タレント、俳優として活動を続けるかたわら、「命の大切さ」をテーマに講演会を行うほか、全国の小・中・高校で「命の授業」と題した講義も行っているという、小西博之(こにし ひろゆき)さんですが、
45歳の時には、末期の腎臓ガンと診断され、「余命ゼロ」の宣告を受けていたといいます。
今回は、小西博之さんが、腎臓ガンと診断されるまでの経緯、余命宣告、10時間に及んだ大手術、その後についてご紹介します。

「小西博之は萩本欽一により週刊欽曜日を不合格から一転合格にされていた!」からの続き
小西博之はガン発覚の1年ほど前から体調不良に悩まされていた
小西博之さんは、2003年8月頃(43歳)、テレビ番組の取材のためアフリカを訪れたそうですが、その際、とても身体の調子が悪く、
なんでこんなにしんどいんやろう
と、思いながらロケをしていたといいます。
また、体重も落ちていたそうですが、ちょうどこの頃、ダイエットをしている最中だったことから、病気だとは思わなかったそうです。
ただ、体調不良はその後も続き(痛みはなかったそうです)、2004年秋頃からは、睡眠欲や性欲もなくなっていったといいます。
ちなみに、京都でロケをやっている時はあまりのしんどさに、毎晩、涙が出たそうで、小西博之さんは、
1番泣いたのは12月8日の夜。翌日が出雲で講演会だったので、映画の撮影を終えて、夜中の2時頃に京都駅のホームで寝台特急出雲を待ってたんです。ホームの電気が次々と消えて僕のホームだけ電気がついてたんですよ。
誰もいないホームで椅子に座っていたんですけど、あまりにしんどくて、『なんで俺だけこんなんなんやろ?神様、元気にしてください』って号泣しました。今は87kgありますけど、体重も20kg近く落ちてましたし、本当にしんどかった
と、語っています。
小西博之は大量の血尿が出ていた
そんな中、京都での撮影が翌日に終わる、2004年12月23日の夕方6時頃、宿泊先のホテルで大量の血尿が出たそうで、とても驚き、知り合いの医師に連絡すると、
疲れている時には血尿が出ることがあるため、病院に行って検査を受けるように言われたそうで、
12月24日、東京に戻り、翌25日、銀座にある病院で検査を受けると、はっきりした結果は告げられなかったものの、大学病院での再検査を勧められたのだそうです。
(紹介状のあまりの分厚さに不安を覚えながら事務所に戻ったそうです)
小西博之は大学病院でガンの可能性98%と告げられていた
こうして、12月27日、紹介状を手に大学病院を受診すると・・・
紹介状を見た瞬間、担当医の顔色が変わったことから、
小西博之さんが、
ガンですか?可能性は100じゃないでしょう?
と、問うと、
100じゃない、98
と、告げられたそうで、
小西博之さんは、大きなショックを受けたそうです。
ちなみに、小西博之さんは、その時のことを、
年末でしたから、年明けに精密検査をすることにして帰ってきたんですけど、自分の中では『死んだらどうしよう。死んだらどうしよう』って思って、ドーンと落ちて泣きまくりました。
それでソファを引き裂いてグチャグチャにして、皿を割りまくって、風呂に入って泣いて…。でも、思いっきり泣いて冷蔵庫のビールを少し飲んで横になって目が覚めたら朝だったんですよ。
『ああ、寝れる』って思って、『よし、毎晩泣こう』って、それから毎晩泣いて寝て、朝になると目が覚めるという感じでした
と、語っています。
小西博之は腎臓ガンで余命ゼロを宣告されていた
そして、年が明けた2005年1月、精密検査を受けると・・・
やはり、ガンだったそうですが、末期の「腎臓ガン」で、左の腎臓に縦20センチ横13センチの巨大なガンが見つかったそうで、
(日本の腎臓ガン史上5本の指に入る大きさだったそうです)
医師には、
今、この瞬間に死んでもおかしくない状態。生きていること自体、あり得ないことです
ステージで表せない状態です
と、「余命ゼロ」を宣告されたのだそうです。
(小西博之さんは、当然、この「余命ゼロ」宣告にショックを受けたそうですが、それでも、12月25日の診断後の方がショックは大きかったそうです)
小西博之は左の腎臓とリンパ節と肋骨2本の切除手術(10時間)を受けていた
その後、小西博之さんは、2005年2月14日に入院すると、2月16日には手術を受け、手術は無事終了したそうですが、
(左の腎臓を切除、リンパ節も取り除き、肺の状態を確認するために肋骨2本を切除するという、10時間にも及ぶ大手術だったそうです)
麻酔が切れた時には、凄まじい術後の痛みに襲われたそうで、
小西博之さんは、
痛みには強いほうだと思っていたのですが、かつて経験したことがないほどひどくて、息をするたびに全身に激痛が走っていました。のたうち回りたいほど苦しいのに、痛みで動くこともできない。
と、語っています。

手術の跡を見せる小西博之さん。
小西博之の手術直後、医師から事務所のスタッフだけに余命宣告されていた
ちなみに、手術は無事に成功したものの、手術直後、事務所のスタッフたちは、
医師から、
リンパが腫れて全身にガン細胞がいってる
おそらく(リンパ節に)転移していてゴールデンウィークまでの命
と、小西博之さんの余命宣告を聞いていたといいます。
小西博之は腎臓ガンの手術から9日後には無事退院していた
そんな中、小西博之さんは、手術後4日目には、入院中もできる限り普通の生活をしようと、朝起きるとパジャマからジャージに着替え、運動靴を履き、病院の廊下でウォーキングを始めるほか、
気持ちが落ち込まないように、身の回りの物事を徹底して前向きにとらえるように努めたそうですが、
その効果か、急速に回復し、手術から9日後には、無事退院することができたそうです。
また、術後1週間の検査でも、リンパ節への転移は見つからなかったそうで、
その後、小西博之さんは、事務所のスタッフたちに余命宣告の話を聞き、みんなと一緒に号泣したのだそうです。
小西博之は腎臓ガンが再発することなく手術から5年後に完治していた
そして、手術から5年が経過した時には、担当医から”完治”を告げられ、見事、末期ガンを克服したそうで、
小西博之さんは、その後、ガンをテーマとする講演会を行うようになり、講演会では、ガンに悩む人々に「受け入れること」「楽しい目標をもつこと」が大切だと伝えているそうで、
手術はしましたが、病気と『闘う』という意識はありませんでした。だから、勝つも負けるもない。ガンも自分の細胞と気付き、『受け入れよう』と決めたのです。
(「受け入れる」という考え方は芸能界の恩師・萩本欽一さんによる教えだそうです)
何故ガンだけ、“闘病”と言うのでしょう?病気と闘うって?出来る訳がありません。水虫、風邪等に闘病と言う言葉を使いませんね。当たり前に闘病と言う今を変えて行こうと講演会で話してます。
ガンも病気のひとつです。だから、治療なんです。受け入れるんです。辛い気持ちをいっぱい出すんです。私は告知から入院迄の90日、毎晩お風呂で号泣してました。「死にたくない」って叫んでました。綺麗事ではありません。
闘っている人は泣いたら負けです。だから 我慢する。私は皆さんに、家族みんなで「夜泣き叫んで」と話します。辛い時は 辛いと。嬉しい時は笑うと。日々その繰り返しですね。
と、語っています。
「小西博之が清水由貴子の自殺に怒りのコメントをし葬儀も欠席した理由とは?」に続く
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