1997年、テレビドラマ「踊る大捜査線」で、わがままでお気楽だけど憎めない、神田総一朗署長役を演じられ、ブレイクされた、北村総一朗(きたむら そういちろう)さん。そんな北村さんの、生い立ち、俳優を目指したきっかけについて調べてみました。
年齢は?出身は?身長は?本名は?
北村さんは、1935年9月25日生まれ、
高知県のご出身、
身長172センチ、
血液型はA型、
本名及び旧芸名は、北村総一郎(漢字違いで読み同じ)、
学歴は、
高知大学農学部(林業政策専攻)卒業、
特技は、土佐弁、
趣味は、絵画、靴磨き、靴修理で、特に靴が大好きで、50足以上所有し、年に1回、1日かけて全部の手入れをされるそうです。
中学時代は家に帰りたくない一心で演劇部創設
北村さんが中学1年生の時、お父さんが家に愛人を住まわせたそうで、お兄さんは独立、お母さんとお姉さんは一緒に家を出て行ってしまいます。
そして、北村さんだけが家に残ったのですが、お父さんからは、
どうせこいつも母親の所へ行く
と、思われたのか、邪険にされたそうで、
そのため、北村さんは家に帰ることが嫌で、放課後遅くまで学校に残れるようにと、演劇部を創設。演劇活動に打ち込むようになったそうです。
高校時代に俳優になることを決意
その後、高校に進学した北村さんは、ついに家を出てお母さんと一緒に生活されると、高校の授業料を払うのにも苦労するほど、生活は厳しかったそうですが、
演劇部で演劇活動を続けられ、演劇コンクールにも入賞したことから、俳優の道に進むことを決意。
大学進学後は演劇研究会に所属し、アルバイトで学費を稼ぎながら、ますます演劇活動にのめり込んだそうで、
卒業論文の発表では、
これから演劇の道に進みます。林業政策には絶対迷惑をかけないので、合格点を下さい。
と、演劇の道に進む決意表明をされたのでした。
(ちなみに、北村さんは真剣に発表したそうですが、どっと笑いが起きたそうです♪)
「文学座養成所」1期生~「劇団雲」~「劇団昴」
そして、大学卒業後、俳優を目指して上京すると、1961年には、「文学座養成所」のオーディションに見事合格し、「文学座養成所」第1期生に。
サラリーマンなどの安定した職業に就くことを望んでおられたお母さんも、北村さんが「文学座養成所」の第1期生に選ばれたためか、止めることはなかったそうで、北村さんは、ようやく念願の、演劇にどっぷり浸かる日々を送られたのでした。
ただ、
アクセント辞典はいつもかばんの中にあったね。当時は標準語が至上命令。でも土佐弁で表現していた気持ちが標準語だと分からない。外国語みたいに置き換えたりしたよ。
「すごくきれいだね」を「まことげにきれいじゃの」とすると「うわーっ、きれいだな」と、気持ちが乗るんだ。
と、言葉に苦労されたうえ、なかなか芽が出なかったそうで、
なんと、40歳近くまで、風呂なしアパートで生活され、その間、6畳一間に友達と住んでいたこともあったほど、貧しい生活を送られたのだとか。
(ちなみに、北村さんは、「文学座」は数年で脱退し、芥川比呂志さんらによって創立された「劇団雲」(1976年「劇団昴」に統合)に入られています)
劇団昴の韓国公演「海は深く青く」(1979年10月26日)より。
それでも、北村さんは、
食うのに精いっぱいだったけど、貧乏は当たり前。みんなそうだったから、全然気にならなかった。演劇ができることが楽しかった。
と、その時のことを懐かしそうに振り返っておられました。
「北村総一朗の昔の画像!踊る大捜査線ほか出演ドラマ映画は?」に続く
劇団雲「黄金の国」の集合写真より(1966年)。後列左から5人目が北村さん。2つ右隣には芥川比呂志さん。そして、(前列左から)神山繁さん、真屋順子さん、寺田農さん、名古屋章さん、内田稔さん、仲谷昇さん・・・。中列右端には、山崎努さんも。皆さんとてもいい顔をなさっています。