1982年、23歳の時、バラエティ番組「欽ちゃんの週刊欽曜日」のレギュラーに抜擢されると、強面とは裏腹な温厚なキャラクターでお茶の間で人気を博した、小西博之(こにし ひろゆき)さんですが、
実は、オーディション当日には不合格を言い渡されるも、翌朝、急遽呼ばれ、合格になっていたといいます。
今回は、小西博之さんと萩本欽一さんの出会い、オーディションで不合格から合格になった理由、現在の小西博之さんと萩本欽一さんの関係などを、エピソードを交えながらご紹介します。

「【画像】小西博之の出演ドラマ映画バラエティCMラジオは?著書は?」からの続き
小西博之は萩本欽一に誘われ東京のスタジオでの稽古を見学するようになっていた
学校の先生を志していたという小西博之さんは、大学4年生の春の教育実習では手応えを掴むも、同年7月には生徒減少を理由に教員の採用を見送られてしまったことから、大学卒業後は、就職浪人したそうで、
生活費を稼ぐため、アルバイトで牛丼店「吉野家」の深夜の店長をしていたそうですが、そのかたわら、ローカルバラエティ番組「ジョークドキュメントBBS放送局」に出演すると、人気を博したそうで、
ある日、「ジョークドキュメントBBS放送局」の放送作家から、
萩本さんに会ってこい
と、萩本欽一さんに会うように勧められたことから、
大スターの欽ちゃんに会える!
と、大喜びで東京のスタジオへ遊びに行ったといいます。
そして、萩本欽一さんのコントの稽古を見学し終わり、帰り際、萩本欽一さんに挨拶に行くと、
萩本欽一さんからは、
次もおいで
と、言われたそうで、
それからというもの、小西博之さんは、毎月、萩本欽一さんのコントを見学しに上京するようになったそうです。
小西博之は萩本欽一のオーディションで一旦は不合格となっていた
そんな中、半年後、いつものように稽古を見学に訪れると、スタジオはオーディション会場になっていたそうで、
(候補者の中には風見しんごさんもいたそうです)
小西博之さんも急遽(きゅうきょ)これに参加することになったそうですが、体育会系の小西博之さんは、何を聞かれても「はい!」と答えるだけだったそうで、
(小西博之さんは、萩本欽一さんに会いたくてスタジオに来ていたことから、オーディションで目立とうとは全く思っていなかったそうです)
オーディションが終わると、萩本欽一さんに、(萩本欽一さんのコントに合わないと思われたのか)
小西、ごめん、今日で終わり
と、言い渡されたのだそうです。
ちなみに、風見しんごさんは、オーディション会場での小西博之さんについて、
萩本さんはコニタンを“ウシ”って呼びましたよ(笑)。ゴツい兄ちゃんがボーッと突っ立っているから、僕も最初は大道具さんが仕事もしないでこっちを見ているだけかと思いました
と、語っています。
小西博之は萩本欽一のオーディションで不合格から一転合格となっていた
こうして、その後、名古屋に帰った小西博之さんは、その足で吉野家の深夜アルバイトに向かったそうですが・・・
アルバイトが終わった翌朝、TBSのプロデューサーから
欽ちゃんが呼んでいる
と、連絡が入り、東京に呼び戻されたそうで、
急いで新幹線に乗り、萩本欽一さんの自宅を訪ねると、
萩本欽一さんから、
やっぱり(レギュラーとして)合格。来週から木曜は吉野家、休むんだよ
と、言われたのだそうです。
(本番の前日の木曜日からリハーサルが始まるため)
この急展開に、小西博之さんは驚いたそうですが、断る理由がなく、二つ返事で引き受けたそうで、1982年、キー局の新番組「欽ちゃんの週刊欽曜日」で全国デビューを果たしたのでした。
小西博之が萩本欽一のオーディションで不合格から一転合格となった理由とは?
ちなみに、萩本欽一さんは、2017年のインタビューで、小西博之さんを不合格から一転して合格にした理由について、
僕ね、『不合格』と言われてスタジオを去っていくときの小西の姿をずっと覚えてるの。てくてく歩いてスタジオを出た小西に、作家の大岩(賞介)が声をかけて。
離れているから会話は聞こえないんだけど、落ちた小西が、デカい声で『大丈夫ですよ。ありがとうございます』って、笑顔で逆に大岩を励ましてるの。
人はね、『不合格』など、ダメになったときに、その人の本性が現れる。小西は最後の最後に、自分じゃなく他人への思いやりがあったんだよ。あの笑顔が忘れられなくてね。名古屋に帰った小西を、すぐに呼び戻したの
と、明かしています。
小西博之は「欽ちゃんの週刊欽曜日」でブレイクしていた
ただ、萩本欽一さんの稽古は厳しく、小西博之さんは何度もダメ出しされたそうで、稽古が終わってへとへとになってからも反省会は3時間も行われたといいます。
それでも、小西博之さんは、メンバーたちと切磋琢磨しながら個性を磨くと、やがて、風見しんごさん、佐藤B作さん、清水由貴子さんらとともに結成された「欽ちゃんバンド」は番組の人気コーナーになり、
「僕笑っちゃいます」で歌手としてソロデビューした風見しんごさんが、「ザ・ベストテン」に初登場した際には、
小西博之さんは、佐藤B作さんと共に応援に駆けつけ、緊張でガチガチになった風見しんごさんと佐藤B作さんをよそに、司会の久米宏さんと黒柳徹子さんを相手によくしゃべり、アドリブまで飛ばすまでになっていたといいます。

