1951年、新東宝のニューフェイスとして芸能界入りすると、翌年の1952年には、「恋の応援団長」で映画デビューし、以降、映画、ドラマ、舞台、ラジオ、司会など幅広く活躍した、高島忠夫(たかしま ただお)さん。

今回は、そんな高島忠夫さんの若い頃からの活躍や経歴を時系列でまとめてみました。

高島忠夫

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高島忠夫の20代は新東宝ニューフェイスで「恋の応援団長」で映画デビューすると「坊ちゃん」シリーズでブレイク

21歳の時に新東宝ニューフェイスの第1期生として芸能界入り

高島忠夫さんは、1951年、21歳の時、新東宝のニューフェイス「新東宝スターレット」の第1期生として芸能界入りすると、その後、「俳優座」で演技の勉強とボイストレーニングをしたそうですが、

この時、歌の才能が認められ、本格的に歌の練習もやるように勧められたそうです。

22歳の時に「恋の応援団長」で映画デビュー

そして、翌年の1952年、22歳の時、「恋の応援団長」で映画デビューすると、同年、3作目の映画「チョイト姐さん思い出柳」では、早くも主演に抜擢されます。

高島忠夫
「恋の応援団長」より。

26歳の時に映画「坊ちゃん」シリーズでブレイク

さらに、1956年、26歳の時には、映画「坊ちゃんの逆襲」で主演を務めると、

「坊ちゃんの逆襲」
「坊ちゃんの逆襲」より。

この作品は、

  • 1957年「坊ちゃんの主将」
  • 1958年「坊ちゃん天国」
  • 1958年「坊ちゃんの野球王」
  • 1959年「坊ちゃんに惚れた七人娘」
  • 1959年「坊ちゃんとワンマン親爺」
  • 1967年「坊ちゃん社員 青春は俺のものだ!」
  • 1967年「坊ちゃん社員 青春でつっ走れ!」

と、シリーズ化される大ヒットを記録し、高島忠夫さんも一躍、ブレイクを果たしたのでした。


「坊ちゃん野球王」より。三ツ矢歌子さんと高島忠夫さん。

高島忠夫の30代前半は特撮映画「ゴジラシリーズ」が大ヒットするほかミュージカル「マイ・フェア・レディ」で高い評価を受けていた

32歳の時に特撮映画「ゴジラシリーズ」で主演

そんな高島忠夫さんは、1962年には、特撮映画「キングコング対ゴジラ」で主人公の桜井修役を演じると、この作品も、

  • 1967年「怪獣島の決戦 ゴジラの息子」
  • 1993年「ゴジラvsメカゴジラ」

と、シリーズ化される大ヒットを記録し、

高島忠夫さんといえば、「特撮作品」と世間にイメージを与えるほど、インパクトを残したのでした。

「キングコング対ゴジラ」
「キングコング対ゴジラ」より。藤木悠さん(左)と高島忠夫さん(右)。※高島忠夫さんは劇中、ドラム演奏を披露しています。

33歳の時に日本初のブロードウェイミュージカル「マイ・フェア・レディ」で高い評価を受ける

以降、高島忠夫さんは、数多くの映画で主演を務めているのですが、

劇作家の菊田一夫さんに、

君はミュージカルスターになれる

と、誘われて、東宝に移籍し、

1963年、33歳の時、日本初のブロードウェイミュージカル「マイ・フェア・レディ」で、ヒギンズ教授役を演じると、この作品は、「日本のミュージカルの夜明けとなる公演だ」などと、各紙が絶賛。

「マイ・フェア・レディ」
「マイ・フェア・レディ」より。江利チエミさんと高島忠夫さん。

高島忠夫さんは、このミュージカルで高い評価を受け、以降、ミュージカル映画でも活躍したのでした。


東京宝塚劇場前より(1963年)。

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高島忠夫の30代後半~60代は「ごちそうさま」「クイズ・ドレミファドン!」で人気司会者になるほか「ゴールデン洋画劇場」で映画の解説

また、高島忠夫さんは、1966年、36歳の時には、ワイドショー「土曜ショー」の司会を務めると、このことがきっかけでテレビでの仕事が増え始め、1970年代には、本格的に司会業に進出。

  • 1971年~1998年「ごちそうさま」
  • 1976年~1988年「クイズ・ドレミファドン!」
  • 1977年~1998年「アメリカ横断ウルトラクイズ」

などで、司会を務めたほか、


「ごちそうさま」より。寿美花代さんと高島忠夫さん。


「クイズ・ドレミファドン!」より。(左から)江藤博利さん、高島忠夫さん、坂上とし恵(現・野々村俊恵)さん。


「アメリカ横断ウルトラクイズ」より。高島忠夫さんと石川牧子さん。

1973年~1998年、1999年~2001年には、「ゴールデン洋画劇場」で、映画の解説も務めています。


「ゴールデン洋画劇場」より。

高島忠夫
「ゴールデン洋画劇場」より。

高島忠夫は68歳でうつ病、70歳でパーキンソン病、80歳で不整脈を発症し、88歳で他界

ただ、高島忠夫さんは、1984年、54歳頃から不眠とアルコール依存症に悩まされるようになっていたそうで、1998年、68歳の時には、重度のうつ病を発症。

その後、家族のサポートもあって、仕事に復帰できるほど回復したそうですが、再発し、さらに、2000年、70歳の時には、パーキンソン病を発症、2010年、80歳の時には、不整脈に襲われ、心臓にペースメーカーを取り付ける手術を行うと、入退院を繰り返しながら闘病生活を送っていたそうですが、

2019年6月26日13時1分、老衰のため、東京都内の自宅で死去されたのでした。

「高島忠夫の妻・寿美花代との馴れ初めは?逆プロポーズされて結婚していた!」に続く

お読みいただきありがとうございました

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