2005年、末期の腎臓ガンと診断され余命宣告を受けるも、10時間に及ぶ手術により奇跡的に生還し、以降、タレント活動をしつつ、ガンをテーマにした講演活動も積極的に行っているという、小西博之(こにし ひろゆき)さん。
そんな小西博之さんは、結婚を1回、離婚を1回し、また、再婚の噂もあるようです。
今回は、小西博之さんの、前妻(最初の妻)と離婚に至った経緯、離婚理由、再婚の噂、子供についてご紹介します。

「小西博之が清水由貴子の自殺に怒りのコメントをし葬儀も欠席した理由とは?」からの続き
小西博之の前妻は?
小西博之さんは、1988年に、香さんという一般女性と結婚しています。
そして、結婚後は、男の子2人に恵まれたそうですが・・・
1998年に小西博之さんが家を出る形で別居となると、最終的には2006年に離婚が成立したといいます。
小西博之の前妻との離婚理由は?
気になる離婚理由ですが、2005年頃の週刊誌で香さんが語ったところによると、
小西博之さんが家を出る前年の1997年9月頃から、無言電話が増えていたそうで、
小西博之さんが家を出た後、話し合いの機会を持った際には、
(小西博之さんが家を出る際、家の口座から約400万引き出されたそうです)
小西博之さんは、
好きな人ができたので
と、土下座して涙を流したとのことで、
小西博之の浮気とされています。
ただ、小西博之さんはというと、離婚の際、香さん側の要求を全て受け入れて解決していたにもかかわらず、なぜ、今さらそんなことを言うのかと困惑したといいます。
それでも、子供たちのことを考え、当時は一切反論せず沈黙を守ったといいます。
ちなみに、「週刊現代」が「スクープ NHK『北条時宗』に出演 あの小西博之が家庭内暴力で離婚へ!」とのタイトルで記事を掲載するほか、
インターネット上でも、「離婚の原因は小西博之さんのDV(暴力)だったのではないか」という噂が一部で流れたことがあったそうですが、
DVについては、香さんも語っておらず、DVの事実は確認されていません。
小西博之は前妻から離婚調停が申し立てられ養育費を支払っていた
さておき、別居後の2002年頃には、香さん側から「養育費および慰謝料の支払い」を条件とした離婚調停が申し立てられたそうで、
小西博之さんは、2004年末に末期の腎臓ガンが発覚し、その後、手術・闘病などが重なったこともあり、結果的には、実質的に慰謝料が上乗せされた養育費(あるいは養育費という名目で解決金を含めて一括・定期で支払われる)形をとったとされています。
また、小西博之さん側は離婚成立にあたり、香さん側の金銭的要求をすべて受け入れたとされています。
小西博之は再婚してる?
小西博之さんは、香さんと離婚後、浮気相手の女性と再婚(or事実婚)し、娘が1人誕生しているという噂がありますが、真偽は不明です。
また、その女性は、現所属事務所の社長で、浮気当時、既婚者で男の子のお母さんだったとも言われていますが、これも真偽は不明です。
小西博之の子供は?
少なくとも、小西博之さんは、前妻・香さんとの間に、男の子が2人誕生しており、
長男は沖縄の福祉施設で介助の仕事をし、次男は自衛官で、東日本大震災の後、東北の被災地で救助活動に携わっていたといいます。
ただ、小西博之さんは、前妻と離婚してから(離婚当時、長男は中学3年生、次男は中学1年生)、子供たちと交流がなかったそうですが、
2011年に東日本大震災が起き、小西博之さんが復興支援チャリティーイベント『被災地に届け!いのちのうた』を主催し活動していると、
そのことをニュースで知った次男から、
世界でたった1人の父親だから、会いたくなりました
と、連絡が来たといいます。
こうして、小西博之さんは、家を出て以来、息子さん2人と13年ぶりに再会を果たし、以降、息子さんたちとは親密に交流を続けているそうで、
小西博之さんは、息子さんたちと再会した時のことについて、
2人とも命を守る現場で頑張っていたんです。もう、うれしくて、“立派になったな”って大泣きしたら、“オヤジの泣き虫は変わらんな”って笑われました
と、喜びを語っています。
さて、いかがでしたでしょうか。
小西博之さんの、
- 小西博之の生い立ちは?高校時代は教師志望!大学時代は野球部⇒演劇部!
- 小西博之のプロフィール
- 小西博之は幼少期は体格に恵まれるも気が弱く泣き虫だった
- 小西博之は小学4年生の時にクラスで一番強いと周囲に認められ内面も強くなっていた
- 小西博之は中学1年生の時に尊敬できる担任の先生に出会っていた
- 小西博之は高校時代も素晴らしい先生と出会っていた
- 小西博之は中京大学に進学後は野球部に入部するもすぐに演劇部に転部していた
- 【画像】小西博之の若い頃は欽ちゃんファミリー!現在までの経歴は?
