お父さんの影響で幼い頃からジャズに親しみ、バイオリンやギターを習われていたという、西城秀樹(さいじょう ひでき)さん。その後はドラムも始められ、小学5年生の時には、お兄さんとともにバンドを結成していたとか。そして、高校1年生の時、バイト先のジャズ喫茶で歌を歌っていたところを、歌手としてスカウトされます。
出身は?身長は?本名は?
西城さんは、1955年4月13日生まれ、
広島県広島市のご出身です。
身長181センチ、
血液型はAB型、
本名は、
木本龍雄(きもと たつお)、
学歴は、
明治大学付属中野高等学校定時制卒業、
趣味・特技は、
モダンアート、ドラム、水泳、
だそうです♪
幼少期
西城さんは、ジャズが好きだったお父さんの影響で、
幼い頃からジャズに親しみ、バイオリンを習っていたそうで、
小学3年生になると、3つ年上だったお兄さんの影響もあり、
ジャズスクールでクラシックギターを習うようになります。
しかし、その後、インストゥルメンタルバンド「ベンチャーズ」の、
「テケテケ」というサウンドに感銘を受けると、ベースに転向。
さらには、その後、ジャズスクールにあった、
ドラムセットを叩いているうちにドラムが好きになり、
映画「嵐を呼ぶ男」で、主演の石原裕次郎さんが、
ドラムを叩く姿を観て、完全にドラムにはまってしまったのだそうです。
小学生でバンド結成
また、同時期、西城さんは、
「ビートルズ」や「ローリング・ストーンズ」を聴くようになったそうで、
将来はミュージシャンになってロンドンに住みたいと思い始め、
小学校5年生の時には、中学生だったお兄さんと、
5人編成のバンド「ベガーズ」を結成。
自宅での練習のほか、米軍キャンプに行き、
ミュージシャンの演奏を見て音楽を学ばれたそうで、
中学の文化祭で演奏を披露されると、
校内でも話題となるほどに。
(「ベガーズ」では、メンバーは楽器を月賦で買い、
バイトをして支払っていたそうで、西城さんも中学生になると、
ドラムを月賦で買い、新聞配達や牛乳配達などのバイトをして、
支払いに充てていたそうです。)
ただ、西城さんが中学2年生になると、
お兄さんたちが卒業してしまい、「ベガーズ」は解散。
その後、西城さんは、水泳部の友人に声をかけて、
新たに「ジプシー」というバンドを結成されています。
(この「ジプシー」は、バンドコンテストに出場し、
上位に入賞したこともあったそうです。)
歌手としてスカウト
そして、高校1年生になった西城さんは、
叔父さんが支配人を務めるジャズ喫茶で、
演奏のアルバイトをされていたのですが、
叔父さんの知り合いだった、
「寺内タケシとブルージーンズ」の、
ヴォーカル、藤本好一さんから
「プロにならないか」
と誘われます。
これには、西城さんは、
「腕が認められた!ミュージシャンになれる」
と、喜ばれたのですが、このスカウトは、
奏者としてではなく歌手として。
実は、西城さんは、演奏よりも、
歌う方がバイト料が良かったことから、
尾崎紀世彦さんの「また逢あう日まで」や、
布施明さんの「そっとおやすみ」などを歌っていたのですが、
洋楽にのめり込んでいた西城さんは、
歌謡曲には興味がなかったのでした。
しかし、当時、「また逢う日まで」がヒットしており、
歌謡曲が変わり始めた時期だと感じられたことからスカウトを承諾。
西城さんは、高校1年生の夏休みに、
上京することとなったのでした。
上京を決意
こうして、夏休みに上京した西城さんは、
有名プロダクションの人を紹介され、
近いうちに本格的に東京で暮らそうと決意されるのですが、
広島の実家に戻り、ご両親に切り出すと、
猛反対に遭ってしまい、
西城さんは、叔父さんにお金を借りて、
事務所に所属するための手続きをしてもらい、
黙って出ていこうと準備を進められたのでした。
その後、お父さんにばれ、両手両足を縛られて、
押し入れに放り込まれてしまうのですが、
しばらくして、お母さんが、
行き先の住所だけは教えてほしいと言いながら、
縛られたひもを解いてくれたそうで、
西城さんは、そのまま、
東京行きの夜行列車に乗り込まれたのでした。