2007年、最愛のお嬢さんを交通事故で亡くされた、風見しんごさん。一体、何があったのでしょう。風見さんのご結婚から、娘さんの誕生、そして死去について調べてみました。
「~欽ちゃんファミリーの一員に~僕笑っちゃいますで大ブレイク~」の続き
嫁は?子どもは?
風見さんは、1994年、
元ミス日本でタレントの、
荒井晶子(あらい しょうこ)さんと結婚。
お二人の馴れ初めなど、
詳しいことは分かりませんでしたが、
奥さんは、結婚後は芸能活動をやめ、
主婦業に専念されていたようで、
結婚から2年後の1996年には、
長女、えみるちゃんが誕生。
風見さんは、
うちの家族は3人ともしゃべるのが好きで、
僕の仕事のまんま、情報バラエティ番組みたいな家庭です。娘も学校であったことを毎日報告してくれて、
それがコミュニケーションになっていますね。子どもを寝かしつけるときの絵本の読み聞かせは、
0歳のころから今までずっと僕がしています。僕の声を聞いて寝息を立てる娘を見て、
「父親なんだな」と実感したり、自分でも絵本が懐かしかったりして、
半分以上は自分のためにしているところがありましたね。
と、ご家族の仲が良いことや、
子育てをとても楽しんでいることを明かされ、
2003年には、二人目の女の子、
ふみねちゃんが誕生と、
幸せいっぱいの家庭を築いておられたのですが・・・
(左から)奥さんの荒井晶子さん、次女のふみねちゃん、
風見さん、長女のえみるちゃん。
長女えみるが事故死
2007年1月、当時10歳だった、
長女のえみるちゃんが、
通学途中、2トントラックにはねられ、
病院に運ばれたものの、まもなく、
死亡してしまったのでした。
えみるちゃんは、同居していたおじいさんに、
「行ってらっしゃい」と玄関先で見送られ、
その直後、自宅から、
約100メートル先の交差点で、
事故に遭ったそうで、
おじいさんがえみるちゃんを見送り、
家に入った直後、近所の人が事故を知らせに来たため、
慌てて家の中にいた風見さんは、
奥さんとおじいさんとともに、
事故現場に駆けつけられたのでした。
えみるちゃんを轢いたトラック
すると、事故現場では、えみるちゃんの左腰の上に、
トラックのタイヤが乗った状態で、
風見さんほか、後続の車の運転手、
横断歩道付近にいた人々が力を合わせ、
トラックを持ち上げ、えみるちゃんを救出。
風見さんご夫婦は、変わり果てた、
えみるちゃんの名前を何度も叫び、
錯乱状態に陥いるも、
えみるちゃんに付き添って、
一緒に救急車に乗り込むと、
うちの子には何の非もないのに、
なんでこんなことになるのか。
なんでこんなことに・・・
と叫び、病院では立っていることができず、
床に泣き崩れられたそうです。
(えみるちゃんは、ほぼ即死状態だったそうです。)
葬儀
また、えみるちゃんをはねたトラックの運転手は、
当時22歳で、飲酒運転をしており、
「業務上過失傷害」の現行犯で逮捕されたのですが、
風見さんは、ケンカが嫌いだったえみるちゃんのため、
葬儀中は、加害者のことは一切触れず、
えみるちゃんへの思いだけを語り、
気丈に振る舞われていたそうですが、
出棺の際、棺のふたが閉められると、
こらえきれず、号泣されたそうです。
交通事故安全啓蒙活動
そんな風見さんは、娘さんの死の半年後には、
交通事故死亡者をなくすための講演会、
警察等が主催する交通安全関連のイベントほか、
啓蒙活動へ積極的に参加。
2008年には、NHK福岡放送局の、
「追放!飲酒運転」キャンペーンCMにも出演されています。
この時、風見さんは、
えみるちゃんの実名を公表したうえ、写真も提供され、
交通事故の悲惨さを訴えられています。
「さくらのとんねる~二十歳のえみる」を発売
そして、えみるちゃんが生きていれば、
成人式を迎えるはずだった、2016年、
風見さんは、えみるちゃんへの思いを綴った、
「さくらのとんねる~二十歳のえみる」を発売。
発売記念イベントで、風見さんは、
妻も次女もみんな、強くなりました。
(えみるさんが亡くなって)最初の2~3年は、
どうしてもその姿を追い求めてしまった。そこから徐々に、ゆっくりとですけど、
前を向いていけるようになりました。
とおっしゃっていたものの、
13歳(2016年現在)の、
次女のふみねちゃんについて、
これ以上、目の前にいる命を失いたくないので、
情けないですけど、1人でコンビニにも行かせられない。えみるは『行ってきます』と出ていって、
ほんの2~3分で事故に遭ってしまった。
と明かされ、いまだえみるちゃんを事故で失ったトラウマに、
苦しんでおられるご様子でした。
長男も死産していた
また、風見さんは、同イベントで、
えみるちゃんを事故で亡くした1年後の2008年に、
男の子を死産されたことも明かされているのですが、
この男の子は、妊娠時の検査で、
ダウン症であることが分かり、
生まれてくることなく、
心肺停止となったそうで、
風見さんは、当時を振り返り、
妻が『どうしても生みたい』というので、
自然分娩(ぶんべん)で、陣痛誘発剤を使いました。
産声を上げないのは分かっていたのですが。えみるが亡くなってから、前を向くように、
家族の背中を押してくれたのは長男だと思っています。
と、「こころ」と呼んでいた息子さんへの、
思いも明かされたのでした。
さて、いかがでしたでしょうか?
えみるちゃんを失った直後は、
奥さんが病で寝込んでしまい、
次女のふみねちゃんは異常行動を起こすなど、
家族崩壊の危機に直面するも、
少しずつ前を向き、
家族もひとつになりつつある風見さん。
悲しみが完全に癒えることはありませんが、
えみるちゃんとの思い出を胸に、
頑張ってほしいですね。
応援しています!!