1958年にラテン歌手デビューすると、翌年の1959年、メキシコのラテンコーラスグループ「トリオ・ロス・パンチョス」の日本公演の前座歌手を務め、その迫力ある歌声がたちまち話題となった、歌手で女優の坂本スミ子(さかもと スミこ)さん。その後、1967年「たそがれの御堂筋」、1971年「夜が明けて」が大ヒットすると、女優としても活動され、1982年には、45歳の若さで、今村昌平監督の「楢山節考」で主人公の老女役に抜擢されています。
年齢は?出身は?
坂本さんは、
1936年11月25日生まれ、
大阪府大阪市東住吉区のご出身、
出身大学は、
プール学院高等学校、
だそうです。
ラテン歌手として人気に
坂本さんは、もともと、音楽の先生になりたくて、芸大を受験しようと思われていたそうですが、「NHK大阪合唱団」の欠員募集を見て応募すると、見事合格。
その後、アルバイトしていたお店でラテン音楽に出会い、ラテンバンド「大阪キューバン・ボーイズ」の近藤正春さんの勧めもあり、1958年に、ラテン歌手としてデビューされるのですが、当初はまったく売れずで、鳴かず飛ばず。
しかし、そんな折、1959年、当時絶大な人気を誇っていた、メキシコのラテンコーラスグループ「トリオ・ロス・パンチョス」が来日したことで、
坂本さんは、日本公演の前座歌手として日本全国を回られると、小さな体にパワフルな歌声が評判となって、一躍知名度を上げられ、1961年からスタートしたバラエティ番組「夢であいましょう」では、主題歌を担当。「NHK紅白歌合戦」にも5年連続で出場されるなど、人気歌手として活躍されたのでした。
元夫は栗原玲児
そんな坂本さんは、1964年、キャスターだった栗原玲児さんと結婚されるのですが、1968年、わずか4年で離婚されています。
実は、お二人は結婚後、セックスレスになってしまい、ご主人の栗原さんから、くすぶっていた結婚生活を解消しようと、離婚を切り出されてしまったのでした。
ただ、この言葉に呆然としたのが坂本さん。
というのも、坂本さんは、結婚後、栗原さんが男色趣味であることを知ってしまい、
(当時、業界内では有名な話だったそうですが)
それがセックスレスの原因だと考えていたのですが、それでも二人の間の溝を埋めていけたらと考えていた矢先の出来事だったからです。
(栗原さんの性癖を坂本さんが知っていることを、栗原さんが知っていたかどうかは分かりませんでした)
栗原玲児さん。
そして、離婚することになったお二人は、離婚会見を開くことになり、離婚理由について聞かれた際には、双方が悪かったと言おうと、約束しておられたのですが・・・
同年8月、大阪市北区の大阪ロイヤルホテルで離婚会見を開かれると、離婚理由を聞かれた栗原さんは、なんと、
「坂本さんが家庭を顧みないのが原因」
と言い放ちます。
これには、坂本さんは、ショックのあまり言葉が出ず、唖然とするばかりだったのですが、やはり、我慢が出来なくなり、翌日には、集まった報道陣の前で、
「玲児はんはホモやったんや」
と激白し、号泣されたのでした。
(ちなみに栗原さんはこの会見で好感度が急降下、お茶の間から姿を消したのですが、その後、料理研究家の栗原はるみさんと再婚されています)
現在は好々爺となり、幸せそうです♪
再婚~「夜が明けて」が大ヒット!
ところで、この頃、坂本さんは、結婚生活の不和や離婚などが影響してか、歌手として低迷し、営業回りをしておられたのですが、
熊本のキャバレーで歌っていたところ、皮膚科医の石井禮次郎(いしい れいじろう)さんと知り合い、1969年にめでたく再婚されると、
1971年には、CBSソニー(現・ソニー・ミュージックエンタテインメント)に移籍後、初のシングル「夜が明けて」が大ヒットを記録。見事、歌手として第一線に返り咲かれています。
「楢山節考」で老女、おりん役に抜擢
また、坂本さんは歌手としてだけではなく、女優としても活動され、1964年~1967年には、
「宿無し犬」
「喧嘩犬」
「ごろつき犬」
などの映画「犬」シリーズに出演。
そして、1966年には、今村昌平監督作品「『エロ事師たち』より 人類学入門」で、息子を溺愛する母親、春を演じられると、その迫真に迫る演技で、「毎日映画コンクール助演女優賞」を獲得。
「エロ事師たちより 人類学入門」より。
坂本スミ子さんと小沢昭一さん。
1982年には、再び、今村監督作品「楢山節考」で、主人公の老女おりん役に代役で抜擢されています。
ただ、当時、坂本さんはまだ45歳で、息子役を演じる緒形拳さんとは1歳しか違いませんでした。
なぜ、坂本さんが老女を演じることになったのでしょう?
「娘は?楢山節考で老女も大麻で書類送検!現在は幼稚園?」に続く
https://www.youtube.com/watch?v=t0dFwVuZO4U