニット「わらべ」として、1stシングル「めだかの兄妹」でレコードデビューすると、たちまち88万枚を売り上げる大ヒットとなり、
さらには、1983年、16歳の時にリリースした2ndシングル「もしも明日が…。」も97万枚を売り上げる大ヒットとなり、たちまち、人気を博した、「わらべ」の「たまえ」こと、高橋真美(たかはし まみ)さん。
今回は、高橋真美さんの、若い頃(「わらべ」でブレイク以降)から現在までの経歴や、ダイエットの話などを時系列でご紹介します。

「高橋真美(たまえ)の生い立ちは?子役デビューも中学時代はバレーボール!」からの続き
高橋真美は15歳の時、「わらべ」としてデビューシングル「めだかの兄妹」が88万枚を売り上げる大ヒット
10歳の時、子役デビューするも、その他大勢の役ばかりで、中学時代は主にバレーボール部で活動していたという高橋真美さんですが、
1982年、中学3年生の夏、バラエティ番組「欽ちゃんのどこまでやるの!」のオーディションを受けると、見事、合格し、
同年(1982年)9月、15歳の時、「欽ちゃんのどこまでやるの!」に、「萩本家」の3つ子の三女・”たまえ”役として、初出演を果たしています。

「わらべ」((左から)高部知子さん、倉沢淳美さん、高橋真美さん)
そして、同年12月21日には、「欽ちゃんのどこまでやるの!」内で、高部知子さん(長女・のぞみ役)、倉沢淳美さん(次女・かなえ役)と共にアイドルユニット「わらべ」が結成され、
ファーストシングル「めだかの兄妹」でレコードデビューすると、いきなり、88万枚を売り上げる大ヒットとなったのでした。
ちなみに、高橋真美さんは、
デビュー曲のタイトルやユニット名を聞いたときは、『えっ!?』っていう感じでした。当時はアイドル全盛期だったので、キャンディーズのような名前を想像していたのに、平仮名で『わらべ』に『めだかの兄妹』ですからね。
しかも、寝る前に歌う曲という設定ですから、衣装はパジャマにちゃんちゃんこ(笑)。実は、『めだかの兄妹』の編曲は坂本龍一さんなんですが、初めてデモテープを聞いた坂本さんは、これをどうしたらいいんだと頭を抱えてたそうです。
でも、お父さん(萩本欽一さん)は『これはとんでもなく売れる』と予言していました。実際に大ヒットして、レコード会社の人は喜んでいましたね
と、語っています。
(高橋真美さんは、萩本欽一さんのことを、ずっと”お父さん”と呼んでいるそうです)

「めだかの兄妹」
高橋真美は16歳の時、「わらべ」として2ndシングル「もしも明日が…。」も97万枚を売り上げる大ヒット
そんな中、1983年6月には、のぞみ役の高部知子さんが、ベッドで裸に布団を被せた状態で横たわってタバコを口元に当てて笑う写真を写真週刊誌「FOCUS」に掲載されて、大騒動となり、
同年8月頃には、高部知子さんが「わらべ」を脱退するのですが、
1983年、15歳の時、主演ドラマ「積木くずし〜親と子の200日戦争〜」が視聴率45%を記録する大ヒットとなり、女優としても、”ポスト大竹しのぶ”と評価が高まった、高部知子(たかべ ともこ)さんですが、 人気絶頂だった1 …
1983年12月21日(高橋真美さん16歳)、「わらべ」(高橋真美さんと倉沢淳美さんの2人体制)として、2枚目のシングル「もしも明日が…。」をリリースすると、97万枚を売り上げ、前作「めだかの兄妹」を上回る大ヒットとなっています。

「もしも明日が…。」
高橋真美が17歳の時、「わらべ」は解散
ただ、1984年12月12日(高橋真美さん17歳の時)にリリースした、「わらべ」としての3枚目のシングル「時計をとめて」は、オリコン週間最高6位を記録するも、前回、前々回ほどの大ヒットとはならず、
「わらべ」は、1985年3月、「欽ちゃんのどこまでやるの!」のリニューアルに伴い、解散となっています。

「時計をとめて」
高橋真美は18歳の時に1stシングル「もう少しだけ/古いアルバム」でソロデビュー
その後、高橋真美さんは、主にタレントとして活動すると、
1985年6月21日、18歳の時には、「もう少しだけ/古いアルバム」でソロデビューを果たし、

「古いアルバム/もう少しだけ」
同年(1985年)11月には、2枚目のシングル「片想いのX’mas」もリリースしています。

「片想いのX’mas」
高橋真美は25歳の時に「ビッグモーニング」でお天気キャスターを務めていた
そんな高橋真美さんは、1992~1993年には、情報番組「ビッグモーニング」でお天気キャスターを務めるほか、
1998年頃には、「ジャスト」の木曜日の「亭主改造計画」コーナーにレギュラー出演しています。
高橋真美は27歳の時に13キロのダイエットに成功していた
また、「わらべ」時代は、ふっくらとしていた高橋真美さんですが、1995年、27歳の時には、13キロ減のダイエットに成功し、著書「みんなに黙ってダイエット」を出版しています。
高橋真美は42歳の時、体形を長年維持している秘訣を公開していた
そして、2009年、42歳の時には、その体形を長年維持している秘訣として、脳内のセルフイメージを書き換える”ボディマネジメントコーチ”の重要性を説き、
過度な運動よりも、楽しみながら毎日コツコツ続けることが成功の鍵であると、精神面からのアプローチを勧めており、ダイエットを苦行ではなくワクワクする習慣へと変える考え方を提案しています。
また、公式ブログでは、”維持できるダイエット”をモットーに、2026年現在も「今日の体重:〇〇kg」と包み隠さずリアルタイムの数値を公開しており、2026年現在も、スレンダーな体型を維持しています。
ちなみに、高橋真美さんは、ダイエットを始めようと思ったきっかけについて、
(萩本欽一さんに対し)私は親孝行だと思って、ずっと体重を維持していたのですが、あるとき『いつまでもそのままじゃいけないよ。大原麗子さんとか、ベテランの女優さんたちを見習いなさい』と言われてしまいました。
それからダイエットを始めて13キロ落としたのですが、次に会ったときに『なんでそんなに痩せちゃったの?』と言われたんですよ(笑)
と、萩本欽一さんの一言だったことを明かしています。
高橋真美の現在は?
そんな高橋真美さんは、2000年、33歳の時に結婚しているのですが、その後も、タレントとして活動を継続しており、
2026年4月には、萩本欽一さんの事務所公式Xに、
『今日の欽ちゃん』春の来客 高橋真美(たまえ)さんが、「お父さん、化粧がくずれないうちに写真撮りましょ」と一緒にパチリ
とのコメントと共に、萩本欽一さんの自宅で撮影されたと思われる、高橋真美さんと萩本欽一さんとのツーショット写真が投稿され、大きな話題となりました。

萩本欽一さんと高橋真美さん。
また、高橋真美さんも、この日のことについて、自身のブログに、「父と娘の会話」とのタイトルで、
久しぶりだけど 秒で父と娘になる 被せるように たたみかけるように 二人とも喋る喋る〜!!! そして二人とも 何度も大笑い〜!!!
話が盛り上がり過ぎて 時間が全然足りなかった〜
気がつけば まわりに誰も居なくて 二人で盛り上がってた
と、萩本欽一さんととても楽しい時間を過ごしたことを綴っています。
「高橋真美は「欽どこ」の「たまえ」で萩本欽一に笑いを叩き込まれていた!」に続く
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