1994年にバンド「SOPHIA」を結成すると、「街」「君と揺れていたい」「黒いブーツ」など次々とヒット曲を連発し、瞬く間に人気者となった、松岡充(まつおか みつる)さん。その人気は、1999年、「SOPHIAの最高傑作」と言われるアルバム「マテリアル」をリリースした頃、絶頂期を迎えます。
「~幼少期はイジメられていた~Lunatic Mode~SOPHIA結成~」の続き
河村隆一との出会い
はっきりした時期は不明ですが、
松岡さんは、「SOPHIA」結成と同じ頃、
一足先に、メジャーデビューを果たされていた、
西川貴教さん(当時「Luis-Mary」のヴォーカル)の口添えで、
当時、すでに絶大な人気を誇っていた、
「LUNA SEA」のヴォーカル、
河村隆一さんと会うことになります。
ただ、松岡さんは、西川さんとともに、
河村さんの家を訪ねられるも、河村さんは留守で、
「うちに入って待っててほしい」
との伝言をもらい、松岡さん一人で、
河村さんの帰りを待つことに。
そして、ようやく家に帰ってきた河村さんを、
松岡さんは、笑顔で「おかえりなさい」と迎えるのですが、
河村さんは、松岡さんをひと目見ただけで、何も言ってくれず、
突然、分厚いステーキを一人で食べ始めたのだとか。
しかも、一口食べて、食べるのを辞めてしまうと、
それから1時間くらい、目も合わせてくれず、
無言のまま、同じ部屋に・・・
すると、突然、河村さんが天井を見上げ、
「あの絵、俺が描いたんだ」
と、言い出したため、
松岡さんが天井を見上げると、
ここで、やっと、
「で、何?」
と、声をかけてくれたそうです。
そこで、松岡さんは自己紹介をしながら、
デモテープを渡すと、
河村さんは、すぐさまテープを受け取り、
「ちょっと待ってて」
と言って、隣の部屋に行くなり、
大音量でそのデモテープを聴き始め、
しばらくして戻ってこられると、
東京来い!
おまえは、目がいい。
と、言ってくれたのだそうです。
写真は2015年頃の河村隆一さんと松岡さん。
(ちなみに、西川貴教さんは専門学校時代の先輩で、
松岡さんは、西川さんがインディーズ時代に活動されていた、
バンド「Luis-Mary(ルイ・マリー)」の
ローディー(機材運びなどのサポート業務)をされていたそうです。)
東京進出
こうして、松岡さんは、
「SOPHIA」結成と同年の6月には東京進出を果たし、
7月には、早くも、
「SOPHIAツアー」をスタートすると、
12月には、ライブハウス「新宿ロフト」で、
いきなり、200名を動員。
また、翌年の1995年3月には、
インディーズ盤「SOPHIA」5000枚が即完売し、
6月にリリースした「SOPHIA」(セカンドプレス)も、
完売となるなど大反響を呼んだのでした。
「SOPHIA」初回限定盤1stプレス
メジャーデビュー
そして、1995年10月、「SOPHIA」は、
ミニアルバム「BOYS」でメジャーデビューを果たすと、
「BOYS」
翌年の1996年4月には、
ファーストシングル「ヒマワリ」、
5月には、セカンドシングル、
「Early summer rain」と、
次々とシングルをリリースし、
7月にリリースした、
3枚目のミニアルバム「Kiss the Future」は、
オリコン初登場10位を記録。
「Kiss the Future」
また、1997年2月には、
4枚目のシングル「little cloud」が、
初の10万枚を売り上げるヒットを記録し、
4月には、フルアルバム、
「little circus」をリリースすると、
「little circus」
7月に同アルバムからシングルカットした、
「街」がロングヒットを記録。
「SOPHIA」は、瞬く間に、
人気バンドの仲間入りを果たしたのでした。
日本武道館
さらに、8月には、
念願の「日本武道館」ライブを成功させ、
11月には、シングル「君と揺れていたい」が、
初登場トップ10入り。
1998年5月には、
2枚目のフルアルバム「ALIVE」、
「ALIVE」
11月には、8枚目のシングル、
「黒いブーツ~oh my friend~」が、
ともにオリコン初登場2位を獲得。
1999年4月には、
3枚目のフルアルバム「マテリアル」をリリースすると、
「名盤」「SOPHIAの最高傑作」との呼び声高い「マテリアル」
心の苦しみを前面に押し出した、
ネガティブな曲調や歌詞がファンの心をつかみ、
同アルバムの「beautiful MAN」ツアーのチケットは、
一般発売日当日に全公演が完売。
8月には、東京都立川市の昭和記念公園で開催された、
「獅子に翼」が、3万人を動員するなど、
「SOPHIA」は絶頂期を迎えたのでした。
「~SOPHIA活動休止~ミカエル始動~TOKYO DECIBELS出演~続く