1979年、「劇団東京ヴォードヴィルショー」に入団し、舞台を中心に活動する中、1981年、26歳の時、バラエティ番組「欽ドン!良い子悪い子普通の子」から誕生したユニット「イモ欽トリオ」として「ハイスクールララバイ」でレコードデビューすると、
160万枚を売り上げる大ヒットとなって、たちまち人気アイドルの座に駆け上がった、山口良一(やまぐち りょういち)さん。
今回は、そんな山口良一さんの若い頃(「劇団東京ヴォードヴィルショー」入団以降)から現在までの経歴を時系列でご紹介します。

「山口良一の生い立ちは?幼少期は?高校時代には桂米朝に弟子入り志願!」からの続き
山口良一は24歳の時に「劇団東京ヴォードヴィルショー」に第1期研究生として入団していた
山口良一さんは、高校卒業後、呉服店「きものやまと」に就職すると、大阪の梅田店に半年間勤務した後、異動となり、広島駅ビル店(後のASSE)でも半年勤務したそうですが、
その後、退職すると、1974年、19歳の時には上京し、1977年、22歳の時、「東映演技研修所」に入所し2年間レッスンを積んだ後、1979年、24歳の時、「劇団東京ヴォードヴィルショー」に第1期研究生として入団したそうです。
ちなみに、山口良一さんは、
(2020年時点で「劇団東京ヴォードヴィルショー」に)41年もいるんですけど、ハッと思ったのは、役者に向いてないんじゃないかって。
こう言うと語弊(ごへい)があるんですけれども、向いてる向いてないっていうよりも、他の役者さんほど僕は演劇にときめいていない気がするんですよね。
普通、役者さんてお芝居が大好きじゃないですか。演じるということが。でも、僕がヴォードヴィルに入ったのは、演劇が好きで入ったんじゃないなと思ったんですよ。
当時のヴォードヴィルって、演劇じゃなくてもうバカなんですよ。バカバカしいことをみんなでやっているのがひとつのお話になっている。だから演劇ではない。それが好きで入っている。
と、語っています。

2006年「東京ヴォードヴィルショー『エキストラ』」より。(左から)山口良一さん、はしのえみさん、佐藤B作さん、角野卓造さん、あめくみちこさん。
山口良一は26歳の時に「欽ドン!良い子悪い子普通の子」のヨシ夫(良い子)役でお茶の間の人気を博していた
さておき、以降、山口良一さんは、「劇団東京ヴォードヴィルショー」の舞台を中心に活動していたのですが、
1981年、26歳の時、当時、「劇団東京ヴォードヴィルショー」と交流があった、萩本欽一さんの番組を手掛ける構成作家集団「パジャマ党」に誘われてオーディションに参加すると、
山口良一さんいわく、
オーディションに呼ばれて、別に良い子、悪い子、普通の子とかはなくて、ただ普通のオーディションだったと思います。当日、呼ばれた人は全員、『良い、悪い、普通』を順番に、とにかく永遠にやらされていたという感じですね
だったそうですが、見事、合格したそうで、
同年4月、萩本欽一さんのバラエティ番組「欽ドン!良い子悪い子普通の子」のヨシ夫役(良い子)で出演すると、一躍、お茶の間の人気を博したのでした。

「欽ドン!良い子悪い子普通の子」より。(左から)長江健次さん、西山浩司さん、山口良一さん、萩本欽一さん。
山口良一は「欽ドン」内ユニット「イモ欽トリオ」としてデビューシングル「ハイスクールララバイ」が累計160万枚売り上げる大ヒット
さらに、同年8月5日には、「欽ドン!良い子悪い子普通の子」内で結成された、西山浩司さん(ワルオ役)、長江健次さん(フツオ役)とのユニット「イモ欽トリオ」として、
当時流行していたテクノポップを取り入れたファーストシングル「ハイスクールララバイ」でレコードデビューすると、
累計160万枚を売り上げる大ヒットを記録し、山口良一さんもたちまち大ブレイクを果たしたのでした。

