大学在学中、宇崎竜童さんにスカウトされてバンド「ミルク」に入り、プロのミュージシャンとして活動を開始された、松崎しげる(まつざき しげる)さん。しかし、パッとしないまま2年後にはバンドは解散。その後ソロに転向されるも、しばらくは売れない日々が続くのですが・・・
年齢は?出身は?身長は?本名は?
松崎さんは、1949年11月19日生まれ、
東京都江戸川区のご出身、
身長167センチ、
血液型はAB型、
学歴は、
江戸川区立松江第三中学校
⇒日本大学第一高等学校
⇒日本大学藝術学部文芸学科卒業
ちなみに、本名は、
松崎茂幸(まつざき しげゆき)で、
愛称はコーヒー豆だそうです♪
野球少年からバンド少年へ
松崎さんは、幼い頃からプロ野球選手に憧れ、
小学・中学時代は野球に明け暮れたそうで、
中学卒業後は、スポーツ推薦で、
強豪高の日本大学第一高等学校に進学し、
野球部に入部されるのですが、
その後、肘と肩を故障し、
自ら野球部を退部。
しかし、そんなある時、放課後に、
ギターを持った友人たちから一緒にやろうと誘われ、
その場でギターを借りて、ビートルズの「Long Tall Sally」など、
かなり高いキーの曲をギターを弾きながら歌われると、
友人達に驚かれ、また、ほめられたそうで、
松崎さんは、それがことのほか嬉しく、
このことを機に、ビートルズのコピーバンドとして、
音楽活動をスタートすることとなったのでした。
(当時は、「シャドウズ」や「ザ・ベンチャーズ」など、
インストゥルメンタルが全盛だったことから、余計に驚かれたそうです)
Long Tall Sally (Live)/The Beatles
宇崎竜童にスカウトされバンド「ミルク」
そして、大学在学中には、
バンド「ミルク」のマネージャーをされていた、
宇崎竜童さんにスカウトされ、
高校時代からの友人だった、
日高富明さん、堀内護さんらとともに「ミルク」に所属すると、
右から2人目が松崎さん。
左から2人目と3人目が、それぞれ、日高富明さん、堀内護さん。
プロの登竜門といわれた、ジャズ喫茶「銀座ACB(アシベ)」
に出演するなど、プロとしての活動をスタートされるのですが、
やがては、バンドブームが去って仕事がなくなってしまい、
しばらくは、米軍キャンプを回る日々を送るも、「ミルク」は2年で解散。
その後、松崎さんは、ビクター音楽産業
(現・JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント)
のオーディションに合格し、
1970年にはシングル「8760回のアイ・ラブ・ユー」で、
ソロデビューを果たすのですが、まったく売れず、
鳴かず飛ばずの日々を送られたのでした。
「8760回のアイ・ラブ・ユー」
「グリコアーモンドチョコレート」CMソング担当歌手として
その後、松崎さんは、「グリコアーモンドチョコレート」
のCMソングを担当することとなり(顔出しなし)、
1972年には、同CMソング「黄色い麦わら帽子」
がスマッシュヒットするのですが、その後は泣かず飛ばす。
「黄色い麦わら帽子」
そんな中、松崎さんは、加山雄三さんの小麦色の肌に憧れ、
日焼けするためにグアムに渡ると、グアムの親善大使に選ばれるのですが、
やはり、肝心の歌はというと、相変わらず、
「グリコアーモンドチョコレート」のCMソングを歌うばかり。
その一方で、
そのうち宇崎くんがダウン・タウン・ブギウギ・バンドで、
ヒュ~ッっと越していくし、
バンドの残りのメンバー(日高さん、堀内さん)は、
ガロとして『学生街の喫茶店』が大ヒット。
置いてけぼり食っちゃった。
と、ソロになってからも松崎さんのマネージャーを務めていた、
宇崎竜童さんは、「ダウン・タウン・ブギウギ・バンド」、
「ダウン・タウン・ブギウギ・バンド」右端が宇崎竜童さん。
高校時代からの友人だった日高さんと堀さんは、
新たに大野真澄さんを加えて結成したバンド「ガロ」
で大ヒットして「NHK紅白歌合戦」出場と、
「ガロ」(左から)日高富明さん、大野真澄さん、堀内護さん。
松崎さんはひとり取り残されてしまいます。
「愛のメモリー」が大ヒット
こうして、かつての仲間たちが次々と成功していくなか、
松崎さんは全くヒットせず、お酒に溺れて自暴自棄になっていたのですが、
1976年、フランスの作曲家ミシェル・ルグランさんらが審査員を務める、
スペイン・マジョルカ音楽祭で、情熱的なラブソング「愛の微笑」
(「愛のメモリー」の原曲)を歌われると、なんと、最優秀歌唱賞を受賞。
ただ、それでも、当初、日本では注目されず、
レコード会社からも難しい曲と見なされリリースには難色を示されていたのですが、
翌年の1977年、ようやく「愛の微笑」が、
「グリコアーモンドチョコレート」のCMに起用され、
レコードも「愛のメモリー」と改題されて、
リリースされると、大ヒットを記録。
「愛のメモリー」
同年末には「NHK紅白歌合戦」初出場を果たし、
翌年の1978年には、
春の選抜高校野球の入場行進曲にも選ばれたのでした。
(かつて高校球児だった松崎さんは、開会式のゲストという形で、
憧れの甲子園出場を果たされたのでした)
そして、この「愛のメモリー」の大ヒットがきっかけとなり、
300曲以上ものオファーが殺到。
松崎さんは、その後も、
歌手として安定した人気を誇ることとなったのでした。
「松崎しげるの現在の嫁は?息子は?娘は?西武で黒から青に!」に続く
「第28回NHK紅白歌合戦」