- 小西博之は大学進学後は演劇部に所属しテレビドラマや舞台に脇役として出演していた
- 小西博之は大学3年生になると俳優業を封印し学業に専念していた
- 小西博之は大学3年生の時にNHKドラマ「中学生日記」に出演していた
- 小西博之は大学4年生の時に教員採用を見送られていた
- 小西博之は大学卒業後にローカルバラエティ番組「ジョークドキュメントBBS放送局」に出演し人気を博していた
- 小西博之は人気を博す中、高校教師に採用されるまで、特別支援学校の職員になろうと決めていた
- 小西博之は23歳の時、「欽ちゃんの週刊欽曜日」のオーディションで一旦は不合格となるも一転合格となっていた
- 小西博之は23歳の時に「欽ちゃんの週刊欽曜日」にレギュラー出演し人気を博していた
- 小西博之はタレントとして人気を博すも、教師になる夢を捨てきれずにいた
- 小西博之は24歳の時に清水由貴子とのデュエット曲「銀座の雨の物語」がヒット
- 小西博之は26歳の時に「ザ・ベストテン」の男性司会者に抜擢されていた
- 小西博之は27歳の時に「スポーツマンNo.1決定戦」で総合5位の成績を収めていた
- 小西博之は41歳、48歳~50歳の時にウルトラマンシリーズに出演していた
- 小西博之は45歳の時に末期の腎臓ガン(腎細胞ガン)と診断されていた
- 小西博之の現在は?
- 【画像】小西博之の出演ドラマ映画バラエティCMラジオは?著書は?
- 小西博之の出演作品(テレビドラマ)
- 小西博之の出演作品(映画)
- 小西博之の出演作品(Vシネマ)
- 小西博之の出演作品(バラエティ番組)
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- 小西博之の出演作品(ラジオ)
- 小西博之のディスコグラフィー(シングル)
- 小西博之の著書
- 小西博之は萩本欽一により週刊欽曜日を不合格から一転合格にされていた!
- 小西博之は萩本欽一に誘われ東京のスタジオでの稽古を見学するようになっていた
- 小西博之は萩本欽一のオーディションで一旦は不合格となっていた
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- 小西博之は「欽ちゃんの週刊欽曜日」でブレイクしていた
- 小西博之は「欽ちゃんの週刊欽曜日」でブレイクした後も学校の先生になる夢を捨て切れずにいた
- 小西博之は萩本欽一の言葉で芸能人として生きていく覚悟を決めていた
- 小西博之は萩本欽一の教えに支えられて末期ガンを克服していた
- 小西博之と萩本欽一は温かく固い絆で結ばれていた
- 小西博之の病気は?腎臓(末期)ガンで余命ゼロ宣告を受けていた!
- 小西博之はガン発覚の1年ほど前から体調不良に悩まされていた
- 小西博之は大量の血尿が出ていた
- 小西博之は大学病院でガンの可能性98%と告げられていた
- 小西博之は腎臓ガンで余命ゼロを宣告されていた
- 小西博之は左の腎臓とリンパ節と肋骨2本の切除手術(10時間)を受けていた
- 小西博之の手術直後、医師から事務所のスタッフだけに余命宣告されていた
- 小西博之は腎臓ガンの手術から9日後には無事退院していた
- 小西博之は腎臓ガンが再発することなく手術から5年後に完治していた
- 小西博之が清水由貴子の自殺に怒りのコメントをし葬儀も欠席した理由とは?
- 小西博之は清水由貴子とは「欽ちゃんの週刊欽曜日」で共演し”かけがえのない相棒”のような存在になっていた
- 小西博之にとって清水由貴子は叱ってくれたり励ましてくれる母親のような存在だった
- 小西博之と清水由貴子は疎遠になっていた
- 清水由貴子が自殺
- 小西博之は清水由貴子の訃報に接し怒りのコメントを発表し激しいバッシングに遭っていた
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- 小西博之が清水由貴子の葬儀を欠席し墓参りにも行かなかった理由とは?
- 小西博之は清水由貴子の7回忌に初めてお墓参りに行っていた
- 小西博之は毎年、清水由貴子の墓参りに行くようになっていた
- 小西博之の前妻との離婚理由は?再婚してる?子供は息子が2人!娘も?
- 小西博之の前妻は?
- 小西博之の前妻との離婚理由は?
- 小西博之は前妻から離婚調停が申し立てられ養育費を支払っていた
- 小西博之は再婚してる?
- 小西博之の子供は?
について、ご紹介しました。
少年時代は泣き虫で気の弱い少年ながら、ひょんなきっかけで克服すると、その後も、教師になる夢の代わりに芸能界で成功し、その後、末期ガンが発覚するも、これも克服するほか、離婚して断絶されていた子供たちとの交流も再開するなど、全ての逆境を力に換えてきた小西博之さん。
そんな小西博之さんは、現在は、命の大切さを伝える講演や教育活動にも力を注いでいるといいますが、きっとその経験で多くの人々の力となるに違いありません。
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1982年、23歳の時、バラエティ番組「欽ちゃんの週刊欽曜日」のレギュラーに抜擢されると、たちまち人気を博し、その後は、「ザ・ベストテン」の司会でお茶の間の顔として広く知られるようになった、小西博之(こにし ひろゆき)さ …