「ハイスクールララバイ」
ちなみに、イントロの振り付けは、長江健次さんのレコーディング中、暇だった山口良一さんと西山浩司さんがふざけて「YMO」の演奏をマネして遊んでいると、ガラスの向こうにいたディレクターに大いにウケ、
それいいね、イントロのフリで使おう
と言われて、採用されたそうですが、
沢田研二さんにも褒められたそうで、山口良一さんは、
(振り付けは)面白かったです。沢田研二さんにも褒められましたよ、ラジオで。『すばらしいね、あの振りは。プロじゃ思い付かないね』って言われて。お褒めの言葉としていただいておきましょうって(笑)
と、語っています。
(今では当たり前となっていますが、「イモ欽トリオ」は、バラエティー番組から生まれた企画ユニットの先駆け的存在だったようです)

「イモ欽トリオ」。(左から)山口良一さん、長江健次さん、西山浩司さん。
山口良一が28歳の時、実質的に「イモ欽トリオ」は活動を終了していた
ただ、その後、「イモ欽トリオ」は、翌年の1982年3月21日には、2枚目のシングル「ティアドロップ探偵団」をリリースすると、約20万枚の売上を記録するも、前作より大きく落とし、

「ティアドロップ探偵団」
さらには、同年(1982年)9月、フツオ役の長江健次さんが脱退し、後藤正さんが2代目フツオ役となると、1983年1月1日にリリースした3枚目のシングル「ティーンエイジ・イーグルス」は、3.5万枚の売上に終わってしまい、

「ティーンエイジ・イーグルス」
これを最後に、「イモ欽トリオ」の音楽活動は幕を閉じています。
(「欽ドン!良い子悪い子普通の子」も、1983年9月、「欽ドン!良い子悪い子普通の子おまけの子」にリニューアルされています)
また、1983年5月には、後藤正さんが番組を降板(芸能界からも引退)し、その後、一般募集のオーディションで境田晃一さんが3代目フツオに選ばれるも、やはり人気はパッとせず、
「イモ欽トリオ」の活動は、徐々に番組以外ではなくなっていき、1985年5月には、「欽ドン!良い子悪い子普通の子おまけの子」の放送も終了したのでした。
(近年は、たびたび、初期メンバーで「イモ欽トリオ」を再結成して「ハイスクールララバイ」を披露しています)

2026現在の「イモ欽トリオ」(左から)山口良一さん、長江健次さん、西山浩二さん。
山口良一の現在は?
その後、山口良一さんは、再び、舞台を中心に活動するかたわら、1987年~2000年には「クイズところ変れば!?」の司会、1989年から2026年現在まで情報番組「噂の!東京マガジン」でレポーター、そのほか、ラジオのパーソナリティなど、幅広く活動しています。

「噂の!東京マガジン」より。
また、現在は、趣味で落語家としても活動し、「コント赤信号」の小宮孝泰さんが主宰する役者の落語会『「ごらく亭」の夏休み』などの舞台に定期的に出演しているといいます。
山口良一の病気は糖尿病?
ちなみに、山口良一さんは、自身のSNSで、月一回、糖尿病の定期検診を受けていることを明かしているのですが、
お父さんを糖尿病で亡くされたことをきっかけに「糖尿病について詳しく学びたい」と考え、「第4回日本健康マスター検定」のベーシック・コースを受講し、合格したそうで、
父の辛さをあらためて感じました。 症状がない「未病」のうちに早期発見し、改善を心がけることがどれほど大切なのか、テキストを読んでよく理解できました。
と、語っており、
普段から健康管理や生活習慣の改善に気をつけて生活しているとのことです。
「【画像】山口良一の出演ドラマ映画CMバラエティは?ディスコグラフィーは?」に続く
イモ欽トリオ / ハイスクールララバイ
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バラエティ番組「欽ドン!良い子悪い子普通の子」で結成されたユニット「イモ欽トリオ」のヨシオ(良い子)役で人気を博すと、その後、「クイズところ変れば!?」や「噂の!東京マガジン」などの司会者としてもお茶の間で人気を博した、 …







