1967年、映画「俺たちに明日はない」でヒロインのボニー役を演じ、一躍脚光を浴びられた、フェイ・ダナウェイさん。その後、一時低迷されましたが、1976年「ネットワーク」でアカデミー賞主演女優賞に輝かれています。


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プロフィール!

フェイさんは、1941年1月14日生まれ、
アメリカ合衆国フロリダ州のご出身です。

身長170センチ、

出身大学は、フロリダ大学、

本名は、
ドロシー・フェイ・ダナウェイ(Dorothy Faye Dunaway)

だそうです♪

少女時代~「A Man for All Seasons」に出演

フェイさんは、陸軍士官のお父さんと、
主婦だったお母さんの間に生まれ、

少女時代は、お父さんの任地の関係で、
転々とする生活を送られたそうですが、

高校を卒業されると、
教師になるためにフロリダ大学に入学。

その後、どのような経緯で、
女優を目指すようになったのかは、
分かりませんでしたが、

ボストン大学の演劇科で演技を学び、
1962年、米国演劇アカデミー製作の舞台、
「A Man for All Seasons」に出演されています。

女優デビュー

そして、3年後の1965年、
「A Man for All Seasons」で演出を務められた方の紹介で、
映画監督のエリア・カザンさんと知り合われ、

カザンさんの勧めで、
「リンカーン・センター・レパートリー・シアター」に入団。

同年、ウィリアム・アルフレッド原作の、
ブロードウェイの舞台「Hogan’s Goat」に出演されると、
好評を博したことから、同年、「Seaway」で、
テレビデビューを果たされています。

また、その後、映画プロデューサーの、
サム・スピーゲルさんに見出されると、

1967年、「真昼の衝動(The Happening)」で、
映画デビューも果たされています。

(一応、「真昼の衝動」が映画デビュー作とされていますが、
 それ以前にも、小規模な映画には出演されていたようです。)

「俺たちに明日はない」で脚光を浴びる

そんなフェイさんは、1967年、
映画「俺たちに明日はない(Bonnie and Clyde)」の、
ヒロイン、ボニー役に抜擢。

この作品は、実話を元に、
世界恐慌後で第二次世界大戦が起こる前の、
暗い時代(1930年代)を舞台として、

若いカップル、ボニーとクライドが、
盗んだ車で殺人と銀行強盗を繰り返し、
やがて破滅へと向かう姿を描いているのですが、

「俺たちに明日はない(Bonnie and Clyde)」より。
フェイ・ダナウェイさんとウォーレン・ベイティさん。

この映画で、製作兼クライド役を演じられた、
ウォーレン・ベイティさんが、

当初、ボニー役に、ご自身の恋人で、
女優のレスリー・キャロンさんを、
推薦されていたにもかかわらず、

監督のアーサー・ペンさんが、
フェイさんを抜擢されたそうで、

フェイさんは、その期待に見事応え、
いきなり、「アカデミー賞主演女優賞」にノミネート。

映画公開後は、フェイさんが、
劇中、身につけられていたベレー帽が大流行するなど、
人々に大きな影響を与えたのでした。

ちなみに、実在のボニーとクライドは、
犯罪者でありながら、支持した者が多く、
逃走中も多くの人にかくまわれていたそうで、

当時、禁酒法などで政府に苦しめられていた人々は、
警察(国家権力)を手玉に取る二人を、
英雄視していたようです。

低迷期、そして復活

その後、フェイさんは、
あまりに、ボニー役の印象が強烈過ぎたのか、
ヒット作品に恵まれなかったのですが、

ようやく、
1973年「三銃士」
1974年「タワーリング・インフェルノ」
1975年「コンドル」

「タワーリング・インフェルノ」より。
(左から)スティーブ·マックィーンさん、
フェイ・ダナウェイさん、ポール・ニューマンさん。

などの話題作に出演。

そして、1975年「チャイナタウン」で、
「アカデミー主演女優賞」にノミネートされると、

「チャイナタウン」より。
ジャック・ニコルソンさんとフェイ・ダナウェイさん。

続く、1976年「ネットワーク」では、
テレビ局の神経質でナルシストな重役を演じ、
「アカデミー主演女優賞」に輝かれたのでした。

「ネットワーク」より。

「最低女優賞」を受賞

しかし、1981年に、
「愛と憎しみの伝説(Mommie Dearest)」で、

養女を虐待する母親役を演じられると、
その演技があまりにも凄まじかったため、
フェイさんに批判が殺到。

「愛と憎しみの伝説(Mommie Dearest)」より。

アカデミー賞の真逆の賞で、最低な映画を表彰する、
「ゴールデンラズベリー賞(通称ラジー賞)」の、
「最低女優賞」を受賞するという、
不名誉な評価を受けてしまったのでした。

近年、そして現在

この映画で、フェイさんの輝かしいキャリアに、
傷がついてしまったのか、

以降、1980年代は、

「スーパーガール」のようなSFコメディや、
「ドーバー海峡殺人事件」のようなサスペンス物に、
出演されるも、パッとせず、

近年は、様々な映画で、
主に脇役として出演されています。

「スーパーガール」より。
フェイ・ダナウェイさんとヘレン・スレイターさん。

ちなみに、フェイさんは、
「カンヌ国際映画祭」がお好きなようで、

出演作品がなくても会場に出向き、
様々なイベントやパーティに出席。
その姿が目撃されています。

2011年5月、第64回カンヌ国際映画祭より。
ジェリー・シャッツバーグ監督とフェイ・ダナウェイさん。

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結婚は?

そんなフェイさんの、
気になるプライベートですが、

フェイさんは、1966年、
映画監督のジェリー・シャッツバーグさんと婚約されるも、

1968年、映画「恋人たちの場所」で共演された、
イタリアの俳優、マルチェロ・マストロヤンニさんと恋に落ち、
シャッツバーグさんとは別れられ、
1970年には、マストロヤンニさんとも破局。

フェイ・ダナウェイさんとマルチェロ・マストロヤンニさん。

その後、1974年には、ロックバンド「J・ガイルズ・バンド」の、
リード・ヴォーカル、ピーター・ウルフさんと結婚されるも、
5年後の1979年に離婚。

ピーター・ウルフさんとフェイ・ダナウェイさん。

さらに、1984年には、
写真家のテリー・オニールさんと再婚されるも、
1987年、またまた離婚されています。

テリー・オニールさんとフェイ・ダナウェイさん。

さて、いかがでしたでしょうか?

1960年代から1970年代の間、
クールビューティーとして名を馳せたフェイさんですが、

最近では、整形のしすぎによる、
顔面崩壊が話題となっていたり、

パーティーに計量器を持参し、
カロリー計算をした上で食されるなど、

ちょっと奇妙な行動が、
話題となっているようです。

正統派美女ではないけれど、
個性的な美しさを持っておられただけに、
とても残念ですが、

脇役としてでも、フェイさんらしい存在感を、
発揮されることを期待しています!

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