(前列左から)風見慎吾さん、萩本欽一さん、清水善三さん(後列左から)天園翔子さん、佐藤B作さん、小西博之さん、清水由貴子さん。
小西博之は「欽ちゃんの週刊欽曜日」でブレイクした後も学校の先生になる夢を捨て切れずにいた
実は、小西博之さんは、本番ではいつも頭の中で「ロッキーのテーマ」を流し、自分を奮い立たせていたそうですが、
気がつくと、車の中でこっそりと社会科の問題集を広げるなど、教師になる夢が捨てきれず、学校の先生になるか、このまま芸能活動を続けるか、激しく心が揺れていたといいます。
小西博之は萩本欽一の言葉で芸能人として生きていく覚悟を決めていた
そんな中、小西博之さんは、1983年8月20日には、萩本欽一さんが司会を務める「24時間テレビ 愛は地球を救う」で、地元・名古屋での握手会に参加すると、
会場には小西博之さんを目当てにした大勢のファンが駆けつけており、
その中の松葉杖をついた一人の女子高生が、小西博之さんに、
コツコツ貯めた5円玉の募金をどうしても手渡したくて一生懸命歩いてきました
5円玉にはご縁があるから、また来年もコニタンに会いにくるね
と、明るい笑顔を見せると、
小西博之さんは、何気にその女子高生の後ろ姿を見送っていたそうですが、
付き添っていたお母さんが涙を流しながら、
来年はありません
と、言ったそうで、
(実は、その女の子は骨肉腫を患っており、本来なら4月の時点で亡くなっていてもおかしくない状態だったそうですが、それでも「コニタンに会うんだ」という一心で、4か月間も必死に生き抜いていたのだそうです)
思いもよらない事実を聞き、小西博之さんはその場で泣き崩れてしまったといいます。
すると、萩本欽一さんが小西博之さんの肩をポンポンと優しく叩き、
芸能人っていいだろ?
と、声をかけてくれたそうですが、
小西博之さんが、
芸能人が何や、自分はあの子に何もしてやることができないやないか
と、胸の中で激しく抵抗し、首を大きく横に振ると、
次の瞬間、萩本欽一さんから、
バカモン! 小西があの子に希望を与えたんだぞ。医者にもできないことをお前はやったんだ!
と、これまで聞いたこともないような怒鳴り声が飛んできて、
その後、
それでも先生になるほうがいいか?
と、静かに問いかけられたそうで、
小西博之さんは、萩本欽一さんに自身の心の奥底にある迷いを見透かされたことにハッとし、この日を境に、「先生への憧れ」という無欲で不確かな思いから、「芸能人として生きていく」という強い覚悟へと変わったのだそうです。
小西博之は萩本欽一の教えに支えられて末期ガンを克服していた
ちなみに、小西博之さんは、それから21年後の2004年、腎臓(末期)ガンに罹患していることが判明し、医師から「余命ゼロ」と宣告されるも、厳しい手術を乗り越えて見事に生還すると、
その後、転移や再発もなく、手術から5年後には、医師から「完治」のお墨付きをもらったといいますが、
闘病中、小西博之さんを支えたのは、萩本欽一さんの、
人生は50対50。幸せも不幸せも同じようにくるんだよ。でも悪いことも受け入れるんだよ。そうすればいつか必ず良いほうに転じるからね
という教えだったそうで、
小西博之さんは、そのことについて、
人は悪いことが起きることを「避けたい」「受け入れたくない」と思うが、欽ちゃんは、「悪いことにあったり、失敗したら、落ち込め、泣け、受け入れろ」と言っていた。
そうしないとその体験から学べませんから。20代の僕はその意味を十分理解できていなかったのですが、40代で病気になって、ようやくその意味が分かったんです。
幸せも不幸も同じように訪れるという萩本さんの言葉には先があるんです。何度も言われましたよ、幸運をつかむには努力という台の上に乗っていないとダメなんだ、と
と、語っています。
そして、萩本欽一さんからは、言葉の持つ力についても教わったそうで、
萩本欽一さんは、しばしば、
いつも良い言葉を使いなさい
と、言っていたといいます。
それは、
根拠なんてなくても物事を前向きに考えると人の脳は潜在能力を発揮する
という意味で、現在は、科学的にも証明されているそうですが、
萩本欽一さんは、それよりずっと以前から、言葉の持つ力について知っていたそうで、
小西博之さんは、
やはり師匠は偉大です
と、萩本欽一さんへの尊敬の念を語っています。
小西博之と萩本欽一は温かく固い絆で結ばれていた
そんな小西博之さんは、2017年に行われた萩本欽一さんとの対談でも、腎臓(末期)ガンからの奇跡的な生還劇を振り返り、
絶望的な状況に直面しながらも心を支えたのは、萩本欽一さんから学んだ「ポジティブな人生訓」で、病気を拒否せず、受け入れ、医師と強い信頼関係を築くことで、病気を乗り越えたことを語ると、
萩本欽一さんも、
ガンさえもコントのように笑いに変えてしまう
と、小西博之さんのその前向きな姿勢を絶賛し、
言葉が持つ力の大切さを語りかけながら、小西博之さんを労(ねぎら)っており、
小西博之さんと萩本欽一さんが、温かく固い絆で結ばれていることが分かります。
「小西博之の病気は?腎臓(末期)ガンで余命ゼロ宣告を受けていた!」に続く

小西博之さん(左)と萩本欽一さん(右)。
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