「男はつらいよ」シリーズでは、ふらりと帰って来る寅さんを優しく見守りつつ、時に柔らかな口調ながら厳しいことも言う、草だんご店を営む寅次郎の叔父(おいちゃん)役を、20年に渡って演じ、その味わい深い演技で多くの観客を魅了した、下條正巳(しもじょう まさみ)さん。
そんな下條正巳さんは、プライベートでは、新劇の女優だった田上嘉子さんと結婚し、男の子が1人誕生しています。
今回は、下條正巳さんの、妻・田上嘉子さん、息子・下條アトムさんとその関係についてご紹介します。
「【下條正巳の死因は膵臓ガン!発覚した時は手の施しようがない状態だった!」からの続き
下條正巳の妻は田上嘉子
下條正巳さんは、1943年、28歳の時、女優の田上嘉子(たがみ よしこ)さんと結婚しています。
下條正巳さんの妻の田上嘉子さん。
下條正巳さんと田上嘉子さんの馴れ初めなど、詳しいことは不明ですが、田上嘉子さんは、子役の時から舞台を中心に活動していたそうなので、お芝居を通して知り合ったのかもしれません。
ちなみに、田上嘉子さんは、”天才子役”と称されていたそうで、結婚後は、ラジオドラマの声優などもしていたようですが、1965年以降は活動していないことから、芸能界を引退して主婦業に専念されていたのかもしれません。
(田上嘉子さんは、2007年、84歳で他界されています)
下條正巳の息子は俳優の下條アトム
下條正巳さんと田上嘉子さんの間には、1946年に男の子が一人誕生しているのですが、その息子さんとは、俳優の下條アトムさんです。
若かりし日の下條アトムさん(左)と下條正巳さん(右)。
そんな下條アトムさんは、お父さんである下條正巳さんの影響を受け、幼い頃から俳優を目指すと、高校卒業後、下條正巳さんの紹介で、「劇団民藝」に所属したそうですが、
当時、新劇は革命期だったこともあり、
教室で勉強するより芝居がやりたい。現場でやらなきゃダメだ
と、(下條アトムさんいわく生意気なことを)言ったため、クビになってしまったそうで、
その後は、生活のために、アルバイトをしつつ、舞台を自ら手掛けながら過ごしたそうです。
そんな中、1969年、22歳の時、連続テレビ小説「信子とおばあちゃん」でテレビドラマデビューすると、以降、テレビドラマや映画に出演するほか、
30代からは声優業も並行して行うようになり、アメリカのテレビドラマ「刑事スタスキー&ハッチ」のスタスキー役、フジテレビ「ゴールデン洋画劇場」を主とするエディー・マーフィーの声の吹き替え、「世界ウルルン滞在記」のナレーターとしても有名になっています。
下條正巳と息子・下條アトムは強い絆で結ばれていた
ちなみに、下條アトムさんは、演じることについて、
(下條正巳さんは)『古い芝居をするな。ありきたりのことはするな』と言っていて、常に新しいものを求めていました。僕の名前もそうですよね。
そういう意識だけは、僕もちょっとは持っている気がします。だから、一度やったことと同じことはしたくない。しちゃいけないと思っています
と、語っており、
お父さんの影響を強く受けていることを明かしています。
また、下條アトムさんは、2014年、テレビ番組「ありがとう『下條アトム~不器用な父と息子の10年目のありがとう~』」に出演した際、「ありがとう」を伝えたい人として、2004年に亡くなったお父さんの下條正巳さんを挙げて、
気付くとこの歳まで役者の道を突き進めたのは、父が敷いてくれたレールに乗せられて、遊ばせてもらっていたようにも思う。
家ではいつも苦虫を噛み潰したような顔をして、余計なことは一切言わない放任主義だった父。しかし年を重ねた今、父の言葉が胸に響く「役者である前に、まずは人としてきちっと生きろ」。
と、語っており、
下條正巳さんと下條アトムさんは、父子としても、俳優の先輩後輩としても、強い絆で結ばれていたことが分かります。
1936年、「新協劇団」の舞台「天佑丸」の水夫役で初舞台を踏み、以降、舞台を中心に活動すると、1941年にフリーとなった後は、テレビドラマや映画で、地味ながらも名脇役として活動する中、1974年には、映画「男はつらいよ」 …