バラエティ番組「欽ちゃんの週刊欽曜日」に共にレギュラーで出演していた清水由貴子さんとデュエット曲「銀座の雨の物語」を歌い、ヒットしていた、小西博之(こにし ひろゆき)さんですが、
清水由貴子さんが自ら命を絶った際、怒りのコメントを発表し、大バッシングを受けました。
また、小西博之さんは、清水由貴子さんの葬儀に参列せず、墓参りにも行っていなかったといいます。
今回は、小西博之さんが怒りのコメントを発表した理由や、葬儀にも参列せず、墓参りにも行かなかった真相を、小西博之さんと清水由貴子さんの出会いから時系列でご紹介します。

「小西博之の病気は?腎臓(末期)ガンで余命ゼロ宣告を受けていた!」からの続き
小西博之は清水由貴子とは「欽ちゃんの週刊欽曜日」で共演し”かけがえのない相棒”のような存在になっていた
小西博之さんは、1982年、バラエティ番組「欽ちゃんの週刊欽曜日」で、同い年の清水由貴子さんと共演すると、翌年の1983年には、デュエット曲「銀座の雨の物語」をリリースし、ヒットしているのですが、
これをきっかけに、清水由貴子さんとは、何でも言える気心の知れた仲となり、まさに”かけがえのない相棒”と呼べる存在になっていったといいます。

「銀座の雨の物語」
小西博之にとって清水由貴子は叱ってくれたり励ましてくれる母親のような存在だった
ちなみに、清水由貴子さんは、小西博之さんが、番組のヒットによって人気者となり、少し天狗になっている時には、諌(いさ)めてくれ、
番組主宰の萩本欽一さんにダメ出しされ、落ち込んでいる時には、
悪いことも失敗も受け入れないと成長できないよ
と、励ましてくれたそうで、
小西博之さんは、清水由貴子さんについて、
あの子に色々教えられましたし、よく怒られました。岡山に遅刻して行ったときとかね。色紙何千枚かサインしなくちゃいけなかったりしたんですけど、あの子はずっと書いてるんですよ。
俺は移動中に書いたりしていると『ちゃんと書きなさい。お客さんが待ってるんですよ』って。同い年やし、真面目な子だからね。よく怒られました。『ちゃんとしなさい、ちゃんとしなさい』って
と、母親のようだったと語っています。
小西博之と清水由貴子は疎遠になっていた
実は、そんな中、清水由貴子さんは、お母さんの体調が優れず、お母さんの面倒を見つつ、妹の面倒もみていたそうで、小西博之さんもそのことを知っていたそうですが、
やがて、小西博之さんと清水由貴子さんは、疎遠になっていったといいます。
というのも、小西博之さんは、2005年に末期ガン(腎臓ガン)を宣告されて手術を受け、手術は成功したものの、翌2006年には妻と離婚するなど、プライベートな問題が重なっていたそうで、
“自分自身が生きるだけで精一杯”という状態だったのだそうです。
清水由貴子が自殺
そんな中、清水由貴子さんは、2007年に芸能界を引退し、本格的に母親の介護を続けていたそうですが・・・
2009年4月20日、父親が眠る墓石の前で硫化水素により自殺。
ちなみに、理由は介護疲れとみられ、傍らで車椅子の母親が意識不明の状態で発見されたのでした。
(母親はこの時は命は取り留めたものの、翌2010年に死去しています)
小西博之は清水由貴子の訃報に接し怒りのコメントを発表し激しいバッシングに遭っていた
この悲報を、和歌山での講演会から東京に帰る時、新幹線の中で知ったという小西博之さんは、
師匠である萩本欽一さんに、
お前が各局回って来い。何をしゃべってもいいからお前なりの表現で話して来い
と、言われたそうで、
翌日の2009年4月21日、マスコミに対し、
死んだらアカン、ボケ!
