スカルノ大統領が失脚したことにより、身の危険を感じたデヴィ夫人は、スカルノ大統領を置いてフランスに逃げ出すのですが、なんと、フランスでは「社交界」に顔を出し、ここでも、「社交界の華」「東洋の真珠」と言われて、注目を浴びます。

「デヴィ夫人はマスコミに売春婦と叩かれ、実弟がガス自殺していた!」からの続き

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「社交界の華」「東洋の真珠」と呼ばれていた?

スカルノ大統領の失脚で、命からがらインドネシアを脱出し、フランスに亡命したデヴィ夫人ですが、フランスでは、なんと、毎晩、パリの社交界に顔を出し、週末はパーティーに出席。

こうして、各界の著名人と交流を持つと、その美貌と知的な会話で、たちまち人々の注目を集めたそうで、デヴィ夫人は、「社交界の華」「東洋の真珠」と呼ばれ、フランスの貴族やイギリスの伯爵など、多くの要人らと恋愛を楽しんだのだそうです。


パリでのメルヘンがテーマの宮廷仮装パーティより。

アラン・ドロンと?

そして、なんと、あのフランスの二枚目俳優、アラン・ドロンさんとも恋愛していたことがあったというのです。

さかのぼること、1964年、スカルノ大統領の第3夫人だったデヴィ夫人は、東京五輪のために帰国し、帝国ホテルを出入りしていたそうですが、

いつも決まって、ドロンさんの姿がロビーにあったそうで、その姿を見たスカルノ大統領は、

おまえが目当てなんじゃないか

と、嫉妬したのだとか。(デヴィ夫人談)

もちろん、この時には、デヴィ夫人とドロンさんの間には何もなかったそうですが、デヴィ夫人がフランスに亡命して、ロスチャイルド家(ヨーロッパの財閥)のパーティに参加した際、ドロンさんと再会したそうで、

デヴィ夫人は、

40年前の昔々のお話。カレというほどではないですけど。うたかたの恋ですね。

と、語っています。


当時のデヴィ夫人とアラン・ドロンさん。

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社交界とは?

ところで、私達にあまり馴染みのない、「社交界」というところについてですが、デヴィ夫人によると、社交界というのは、王侯貴族の流れを引いたサロンのことを言うそうで、

例えば、フランスの場合だと、フランス国王ルイ16世の末裔を中心とした、働かなくても大金を使えるエリートの集まりのことを言い、一般人や政治家ほか、女優などのショービジネスの人達は、そうは呼ばれないのだとか。

また、社交界は、女性にとって、美と知性を競うところでもあったそうで、

デヴィ夫人は、

会話がうまくできなかったら、どんな美人でも「壁の花」と呼ばれるし、男性から「退屈だ」と言われたら、もう招かれなくなってしまうぐらい、「会話」に対しては厳しいところですの。

本物のセレブリティたちが集い、オペラやコンサートを鑑賞、カクテル・ガラ、大晩餐会、舞踏会など催される。主催者はそれぞれに、館やお城、大きなアパルトモンを持っているから、今日は誰々のところという感じで、毎晩のように豪華な会が開催されていたわ。

と、語っています。

「デヴィ夫人は昔松田聖子のヌード写真集のコーディネーターをしていた!」に続く


サブラン侯爵とデヴィ夫人。後にいるのは娘のカリナちゃん。

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