1960年、「男対男」で映画デビューし、翌年の1961年には、「大学の若大将」で主役に抜擢されると、以降、「若大将」シリーズで絶大な人気を誇り、数多くの映画で主演を務められた、加山雄三(かやま ゆうぞう)さん。今回は、そんな加山さんのルーツである、ご先祖についてご紹介します。
年齢は?出身は?身長は?
加山さんは、1937年4月11日生まれ、
神奈川県横浜市のご出身
身長168センチ、
体重70キロ、
血液型はA型、
学歴は、
茅ヶ崎市立茅ヶ崎小学校
⇒茅ヶ崎市立第一中学校
⇒慶應義塾高校
⇒慶應義塾大学法学部政治学科
趣味は、
ゲーム、鉄道、絵画、料理、マリンスポーツだそうです。
本名は?芸名は?
ちなみに、加山さんの本名は、「池端直亮(いけはた なおあき)」なのですが、母方の祖母で女優の青木しのぶさんが、姓名判断で縁起が良い、「加山雄三」と名付けたそうです。
趣味のゲームが熱狂的過ぎる
加山さんの趣味はゲームなのですが、1970年代に、「スペースインベーダー」などのアーケードゲームにハマって以来、富士通のPC・FM-7(1982年発売)でゲームをやり込むほどの、筋金入りのゲーマーで、
特に、1996年にPlayStationより発売された「バイオハザード」がお気に入りで、
加山さんは、
すごいのが出たと情報が入ってきた。すぐに飛びついて、すぐにやって、すぐにハマった
もう抜けられない。完全に使い物にならなくなった。家族から見捨てられたよ
と、「バイオハザード」シリーズの熱狂的なファンであることを公言されています。
また、加山さんによると、ゲームは、仕事の合間の暇つぶしなどではなく、ゲームのための時間をしっかりとることがポリシーなため、なんと、深夜3~4時まで没頭されることもあるそうで、
19時間連続でゲームをやり続け、夜中の3時にクリアして、独りでリビングで、「やったー」と叫んだこともあったそうです(笑)
(加山さんは、以前、船を所有されていたのですが(2018年火災のため消失)、船上でもゲームは欠かせなかったそうで、PS2、PS3、PS4、PS VRを船内に完備されていたそうです)
ちなみに、加山さんは、ゲームの効果として、
反射神経が鍛えられる。急に変化したときに自分の心がどう動いているのか分かる。客観的に自分自身を抑えると、ゆとりができる
(ステージ上で)臨機応変にできるのもゲームのおかげ
と、全体を見ようとする力が鍛えられて視野が広がったと明かされているほか、
子どもたちとのコミュニケーションがすごくうまくいった。未だに「あのゲームの主役って名前なんだっけ」とかお互いに言っている。
子どもって言ったって40歳を超えてるし、今は孫も入ってきてる。孫は高校生でバリバリ。3世代をゲームがつなげたようなところをあるよね
と、家族との関係にも、ゲームが役立ったことを明かされています♪
父方の先祖は薩摩藩の下級武士
さて、加山さんの話の前に、今では想像できない時代背景のため、加山さんのおじいさんのお話から。
加山さんのおじいさん・池端清武さんと、その息子(加山さんのお父さん)・池端清亮さん(俳優の上原謙さん)は、鹿児島県の出身なのですが、
先祖は、薩摩藩下級武士だったそうで、現存する旧薩藩御城下下絵には、池端家の屋敷が160坪だったと記載されており、「池端喜八郎」という人物が、島津家で「篤姫」の世話係もしていたそうです。
さらに、池端家は、鹿児島県・根占という場所にお墓が残されているそうですが、そのお墓によると、池端家は室町時代から名が知られた豪族であり、都から落ち延びた平清盛の末裔だったことから、平清盛から一文字とった「清」という名前が多く彫られていたそうです。
(ちなみに、池端家の屋敷の近くに住む武士・萩原一兵衛のやしゃごが恵俊彰さん、西田源左衛門のひ孫が西田敏行さんだそうで、それぞれの屋敷もその絵図に載っていたそうです)