昭和を代表する銀幕のスターとして活躍された、萬屋錦之介(よろずや きんのすけ)さんですが、華やかな映画スターらしく、多くの女性たちに愛され、私生活も華やかだったようです。今回は、最初の奥さんである、有馬稲子さんについてご紹介ます。

「萬屋錦之介と美空ひばりは初対面では印象最悪も交際していた!」からの続き

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有馬稲子との馴れ初めは?

萬屋さんは、1961年に、女優の有馬稲子さんと結婚されています。

お二人は、映画雑誌「近代映画」の対談で知り合い、それから1年後には、内田吐夢監督映画「浪花の恋の物語」(1959)で共演されているのですが、

なんと、撮影が始まって10日目、突然、萬屋さんが結婚を前提にお付き合いをしたいと有馬さんにプロポーズされ、その後、すぐに、お母さんや兄弟に有馬さんを紹介されたのだそうです。

一方、有馬さんも、映画雑誌「近代映画」の対談準備のため、萬屋さん主演の映画「獅子丸一平」を見られた時から、萬屋さんの花のある役者ぶりに魅了されていたそうで、

萬屋さんと初共演した、大阪新町の遊女・梅川と飛脚問屋亀屋(ひきゃくどんやかめや)の養子・忠兵衛との悲しい恋を描いた、映画「浪花の恋の物語」では、撮影中、梅川になりきって演じられていたそうです。


有馬稲子さんと萬屋さん。

超豪華な結婚式

ちなみに、当時、すでにトップスターだったお二人の結婚式は華やかで、ウエディングケーキは、なんと2メートル、当時の値段で16万円だったそうです。

(現在の貨幣価値で換算すると64万円!)


入刀する萬屋さんと有馬稲子さん。

また、参列者も、当時の有名人・著名人ばかりということで、新聞には、「映画史上はじまって以来の盛大な結婚式」と報じられるほどだったそうです。


入刀する萬屋さんと有馬稲子さん。

さらに、萬屋さんのお父さん・三代目中村時蔵さんからは、京都に900坪の土地をプレゼントされると、そこには、150坪の豪邸を建て、プールと体育館まで作り、庭には有馬さんの大好きなバラを70種類も植えられるなど、幸せな新婚生活が始まったかと思われたのですが・・・

離婚理由は?

しかし、結婚生活は長くは続かず、4年後の1965年には離婚。

その、気になる離婚の原因ですが、

  • 有馬さんが梨園のしきたりの厳しさについていけなかった
  • 萬屋さんは、毎日のように自宅で宴会を開いていたため、昼夜問わず、有馬さんが料理などの用意に追われていた
  • 萬屋さんのお母さん(姑)の存在が大きく、錦之介さんだけでなく、お姑さんの顔色もうかがわなければいけなかった

などに、有馬さんが疲れ果ててしまったようです。

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有馬稲子と二人きりの食事は一度もなし

そんな中、結婚から2年が経とうとしていた頃、家事に忙殺される有馬さんに、「浪花の恋の物語」の舞台出演のオファーが舞い込み、久しぶりに舞台に出演されたところ、好評を博し、すぐに再演が決定。

と、同時に、有馬さんは、舞台女優としても注目を集めることとなり、「浪花の恋の物語」の再演ほかにも、次々と舞台に出演されるようになったそうで、

有馬さんは、

この作品で私は舞台女優になっちゃったわけですからね、変な言い方ですけど。でも皮肉なものですね。今の時代と違って、私の時代は結婚したら、妻は夫や婚家に尽くすのが当たり前でしたからね。

錦ちゃんは私とお姑さんの板挟みになって悩んだと思います。だから私は自分が身を引くのが最善と考えるようになったんですけどね。

と、明かされています。

ちなみに、萬屋さんと有馬さんは、3年7ヶ月の結婚生活で、二人きりで食事をしたことは、ただの1度もなかったそうです。

「萬屋錦之介の再婚した妻・淡路恵子は歌舞伎座のチケットを1万枚さばいていた!」に続く

披露宴での萬屋さんと有馬稲子さん。

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