1984年のデビュー15周年記念コンサートで、お姉さんの安田祥子さんと再び童謡を歌われたのを契機に、童謡ブームを巻き起こした由紀さおり(ゆき さおり)さんは、その後も、お姉さんと童謡を続けつつ、ソロでも、「ピンク・マルティーニ」とのコラボレーションアルバム「1969」が世界的な大ヒットを記録します。
「由紀さおり!手紙!ドリフと8時だョ全員集合!伊東四朗とも?」からの続き
童謡ブームを巻き起こす
こうして、由紀さんは、
1984年に15周年記念コンサートを開催すると、
15分という短い時間ではあったものの、
お姉さんの安田祥子さんと童謡を歌ったところ、大反響。
そして、1986年には、デビュー直後から個人事務所を起すなど、
由紀さんの芸能活動をサポートされていたお母さんの希望で、
童謡アルバム「あの時、この歌」をリリースし、
同年、会場でCDを手売りする手作り感あふれる、
童謡コンサートを開催すると、瞬く間にチケットが完売。
この年の暮れには「第28回日本レコード大賞企画賞」を受賞し、
1987年には、童謡歌手として、9年ぶりの、
「第38回NHK紅白歌合戦」出場を果たされたのでした。
ちなみに、以降、紅白歌合戦は、2001年の、
「第52回NHK紅白歌合戦」まで常連歌手として出演され、
1994年には、童謡アルバム「あの時、この歌」シリーズが、
セールス100万枚を突破。
1995年には、ニューヨークのカーネギーホールで、
童謡のコンサートを実現されています。
「トルコ行進曲」で一躍人気に
また、由紀さんは、童謡のほか、
オリジナル楽曲、歌謡曲、クラシック、アニメ主題歌なども、
お姉さんとともに歌唱されているのですが、
1997年には、「第48回NHK紅白歌合戦」で、
モーツァルトの名曲「トルコ行進曲」をスキャットで
(ティアララルン♪ティアララルン♪)披露されると大きな話題となり、
現在でも、ネット上では、世代を問わず、
その神がかったお二人の歌唱に、
圧倒されるユーザーが続出しているようです。
「1969」が世界中で大ヒット
一方、ソロとしても、
由紀さんは順調に歌手活動を続けられており、
2011年10月には、
アメリカのジャズバンド「ピンク・マルティーニ」
とのコラボレーションアルバム「1969」を、
世界50か国以上で同時配信されると、
アメリカやカナダのiTunesジャズチャートで、
1位を獲得する世界的な大ヒットを記録。
(日本は同シングルチャートで7位)
2014年には、秋元康さんプロデュースで、
45周年記念コンサートツアー「偶然の結晶~45年の歌声~」
を開催されるなど、精力的に活動を続けられており、
コンサートでは、観客に、
「夜明けのスキャット」が最初のターニングポイントであるならば、
姉・安田祥子とのユニットは2度目の大きなターニングポイントになりました。
そして3回目のターニングポイントは、ピンク・マルティーニという、
ジャズオーケストラの皆さんとの出会いでした。
人生は、いくつになってもターニングポイントってあるんですね。
いまの私の毎日は、明日また歌えるためにあります。
食事をするのも睡眠をとるのも運動をするのも、みんな明日また元気で歌えるためです。だから50周年もまた来てくださいね。
と、語っておられます。
結婚は?離婚理由は?
そんな由紀さんの、
気になるプライベートですが、
由紀さんは、1969年、20歳の時、
12歳年上のCM音楽プロデューサー大森昭男さんと結婚されています。
大森昭男さん
実は、由紀さんが、1967年の高校卒業時には、
すでにプロポーズされており、
1969年3月10日に「夜明けのスキャット」で再デビューした
19日後の3月29日には結婚。
ただ、その後、歌手、タレント、女優として、
仕事が忙しくなるにつれて、夫婦の時間が減っていき、
1976年に別居。1983年には離婚されています。
(大森さんは、2018年3月、ご病気のため他界されています)
再婚(事実婚)するも・・・子どもは?
その後、由紀さんは、1992年頃、アメリカ在住の、
インターネット会社「ジェネシスピュアジャパン」の社長、
柴冨哲也さんと知り合って交際に発展し、
再婚・渡米・芸能界引退を考えるのですが、
お母さんの猛反対にあい、断念。
結果的に、由紀さんがお母さんをとったことで、
二人の間には溝ができてしまうのですが、
交際は続けられていたようで、
1999年にお母さんが亡くなると、
一周忌を終えた2000年、8年の交際を実らせ、
ようやく事実婚の関係に。
しかし、今度は由紀さんが仕事を辞めることができず、
日本を拠点に活動されていたことから、
アメリカで暮らす柴冨さんとの間の溝が埋めらないまま、
2006年、別離されたのでした。
ちなみに、由紀さんには、
お子さんはいらっしゃらないようです。
病気だった
さて、いかがでしたでしょうか?
由紀さんは、37歳の時、「子宮筋腫」と「子宮内膜症」を患い、
41歳の時、ホルモン治療という選択肢もあったにもかかわず、
子宮全摘出手術を受けられているのですが、
ホルモン治療をすると、声が低くなってしまうそうで、
自分の声を愛してくれた母を悲しませたくない
との思いから手術を決断されたとのこと。
恋人、そして、自分の体よりも、お母さんを選ばれたのは、
お母さんの支えがあったからこそ、多くの挫折を乗り越えて、
歌手として成功できた、という想いがあったからなのかもしれませんね。
これを機会に、由紀さんの歌声、
じっくり聴いてみてはいかがでしょうか♪