デビューのころからお母さんと妹の面倒を見ていた。家も建てて頑張っていたのに。一緒に営業に行っても、僕のお母さんみたいだった。お父さんのところへ行こうとしたんだろうか。腹が立ってしょうがない。
『天国で安らかに』なんて言わない。僕も4年前に末期がん(腎臓がん)を宣告されたけど、乗り越えてきた。自ら命を絶ったらアカン。安らかに眠るな、はよ降りてこいと言いたい
と、怒りを滲(にじ)ませながら語ったのですが・・・
マスコミからは、”薄情者”扱いされ、激しくバッシングされたのでした。
小西博之が清水由貴子の訃報に接し怒りのコメントを発表した真意とは?
ちなみに、小西博之さんは、後年(2018年)のインタビューで、
でも、わかってくれない人はいい。わかってくれる人だけでいいと思ったので、新聞社の人にも『怒ってるって書いて。冥福なんて絶対に祈らないって書いて』って言ったんです。
やっぱりファンの人は引きずるし、介護している人はいっぱいいるじゃないですか。しんどくなったとき、『じゃあ、死んじゃおうか』なんて思わないように怒った。
でも、あの年の「ウザい芸能人ランキング」で3位に入ってました。「友達が死んだのに何で死んだんや」って
と、怒りに声を震わせながら涙ながらに語っています。
また、「欽ちゃんファミリー」の盟友・風見しんごさんは、
前日の夜、コニタンから電話があったんですよ、『コメントするの、オレでいいのか』って。
字面だけだとキツく受け取られますけれども、生きられないかもしれない中で、生きることにもがいたコニタンが、悲しみのどん底で悩んで悩んで悩んだ末に選んだ、正直な言葉だったと思います
と、小西博之さんの気持ちを慮(おもんぱか)っています。
小西博之が清水由貴子の葬儀を欠席し墓参りにも行かなかった理由とは?
また、小西博之さんは、その後、清水由貴子さんの通夜や葬儀にも一切出席していなかったほか、お墓参りにも一度も足を運んでいなかったそうですが、
小西博之さんは、その理由を、
僕はユッコ(由貴子)ちゃんに助けられたけど、僕はユッコちゃんを助けられなかった。それが悔しくて…
と、明かしており、
あまりの申し訳なさから、清水由貴子さんに顔向けができなかったからだといいます。
小西博之は清水由貴子の7回忌に初めてお墓参りに行っていた
それでも、小西博之さんは、清水由貴子さんが他界されて6年が経った2015年、テレビ番組「爆報!THE フライデー」の密着取材をきっかけに、清水由貴子さんの7回忌で初めてお墓参りに行き、墓前に立つと、
話聞いてあげればよかった。ごめんな
と号泣し、
清水由貴子さんを気遣うことができなかった思いを伝えています。
小西博之は毎年、清水由貴子の墓参りに行くようになっていた
そして、小西博之さんは、この初めてのお墓参り以来、清水由貴子さんの命日には、毎年、お墓参りをするようになったそうで、
今も目を閉じると聞こえてくるという清水由貴子さんの、
私たちの仕事は、お客様に夢と希望を与えること
という声に対し、
ユッコとの約束をオレはしっかり守るで、見とってや
と、お墓に向かって語りかけているといいます。
また、小西博之さんは、
お墓の場所がちょうど富士山が見えるいい場所なんですよ。亡くなったのが4月だから桜が満開でね。あんなに頑張っていたのに、自殺で死ぬなんてアカンって
と、共に時代を駆け抜けたかつての相棒に対し、今も消えないやりきれない思いを語っています。
「小西博之の前妻との離婚理由は?再婚してる?子供は息子が2人!娘も?」に続く
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2005年、末期の腎臓ガンと診断され余命宣告を受けるも、10時間に及ぶ手術により奇跡的に生還し、以降、タレント活動をしつつ、ガンをテーマにした講演活動も積極的に行っているという、小西博之(こにし ひろゆき)さん。 そんな …







