女優の麻丘めぐみさんのお姉さんで、中学生の時から歌手を目指していた、藤井明美(ふじい あけみ)さん。そんな藤井さんの知られざる歌手人生と現在について調べてみました。
年齢は?出身は?身長は?本名は?妹は?
藤井さんは、1951年12月19日生まれ、
大分県日出町のご出身(大阪府育ち)、
身長161センチ、
スリーサイズは、82-58-85、
学歴は、
精華学園高校卒業、
趣味は、お茶、華道、琴、
ちなみに、本名は田島明美(旧姓・藤井)で、妹は元アイドル歌手で女優の麻丘めぐみさんです。
「花里あけみ」で歌手デビュー
藤井さんは、1956年、5歳の時、大阪・梅田にある「アカデミー児童劇団」に入ると、1966年、中学生(14歳)の時には、歌手を目指して上京。同年5月からは、作曲家の遠藤実さんの元で歌謡歌手として修業を積みます。
ただ、厳しい下積み生活の中、栄養失調で倒れてしまい、お母さんと、まだ小学校5年生だった妹の麻丘めぐみさんとが、藤井さんをサポートするために急遽上京し、杉並区のお風呂のない1DKのアパートで3人での生活をスタート。
すると、翌年の1967年3月には、こうした、家族総出のサポートのお陰もあり、「花里あけみ」名義で、「思い出さん/花に降る雨」で「ミノルフォン」(現在の徳間ジャパンコミュニケーションズ)よりレコードデビューを果たされるのですが・・・まったく売れず。
「思い出さん/花に降る雨」
それでも、
1967年「渡り鳥芸者/湯の町なさけ」
1968年「花かげろう/紅の海(トシ伊藤とザ・プレイズメン)」
1968年4月「たけくらべ」
と、立て続けにシングルをリリースするのですが・・・
やはり、どれも鳴かず飛ばずで、そのため、藤井さんのお給料とお父さんの仕送りだけでは生活が苦しく、ついには、藤井さんのサポートで働けないお母さんに代わって、妹で小学生の麻丘さんがモデルの仕事を始めることに。
歌手活動を休止~「藤井明美」で復帰するも・・・
そんな藤井さんは、「ビクター」のCMには出演されたものの、学業優先の意味もあってか、歌手活動はしばらく休止して、高校生活を送っていたのですが、
高校卒業後の1970年には、今度は本名の「藤井明美」名義で、「軽井沢の夜/涙は幸せなときも」(ビクター音楽産業)をリリースし、歌手活動を再開すると、
「軽井沢の夜/涙は幸せなときも」
その後も、
1970年「運命-さだめ-/あきらめのブルース」
1971年「女の意地/女ごころ」
1971年「新宿メルヘン/恋の面影」
と、立て続けにリリースされるのですが、パッとせず。
1971年には、「愛のメロディ/(カラオケ) 」で、これまでの歌謡曲とは打って変わって、フォーク色の強い楽曲で新しい境地を開拓するほか、
「愛のメロディ/(カラオケ) 」
1972年には、「ふじいあけみ」名義で、同じ「ビクター」内のフォークレーベルから「野菊にサヨナラ/ねんねのうた」をリリースされるのですが、やはり、どれもヒットとはならなかったのでした。
「野菊にサヨナラ/ねんねのうた」
妹・麻丘めぐみが大ブレイク
そんな中、1972年、妹の麻丘めぐみさんが、「芽ばえ」で歌手デビューすると、なんと、藤井さんをさしおき、たちまちヒットを記録して、一躍ブレイク。
「芽ばえ」
これを見た藤井さんは、今度は自分が妹のサポートをしようと、麻丘さんの付き人に転身し、麻丘さんの体に触ったり、髪の毛にガムをつけたりするような悪質なファンから、麻丘さんを守り続けたのでした。
麻丘めぐみさん(左)と藤井さん。
ちなみに、麻丘さんご自身は全く歌手になるつもりはなく、藤井さんのサポートをするために藤井さんの仕事現場にたびたび顔を出していたのですが、そのうち、何度も歌手デビューを持ちかけられるようになったそうで、
それでも、なかなか売れない藤井さんを間近で見ていた麻丘さんは、歌手の大変さを痛感していたことから、当初は断り続けていたのですが、このまま売れなければ、お姉さんがレコード会社から契約を切られてしまうのではと不安になり、自分が会社の言うことを聞けばいいのではないかと考え、最終的には、歌手デビューの話を受けたそうで、そんなお姉さん思いの決断が、まさかの大ブレイクとなったのでした。
結婚して芸能界を引退
こうして、藤井さんは、麻丘さんのサポートをするようになったのですが・・・
それでも、歌手になる夢はあきらめきれず、1974年には、「立木久美子」名義で、「思い出のカルチェ・ラタン/リラのさよなら」「愛の糸/樹氷」をリリースされるのですが、3度目の正直とはならず。
ついに、1975年3月、雑誌のカメラマンと結婚され、芸能界を引退されたのでした。(1978年頃には、女の子を出産されています)
ちなみに、妹の麻丘さんも、1977年に結婚し芸能界を引退しているのですが、藤井さんの結婚・妊娠に影響されたとのことでした。
娘も同名の立木久美子でデビュー~現在は?
ところで、現在、藤井さんは何をされているのでしょうか。
調べてみると、2001年4月2日には、麻丘さんのジャズライブで、藤井さんと娘さんがゲスト出演し、この時、着物の着付けの先生をしていることを明かされたそうですが、その後の情報はなく、現在はどうされているのか分かりませんでした。
また、娘さんは、就職が決まり、スーツ姿での登場だったようですが、ブログを拝見したところ、
高校卒業後、語学を学びにアメリカへ。帰国後OLとして働くがどうしても歌いたいと思う気持ちを捨てきれず、母(初代・立木久美子)や叔母と同じ道を進む事を決意する。
と、2006年から「立木久美子」の名を受け継ぎ、歌手としての活動をスタート。
その後、
「大切なもの」(2007)
「Smile Again」(2007)
「虹色のカメレオン」(2008)
とシングルを発売されているのですが、その後の情報がなく、こちらも、現在は何をされているのか分かりませんでした。
さて、いかがでしたでしょうか。
子どもの頃から歌手を目指し、何度も挑戦するも、結局、芽が出なかった藤井さん。
妹の麻丘さんに一瞬で追い抜かれた時の気持ちはいかばかりだったことでしょう・・・
でも、麻丘さんのブレイク後、すぐさま麻丘さんの付き人をされていることから、これまで献身的にサポートしてくれた妹さんへの感謝の気持ちは相当大きかったのでしょう。麻丘さんのライブにゲスト出演されていることからも、とても姉妹仲がいいことが伝わってきますね。
歌手の夢は残念でしたが、第二の人生で幸せな日々が続きますように♪
https://www.youtube.com/watch?v=yr7aaPj1S6E
妹の麻丘めぐみさんの「第4回日本歌謡大賞」にお母さんとともに出演!