近年では、2016年のNHK連続テレビ小説「とと姉ちゃん」の語り(ナレーター)でお馴染みの、檀ふみ(だん ふみ)さん。実は、檀さんは、若い頃、知的な清純派女優として人気を博したのですが、今回は、そんな檀さんの、ご両親や生い立ちについて調べてみました。
年齢は?出身は?身長は?本名は?
壇さんは、1954年6月5日生まれ、
東京都練馬区のご出身、
身長170センチ、
血液型はA型、
学歴は、
東京学芸大学附属大泉中学校
⇒東京教育大学附属高等学校(現・筑波大学附属高等学校)
⇒慶應義塾大学経済学部卒業
(駿台予備学校で一浪して入学し、6年かかって卒業)
趣味・特技は、料理、
ちなみに、檀ふみは本名で(姓は「壇」ではなく「檀」)、
お父さんは、「リツ子その愛・その死」「火宅の人(上)(下)」などを執筆した作家の檀一雄さん、
お母さんは、酒造家の令嬢で、「火宅の人」の主人公の妻のモデルになった、ヨソ子さん、
お兄さん(腹違い)は、随筆家の檀太郎さんです。
両親は?
まずは、檀さんの生い立ちの前に、ご両親の話から。
檀さんのお父さん、檀一雄さんは、開業医の娘・高橋律子さんとのお見合いを持ちかけられ、当初は会うことすら渋っていたのですが、
一回会ってもらわないと話は断れない
と言われ、嫌々お見合いされると、律子さんと対面して1分後には、
どうか、よろしくお願い致します
と、その場で結婚を決断し、仲人の方に深々と頭を下げたことから、律子さんもまた、そんな一雄さんの決断の早さを見て、一雄さんが好きになったそうで、二人はめでたく結婚。
結婚後は、後に作家となる、長男の檀太郎さんが誕生するのですが、太郎さんが3歳になる直前に、律子さんは「腸結核」のため、他界してしまいます。
その後、一雄さんは、そのショックからか、長男の檀太郎さんを連れて山寺にこもり、窮乏生活をしていたそうですが、その窮状を見かねた童話作家の与田凖一さんから、
檀さん、戦争未亡人ではあるが、よかったら一度会いませんか?
と、山田ヨソ子さんとのお見合い話を持ちかけられるも、
私には、太郎が居りますから、結婚はどうも
と、一旦は断られるのですが、
週に一度、食料調達のために山を降りて来た際、ヨソ子さんと出会われると、この時も、律子さんの時同様、すぐに、
よろしくお願いします
となり、太郎さんを連れて、ヨソ子さんと再婚されたのでした。(ヨソ子さんと会うことになったのは、与田さんの策略)
幼少期
そして、そのヨソ子さんと一雄さんの間に生まれた女の子が、檀さんなのですが、
「無頼派作家」と呼ばれていたお父さんは、
奮闘しなさい! あなたたちは怠け過ぎです。人の100倍奮闘しなさい
が口癖で、酔って夜中に帰ってきては、寝ている檀さんたちを叩き起こして、突然お説教が始まる、ということが、度々あったほか、
いつもどこかに逆鱗を秘めていて、何かがきっかけで突然怒り出すと、その怒りがどれほど続くのか見当がつかないほど長く続いたそうで、幼い檀さんは、いつも怯えて育ったのだそうです。
お父さんとの2ショット。
また、お父さんには愛人がいたのですが、檀さんが小学4年生の頃に別れると、以降、家中心の生活を送るようになったのですが、
お母さんも気の強い人で、お父さんが怒ることを平気で口にし、口答えもすごかったため、夫婦ゲンカは凄まじく、学校へ行って、友達の顔を見ていると、
世の中はなんて平和なんだろう
と、泣きたくなることが何度もあったのだそうです。
父親に髪の毛を持って引きずられる
そんな中で育った檀さんですが、特に忘れられないのが、小学校3年生の時のことだそうで、
檀さんは、髪の毛を伸ばしていて、長い髪をとても大切にしていたのですが、夏が来て、プールの時間が近づくと、お母さんから、
髪の毛を切りなさい
と言われ、それに腹を立てた檀さんは、ハンスト。檀さんは、屋根裏部屋に隠れ、夕食の時間になっても、ご飯を食べに降りずにいたそうですが、
この檀さんの態度に、家族で食卓を囲むことを一番大事にしていたお父さんは激怒。
じゃあ俺が切る!
と、檀さんの髪の毛を持って引きずられたそうで、
本当に殺される
と、思った檀さんは、あらん限りの力を振り絞って大暴れし、下着姿に裸足という格好で、外に逃げ出したのだそうです。
ただ、結局は、髪の毛を切ることを約束させられたそうで、以来、檀さんは、髪の毛のことはどうでもよくなり、気にしなくなったのだそうです。
「檀ふみの若い頃は高倉健と?デビュー作ほか出演ドラマ映画は?」に続く
(左から)お母さんの山田ヨソ子さん、檀さん、お父さんの檀一雄さん。