17歳のとき、銀座のシャンソン喫茶「銀巴里」で歌手としての才能を開花され、その後、多くの文化人を虜にされた、歌手で俳優の美輪明宏(みわ あきひろ)さん。2015年には、「第66回NHK紅白歌合戦」で、「ヨイトマケの唄」を披露され、日本中を感動の渦に巻き込まれました。
プロフィール
三輪さんは、1935年5月15日生まれ、
長崎県長崎市のご出身です。
身長161センチ、
体重52キロ、
血液型はA型、
学歴は、
国立音楽大学附属高校中退、
だそうです♪
子ども時代
三輪さんのお父さんは、長崎市内の遊郭街で、
カフェを経営されていたのですが、
1941年、戦争の色合いが濃くなると、
英米文化であるカフェは、閉店せざるを得なくなり、
金融業に転身。
それでも、美輪さんは、
裕福な少年時代を過ごされていたそうですが、
1945年、美輪さんが10歳の時
長崎に原爆が投下されてしまいます。
美輪さんは、爆心地から、
4キロ離れた自宅におられたそうで、
被爆してしまい、その後、吐血などの、
原爆症に苦しめられることになるのでした。
歌手を志す
そんな美輪さんは、終戦後、
映画を見ていた際、
出演されていた加賀美一郎さんの、
ボーイ・ソプラノに感銘を受け、
声楽とピアノのレッスンを始めることに。
15歳の時、歌手を目指すため上京し、
音楽学校に通われたのでした。
音楽学校を中退
しかし、美輪さんが実家に帰られた時、
お父さんが、生活苦の親戚を、
見捨てる姿を目撃するのですが、
美輪さんは、これが許せず激怒。
大喧嘩の末に、お父さんから勘当されてしまい、
仕送りも止められてしまったのでした。
そして、経済的に困窮した美輪さんは、
音楽学校を中退し、
進駐軍のキャンプでジャズを歌ったり、
バーテンダー、ゲイバーなど、
様々な職を経験されたのだそうです。
歌手デビュー
実は、美輪さんは、この頃、
なんと、新宿駅の地下で、
ホームレスをしていたのですが、
1952年、17歳の時、
銀座のシャンソン喫茶「銀巴里」で、
美少年募集の張り紙を見て応募されると、見事合格。
美輪さんは、「銀巴里」と専属契約を交わし、
歌手デビューを果たされたのでした。
「銀巴里」時代の美輪さん。
その後、歌手としての才能を開花させ、
次第に人気を博していくと、
三島由紀夫さん、吉行淳之介さん、寺山修司さんなど、
文化人から絶大な支持を得るようになったのでした。
「メケメケ」で大ブレイク!
そして、美輪さんは、
1957年、22歳の時、
フランスのシャンソン「メケメケ」を、
日本語でカバーすると、大ヒット。
その妖艶なルックスと、
ユニセックスなファッションで、
「メケメケ」を歌い上げる美輪さんの姿は、
三島由紀夫さんに、
「天上界の美」と言わしめ、
マスコミには、
「神武以来の美少年」と評されたのでした。
低迷
しかし、「メケメケ」のブームは、
一年ほどで去ってしまいます。
そのうえ、美輪さんが、
同性愛者であったことや、
美輪さん自ら和訳された、
シャンソンの生々しい内容に世間は反発。
逆境の中、美輪さんは、
自ら作詞作曲を始めるのですが、
世間から理解を得られないまま、
不遇の時代を過ごされたのでした。
「ヨイトマケの唄」で再ブレイク!
その後、美輪さんは、
1965年、29歳の時、
小学校の同級生と、その同級生の、
脚が不自由な日雇い労働者の母親をテーマにした、
「ヨイトマケの唄」を発表。
当初は、世間の理解を得られなかったものの、
美輪さんは、信念を曲げずに歌い続けると、
翌年の1966年、30歳の時、
「ヨイトマケの唄」を、
ワイドショーで披露したところ、
たちまち、視聴者の支持を得て、
再ブレイクを果たされたのでした。
マルチな活動
美輪さんは、「ヨイトマケの唄」でのブレイク後は、
舞台にも参加するようになり、
1967年「毛皮のマリー」
「青森県のせむし男」
1968年「黒蜥蜴」
「双頭の鷲」
「椿姫」
などに出演。
また、映像作品でも、
1968年には、映画「黒蜥蜴」
1969年には、映画「黒薔薇の館」
1970年には、テレビ時代劇「雪之丞変化」で、
主演を務められたのでした。
以降、舞台・テレビ・映画・歌手・
演出家・作家・人生相談など、
様々な分野で才能を発揮されています。
三島由紀夫と?
そんな美輪さんを語るうえで、
欠かせないのが、
作家の故・三島由紀夫さんです。
美輪さんは、10代の頃、
三島さんと知り合われているのですが、
それ以来、お二人は、
会う回数を重ねるごとに、
お互いに、尊敬の念を、
抱くようになっていったそうで、
美輪さんは、早くから、歌手としての才能を、
三島さんに高く評価されており、
三島さんが脚本を書いた、舞台「黒蜥蜴」でも、
美輪さんは主演に抜擢されています。
「黒蜥蜴」より。美輪さんと三島由紀夫さん。
(ちなみに、この舞台は、三島さんも出演され、
大ヒットを記録しています。)
そんなお二人なので、
三島さんが結婚された後も、
美輪さんは三島さんの愛人ではないかと、
うわさされていたようですが、
美輪さんはこのことを完全否定。
美輪さんは、三島さんに、
「キミの唯一の欠点は俺にほれないことだ」
と、言われたことがあったことを、
明かされています。
三島さんとの関係が、
単なるうわさであることを証明するかのように、
美輪さんは、その頃、赤木圭一郎さんという、
若手俳優と交際されていたことを、
明かされているのですが、
赤木さんは、映画の撮影現場の休憩中に、
不慮の事故で亡くなっています。
赤木さんの死後、美輪さんは、悲しみのあまり、
「愛の賛歌」を歌うことができずにいると、
三島さんが叱咤激励してくれたそうですが、
その三島さんも、1970年、
自衛隊市ヶ谷駐屯地で、
割腹自殺をされています。
演説をされている三島さん。(この後、割腹自殺されています)
さて、いかがでしたでしょうか?
私たちには想像もできないような、
壮絶な半生を歩んでこられた美輪さん。
様々な人生経験をもとに、
スピリチュアルな観点からのアドバイスや、
人生相談が、多くの方の支持を、
得ているのも分かりますね。
多くの知識人を虜にした美少年も、
2016年で81歳。
これからもお体には気をつけて、
その独特の世界観で、
私達を魅了してほしいですね。
応援しています!!
https://www.youtube.com/watch?v=Wcw6vTqmXSo