石原裕次郎(いしはら ゆうじろう)さんといえば、誰もが知っている昭和のスーパースターですが、今回は、そんな裕次郎さんの、生い立ちからブレイクまでの経緯をご紹介します。
生まれは?身長は?本名は?
裕次郎さんは、1934年12月28日生まれ、
兵庫県神戸市須磨区のご出身、
身長178センチ、
股下80センチ、
血液型はA型、
学歴は、
慶應義塾大学中退、
趣味は、
食べること(懐石料理、カレーライス、ステーキ、葉山コロッケ)、お酒、タバコ、車で、
特に車は、メルセデスベンツ300SL(W198ガルウィングクーペ)、ロールスロイス・シルヴァースピリット、キャデラックなどの、高級外車を所有されていたそうです。
石原裕次郎記念館より。左がメルセデスベンツ300SL(W198ガルウィングクーペ)、
右がロールスロイス・シルヴァースピリット。
ちなみに、「石原裕次郎」は本名です。
高校の時はバスケットで五輪目指すもケガで断念
裕次郎さんは、高校生の時、バスケットボールの選手として、オリンピックを目指し活動していたのですが、1952年、高校2年生の時、練習中に左足を怪我してしまい、断念。
また、同年、突然、お父さんが亡くなるなど、続く不幸に大変落ち込まれたそうで、この頃から、裕次郎さんは、荒れ始め、女性、お酒、タバコに溺れ、麻雀、ヨット、喧嘩、ボクシングに明け暮れる毎日を送られたのだそうです。
兄・石原慎太郎原作の映画「太陽の季節」でデビュー
その後、詳しい経緯は分かりませんでしたが、裕次郎さんは、大学に進学すると、俳優を目指されたそうで、「東宝」「大映」「日活」のオーディションを受けられたのですが、すべて不合格。
そんな中、1955年、裕次郎さんのお兄さんである、石原慎太郎さんが、月刊誌「文學界」に発表した「太陽の季節」が、「文學界新人賞」と「第34回芥川賞」を受賞すると、
海辺で無秩序な行動をとる若者を意味する、「太陽族」という言葉が大流行して、一大センセーショナルが巻き起こり、翌年の1956年には、早速、「日活」が、映画化。
この作品に、裕次郎さんは、慎太郎さんの勧めで出演し、映画デビューを果たすと、大学のボクシング部の部員、という端役だったにもかかわらず、日本人離れした、すらりと高い身長などのルックス的な魅力に加え、堂々とした演技など、それまでの俳優にはない豪快な魅力で、たちまち脚光を浴びたのでした。
「太陽の季節」より。(左から)南田洋子さん、石原裕次郎さん、石原慎太郎さん。
「狂った果実」でスターダムに
そして、裕次郎さんは、同年7月、慎太郎さんが原案と脚本を担当された、映画「狂った果実」で、映画2作目にして主演を務めると、劇中、圧倒的な存在感を放ち、一躍、スターダムに。
(裕次郎さんは、この作品中、すでに大物スターの風格を漂わせていたそうです)
「狂った果実」より。石原裕次郎さんと北原三枝さん。
(裕次郎さんは、この映画で主題歌も担当され、歌手としてもデビューされています。)
「狂った果実」
その後も、裕次郎さんは、
「乳母車」(11月)
「地底の歌」(12月)
「月蝕」(12月)
「若ノ花物語」(12月)
「人間魚雷出撃す」(12月)
「ジャズ娘誕生」(12月)
と、続け様に出演されると、
「人間魚雷出撃す」より。
翌年の1957年には、
「勝利者」(5月)
「今日のいのち」(6月)
「海の野郎ども」(8月)
「鷲と鷹」(9月)
が、いずれも1億円を超える大ヒットを記録したのでした。
「今日のいのち」より。
「石原裕次郎は昔ブレイク中に失踪してた?結婚後も人気は衰えず!」に続く