長年の下積みを経て、1973年、ようやく、ホームドラマ「時間ですよ」で、注目を集められた、藤竜也(ふじ たつや)さんは、1975年には、後に藤さんの代表作となる、大島渚監督の映画「愛のコリーダ」のオファーが舞い込みます。今回は、藤さんが、「愛のコリーダ」に出演されるまでの経緯や製作秘話、そして、題材になった「阿部定事件」について調べてみました。
「藤竜也の若い頃は何年も通行人役?時間ですよの謎の男でブレイク!」
大島渚監督から映画「愛のコリーダ」の出演オファー
藤さんは、赤坂の喫茶店で大島渚監督と初対面されると、
阿部定事件を題材にした愛の物語です。ホン、読んでください。
と、胸元から取り出した脚本を手渡され、同席していた崔洋一さん(当時の助監督)を残して、大島監督はほんの10分足らずで出ていってしまったそうですが、
早速、藤さんはその場で1時間半かけて脚本を読み、さらに、もう一度、読み返すと、
「これをやらないバカはいない」という直感がすごく強かったんですよ。あとは野となれ山となれ、というか。ヤバイ仕事だとは感じましたが、「こう言うテーマは二度と来ない仕事だ」とも思いました。
ああ、こういう切り口があるんだなと思ってね。いちばん見せたくないところを見せて、男と女の心の繋がり(を表現している)。これは誰も世界でやったことがないなと。すごいラブストーリーに思えた。これはやんなきゃ損だと。これを逃げたら一生傷になると。
と、この脚本に何か直感めいたものを感じ、出演することを決心されたのでした。
ちなみに、崔さんによると、藤さんがあまりに時間をかけてじっくり脚本を読んでいたため、あとで電話をしてくれるように藤さんに伝えて、崔さんは、一旦、事務所に戻っていたそうで、
夕方の5時、待ちに待った藤さんから連絡があると、
新宿で飲もう
と、呼び出され、1軒目では3時間ほど飲んだものの、藤さんは、
愛の物語だね
と、ぼそっと言ってはお酒を飲むだけで、ほぼ、無言。
しかし、崔さんは、どうしても、
出演してくれますか?
とは聞けなかったそうで、
その後、店を変え、2軒目でプロデューサーの若松孝二さんに合流してもらい、2時間後、たまらず若松さんが、
どうでしょうか?
と尋ねると、藤さんは、
出る気がなければ、今ここで、若松さんとも崔さんとも飲んでませんよ
と、言われたそうで、
その言葉を聞いた崔さんと若松さんは、二人とも、思わず泣き出してしまったのだそうです。
「愛のコリーダ」は日本初の本番映画だった
というのも、「愛のコリーダ」は、日本初の本番映画だったため、検閲などの問題で日本では製作できず、製作はフランスとの合作で秘密裏に進められていたほか、
フランスのプロデューサーからは、
男性器の形もかっこいい人を
と、写真を求められていたそうで、そんな映画に出演してくれる俳優はおらず、キャスティングは難航。
そんな中、崔さんは、テレビドラマ「新宿警察」以来、交流があった藤さんを、主演の候補に推していたのですが、大島監督はなかなか決めず、製作発表会見の前日というギリギリになって(製作発表会見の7~8時間前)、ようやく、
崔、(藤さんと)連絡取れるか?
と、言われたそうで、前述の赤坂の喫茶店からの流れとなっていたのでした。
ちなみに、製作発表記者会見では、大島監督は、緊張しつつも、大変喜んでいたそうで、崔さんは、キャストが紹介された時の、あの記者たちのどよめきが、今でも忘れられないとのことでした。
また、藤さんは、当時の所属事務所に猛反対され、結局、事務所を辞めての出演となったのでした。
猥褻な表現を巡って裁判に
こうして、藤さんは、1976年、「愛のコリーダ」で主人公の吉蔵役を演じられると、大きな話題を呼ぶのですが・・・
「愛のコリーダ」
実は、この映画は、1936年に実際に起こった「阿部定事件(あべさだじけん)」を、大島渚監督が映画化したもので、男女の性愛を非常に生々しく描いていたため、猥褻な表現を巡って、裁判にまで発展。
大島監督は、7年後、ようやく無罪を勝ち取られているのですが、藤さんも参考人として警視庁で聴取を受けられているのです。
そして、現在もなお、日本では、無修正版は上映することができないままとなっているのです。(海外では、カンヌ映画祭で上映されるなど芸術作品として高い評価を得ています)
ちなみに、藤さんは、役作りのため、70キロあった体重を50キロにまで落として、ハードな演技に挑まれているのですが、
映画では、異常なまでに吉蔵(藤さん)に執着した定(松田英子さん)の視点から、余すことなく吉蔵が撮影されており、当時35歳だった藤さんの、引き締まった肉体や表情といった魅力が炸裂した作品となっています。
「阿部定事件」とは?
ところで、この「阿部定事件」とは、一体、どんな事件だったのでしょうか。
芸者や娼婦などをしながら各地を転々として暮らしていた阿部定(あべ さだ)は、「田中加代」の偽名を使い、住み込み女中として、東京・中野の「石田屋」という料亭で働き始めると、その店の主人・吉蔵に惹かれ、吉蔵もまた、そんな定に目を留めます。
次第に二人は関係を持つようになり、隠れて逢瀬を楽しむようになると、駆け落ちし、待合(飲食や芸妓遊びに使われる場所)を転々としながら、昼夜問わず、愛の行為にふけるのですが、
ある日のこと、定は、性交中に、吉蔵を絞め殺し、吉蔵の局部を切り取って持ち去ります。
すると、定は3日後に逮捕されるのですが、吉蔵を殺した理由について、
私は彼を非常に愛していたので、彼の全てが欲しかった。私達は正式な夫婦ではなかったので、石田(吉蔵)は他の女性から抱きしめられることもできた。私は彼を殺せば他のどんな女性も二度と彼に決して触ることができないと思い、彼を殺した。
と供述し、
なぜ吉蔵の性器を切断したかについては、
私は彼の頭か体と一緒にいたかった。いつも彼の側にいるためにそれを持っていきたかった。
と、供述。
一人の女の、異常なまでの執着が元になった事件だったのですが、そのあまりに猟奇的な殺人に、当時、庶民を震撼させた事件でもあったのでした。
(ちなみに、俳優の阿部サダヲさんの芸名は、この「阿部定」に由来しているのだそうです。)
さて、いかがでしたでしょうか。
藤さんは、後に、この「愛のコリーダ」について、
25年前(このインタビューが2000年に行われたため)、フランスでは理解した人が多かったわけだよね。あられもない肢体の向こうの美しさっていうのを感じたわけでしょ?
25年たったら日本も成長しましたかね。まあ、裸本位で見たって自由ですけれども。だけど何かは心に引っかかるんじゃないかな。昔、「全然オレ興奮しなかったよ」って言った記者がいたけど。
と、嘆いておられましたが、
このインタビューからさらに20年近く経ち、果たして日本は成長したのでしょうか。
さておき、藤さんの渾身の演技、まだ見られていない方は、是非この機会にご覧下さい!!
「藤竜也と草刈正雄が共演?キャスターcm?その他出演ドラマ映画は?」に続く