1967年、ウルトラマンシリーズ「ウルトラセブン」の主人公、諸星弾(モロボシダン)役に抜擢され、一躍注目された、森次晃嗣(もりつぐ こうじ)さん。そんな森次さんの「ウルトラセブン」秘話について調べてみました!
年齢は?出身は?身長は?本名は?旧芸名は?
森次さんは、1943年3月15日生まれ、
北海道滝川市のご出身、
身長176センチ、
血液型はO型、
学歴は、
滝川商業高等学校(現・北海道滝川西高等学校)卒業、
特技は、
絵画、陶芸、テニス、
ちなみに、本名は、森次浩三(もりつぐ こうぞう)で、
当初は「森次浩司」名義で活動されていたのですが、
当時、占いに凝っていた、萬屋錦之介・淡路恵子夫妻と、
自宅が近所同士だったことから、勧められ、
1973年に現在の芸名に改名されたのだそうです。
「ウルトラセブン」の諸星弾(モロボシ・ダン)役に抜擢
森次さんは、ファッションデザイナーを目指し、上京されるのですが、
定住所も保証人もいなかったため、どこにも雇ってもらえず、
ジャズ喫茶に住み込みで働き始めると、
この店にお客としてやってきた新劇の関係者と接したことで、
俳優という職業を意識するようになり、芸能界入り。
そして、1965年に、
「青春をぶっつけろ!」でテレビドラマデビューされると、
1967年、24歳の時、テレビドラマ「天下の青年」の撮影中、
ウルトラシリーズを制作している円谷プロダクションの人に見初められて、
「ウルトラセブン」の主人公、諸星弾(モロボシ・ダン)役に抜擢。
「ウルトラセブン」で諸星弾に扮する森次さん。
森次さんによると、目が印象的だったことから、
オーディションもテストもなく、
ダン役をお願いしたい
と、担当の人から言われたそうで、
後日、円谷プロダクションに呼ばれてスタッフに顔見せ、
という大抜擢だったのだそうです。
(「ウルトラセブン」は、企画当初は「ウルトラアイ」というタイトルだったほど、
目をポイントに置いていたそうで、変身メガネ「ウルトラアイ」や、
必殺技「アイスラッガー」の「アイ」はその名残だそうです)
「ウルトラアイ」を手に変身直前の諸星弾(森次さん)
ウルトラセブンでブレイク
そんな経緯から、森次さんは、
当時、私は俳優としてはまだ駆け出し。とても役作りどころではなく、
とにかく今の「森次晃嗣」のままで突っ走れば、
モロボシ・ダンになれるはずだと信じ、夢中で演じました。
だって、役作りといわれても、
宇宙人という誰も見たことがない役を演じるんですからね。
と、必死で演じられると、
1967年10月1日に放送された、第1話「姿なき挑戦者」は、
33.7%という高視聴率を記録し、森次さんの名は、またたく間に、
「ウルトラセブン」とともに世に知られるようになったのでした。
妥協を許さない制作~子どもに人気がなかった「セブン」
ただ、
毎週、脚本が届くのですが、こんな難しい内容が、
果たして子供たちに理解できるのだろうか、と思うことが度々ありました。
重厚で骨太の社会的メッセージが込められていたからです。
と、内容が子供には難しすぎたせいか、
1968年まで放送された全49話の中では、
視聴率が10%台後半まで落ち込んでしまうこともあり、
30~40%と高視聴率だった前作の「ウルトラマン」(1966~1967)に比べると、
あまりに視聴率が落ちたため、スタッフ達も焦ったそうですが、
それでも、現場の制作陣は、あえて、視聴者に迎合するようなテコ入れはせず、
そのままの制作姿勢を貫き、徹底して、正義・勇気・希望の大切さを描き続けたそうで、
そのため、森次さんは、撮影所まで電車で通っていたにもかかわらず、
一度も気付かれたことはなく、また、ファンレターも来ずで、
当時、「ウルトラセブン」の人気を感じたことはなく、
放送終了間際に行われた、西武デパートの屋上でのイベントに、
たくさんの人たちが見に来てくれたことで、
見ていてくれた人は、ちゃんといたんだな。
と、ようやく嬉しく思われたのだそうです。
(その後、「ウルトラセブン」は何度も再放送され、現在では国内外で、
多くのファンに支持され、この妥協を許さない制作が実を結んでいます。)
「ウルトラセブン」時代の給料は?
ちなみに、森次さんの「ウルトラセブン」時代のお給料は、
月収3万円で、源泉徴収されて手取り2万7000円だったそうですが、
当時は、大卒初任給(公務員)2万3千300円、
高卒初任給(公務員)1万7千300円 、
撮影所の前にあった中華屋さんのラーメンが60円、
ラーメンライスが100円という時代だったそうなので、
主演の割には、新人だったため、一番お給料が安かったそうです。
(アンヌ隊員を演じた菱見百合子さんのお給料は10万円)
「森次晃嗣の妻は?娘は亡くなった?現在は家族でレストラン店?」に続く