アテレコの仕事に本格的に取り組み始め、アラン・ドロン、ジェームズ・ディーン、アル・パチーノなど、海外の二枚目俳優の声を長年に渡り務められた、野沢那智(のざわ なち)さん。その一方で、ご自身の劇団「薔薇座」の設立、ラジオ番組への出演ほか、後進の育成にも取り組まれるなど、幅広い分野で活動されました。


「舞台美術家を目指すも~役者~アルバイトで声優~」からの続き

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本格的にアテレコ(声優)業に

当時、アテレコ(声優)の仕事は、役者としては半人前とされ、
日陰者のような扱いを受けていたことから、
野沢さんは、早く声優を辞めたいと思っていたのですが、

「0011ナポレオン・ソロ」が高視聴率を記録したことから、
若い女性ファンが数え切れないほどスタジオ周辺に集まり、
野沢さんら声優陣は、握手とサイン攻めにあったそうで、

一転、野沢さんは、
アテレコを本格的にやろうと決意♪

なんと、その後は、
延べ5000本もの作品のアテレコをされたのでした!

劇団「薔薇座」「オフィスPAC」設立

その一方で、1963年には、
劇団「薔薇座」を設立し、
再び、演出家としても活動されると、(1992年解散)

ブロードウェイミュージカル作品を中心に上演し、
1988年には、第21回公演ミュージカル、
「スイート・チャリティ」で、文化庁芸術祭賞を受賞。

また、1967年から白石冬美さんとともにMCを務めた、
ラジオ番組「パック・イン・ミュージック」は、
15年も続く長寿番組となり、

番組終了が決まった際には、終了反対運動が行われた程で、
番組終了後は、「那智チャコ ハッピーフレンズ」がスタート。
お二人は25年もの間、コンビを組まれています。

そして、2003年には「オフィスPAC」を設立し、
付属養成所の「パフォーミング・アート・センター」で、
声優、ミュージカルタレント、俳優を目指す人材を育成するなど、
多岐にわたり、活動されたのでした。

死去

そんな野沢さんですが、2009年頃から体調を崩し始め、
2010年8月に病院で検査を受けると、「肺がん」が発覚。

しかも、すでに体中にがんが転移していたそうで、
抗がん剤の治療を開始するも、回復することなく、
同年10月26日、他の病院に転院。

この時すでに、野沢さんは、会話することもままならず、
10月30日、家族や養成所の生徒達に見守られながら、
静かに息を引き取られたのでした。

アラン・ドロン

ところで、野沢さんは、

ジェームズ・ディーン、
アル・パチーノ、
ロバート・レッドフォード、
ジュリアーノ・ジェンマ、
ロバート・デ・ニーロ、

など、二枚目俳優の吹き替えを主に務められているのですが、
特に有名なのが、フランスの俳優アラン・ドロンの吹き替え。


若き日のアラン・ドロン。

野沢さんは、1969年頃、
初めてアランドロンの吹き替えを務め、

当時、すでに数人いたアラン・ドロン担当の、
吹き替え俳優の1人となったのですが、

1970年代後半からは、ほぼ全て、
野沢さん1人が担当されるようになり、

「アラン・ドロンの吹替といえば野沢那智」

というイメージが浸透していきます。

そして、野沢さんは、アラン・ドロンの声を演じるにあたり、
できるだけ美しい日本語を使うように心がけられたそうなのですが、

実は、実際のアラン・ドロンの声はすごく低く、
一度、ディレクターも交えて、冗談で、
同じくらい低い声で演じてみたところ、
まったく外見のイメージに合わなかったそうで、

アラン・ドロンの顔つきや体つきからイメージされる、
甘さのある柔らかい雰囲気に合わせよう、
ということになったのだとか。

野沢さんはそのことについて、

アラン・ドロン自身のような低音で、
フランス語を話してると響きが良いんですけど、
その声で日本語を話すと聞こえ方が違う。

と、日本語とフランス語の聴こえ方の違いをあげ、
さらに、

二枚目という端正な魅力を生かすには、
汚い日本語では絶対に成立しないと思います。

だから、正確にいうと、
アラン・ドロンを演じているわけじゃないんです。

彼が映画の中で役を通して表現したかったことを、
日本語で表現している。

と、おっしゃっています。

ちなみに、アラン・ドロンは、
戦後の日本で、最も人気のあった外国人俳優なのですが、
その人気は本国フランス以上だったそうで、

野沢さんは、アラン・ドロンがこれほどまでに、
当時の日本人の心を捉えた理由について、

(アラン・ドロンの映画には)
泣かせ方というのか、物語に日本的情緒があって、
彼は“信義や友情を大事にする熱い男”という役をずっと演じていた。

彼の顔立ちも、本当に外国人という感じじゃなくて、
日本人にもいそうな顔立ちだった。

と、分析されていましたが、

やはり、アラン・ドロンの人気は、
間違いなく、野沢さんの吹き替えが、
あったからこそでしょうね。

4:45あたりから野沢さんの甘い声が聞けます♪

妻は?

そんな野沢さんの、
気になるプラベートですが、

野沢さんは、元女優の、
成瀬麗子さんという方と結婚されています。

いつ頃結婚されたのかは分かりませんでしたが、
那智さんは、1963年に劇団「薔薇座」を旗揚げされており、
奥さんは、看板女優として活躍されていたとのこと。

その後の情報がないことから、奥さんは女優業を引退して、
主婦業に専念されていたのかもしれませんね。

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息子は?

ちなみに、お二人の間には、俳優、声優として活動されている、
野沢 聡(のざわ そう)さんという息子さんがいらっしゃいます。

聡さんは、お父さんである那智さんが、
情熱的に声優に取り組む姿を見て育ったため、

中途半端な気持ちではいけないと、
声優としての活動は控えられていたそうですが、

那智さんの死後は、お父さんの意志を継ぐかのように、
本格的に声優業を開始。

2013年には、長年にわたり那智さんが務めていた、
「ダイ・ハード」のジョン・マクレーン(演:ブルース・ウィリス)
の声を弟子の中村秀利さんが務められているのですが、
聡さんは、その息子役を務められています。


中村秀利さんと野沢聡さん。

さて、いかがでしたでしょうか?

アラン・ドロンの声を、
30年に渡り演じ続けられ、

外国映画の吹き替えのほか、
アニメでも、

「スペースコブラ」のコブラ、
「ベルサイユのばら」のフェルゼン、
「新・エースをねらえ!」の宗方仁、
「ガラスの仮面」の速水真澄、

など、ヒーローや2枚目の声を、
数多く務められた野沢さんは、

たくさんの仕事が回ってきたのは、
当時は吹き替えをする人が少なく、
自分は運が良かっただけと謙遜されていましたが、

そんな野沢さんの人格が、
多くの人や仕事を引き寄せたのは、
間違いありませんね。

この機会に、野沢さんの吹き替え、
ご覧になってはいかがでしょう♪

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