1970年代後半、テレビドラマ「パパと呼ばないで」「雑居時代」「水もれ甲介」「気まぐれ天使」などで次々と主演を務めると、ドラマは大ヒットを記録し、人気俳優としての地位を確立された、石立鉄男(いしだて てつお)さん。今回は、そんな石立さんのプライベートについて調べてみました。
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女優・吉村実子と地味婚
石立さんは、1968年、26歳の時、女優の吉村実子さんと結婚されています。
お二人は、1963年、テレビドラマ「夏」での共演で知り合われると、石立さんが吉村さんに一目惚れし、猛アタックの末、交際に発展。
「夏」より。石立さんと吉村さん。
当時の雑誌で仲睦まじいご様子の石立さんと吉村さん。
まもなく、石立さんは吉村さんにプロポーズされるのですが、5年後の1968年12月12日、ようやく、東京・品川の高輪教会で内輪だけで結婚式を挙げられると(披露宴もなし)、
新婚旅行も、横浜港から船に乗って神戸へ行き、奈良を巡って2泊3日で戻ってくるという、とても質素なものだったそうです。
結婚式
女優・吉村実子とは格差婚だった
ちなみに、奥さんの吉村さんは、お姉さんがタレントの芳村真理さんなのですが、真理さんと箱根で遊んでいたところを今村昌平監督にスカウトされ、いきなり、映画「豚と軍艦」の主役に抜擢されてデビューされており、
以降、今村監督の「にっぽん昆虫記」、新藤兼人監督の「鬼婆」に出演されるなど、日本映画に欠かせない女優として活躍。
同年11月20日に行われた婚約発表会見で、記者から収入について質問が出た際、石立さんが、「月に5~7万円」と答えたのに対し、吉村さんは言葉を濁しておられたそうなので、今でいう、「格差婚」だったようです。
婚約後ギャンブルで家財道具を失い音信不通
そんなお二人は、前述のとおり、1963年に知り合い、結婚したのが1968年と、結婚に至るまで5年もの歳月を要しているのですが、それは、石立さんの収入の問題だけではなかったようです。
というのも、お二人は、結婚後のためにとお互いお金を出し合い、家財道具を少しずつ購入していたのですが、ある日、吉村さんが石立さんのアパートを訪れると、冷蔵庫など、二人で買い揃えた家具が全てなくなっていたというのです。
実は、石立さんが、ギャンブルで負けてできた借金を返すために、これらの家財道具を売り払ってしまっていたのですが、それを知った吉村さんは怒ってアパートを飛び出し、石立さんの前から姿を消してしまったのでした。
その後、音信不通になって1年が経った頃、共通の友人に間に立ってもらって、交際が再開したとのことで、
石立さんは、インタビューで、
21歳で、女房と知り合ってコツコツ家財道具、買ったんです。それである程度できあがって収入が七万円ぐらいになったとき、バクチに凝って借金が七十七万円もできて、家財道具を全部売り払った
これが原因で実子を怒らせ、一年間の別居事件を起こしての結論は「バクチは大やけどをするほどやっちゃいかん」という、平凡な結論です。
と、おっしゃっていました。
結婚生活は当初は順調も・・・
それでも、結婚生活は順調で、1971年に男の子が、1973年には2人目の男の子が誕生。
さらに、仕事面でも、石立さんは、「パパと呼ばないで」「雑居時代」「水もれ甲介」「気まぐれ天使」など、大ヒットドラマに次々と主演して人気俳優の地位を確立し、公私ともに絶頂期を迎えており、
吉村さんも、当時のインタビューで、
主人は、家庭的なとこはまったくない人です。仕事に熱中すると家のこと、忘れちゃうんですね。だいたい週に二回ぐらいしか帰らない。
でも、男の魅力って仕事をしてる姿でしょ。家庭の事なんかあまり関わらないで頑張ってほしいわ。あの年代では、頑張って仕事してると思いますけど。
と、結婚生活の充実ぶりを語っておられたのですが・・・
21年別居の末の離婚
1970年代後半になると、石立さんは、ほとんど家に帰らなくなり、最後に自宅に寄った1978年のお正月を境に、家族との関係は完全に断絶。
石立さんが吉村さんと顔を合わせたのは、なんと、それから21年後の1998年11月、離婚が成立し、弁護士が同席して、双方が離婚届に印鑑を押す時だったのでした。
ちなみに、21年も離婚されなかったのは、2人の息子さんが成人するのを待っていたため、と言われているのですが、
石立さんがこの21年の間にお子さんたちに会ったのはたったの2回だったそうで、吉村さんが、あまりにも一方的で理不尽な別居に納得できなかったからだとも言われています。
子どもは息子が2人
そんな石立さんと吉村さんの間には、前述の通り、2人の息子さんがいらっしゃるのですが、
長男は1971年に誕生した大和さん、次男は1973年に誕生した隼人さんで、二人とも一般のお仕事をされているようです。
ちなみに、石立さんは、大和さんが6歳、隼人さんが4歳の時のインタビューで、
子供達の名前、古事記からとりました。でも、隼人の名前、最初は区役所で拒否された。それで喧嘩して、じゃあカナで書いとけ。必ず元の漢字に戻してみせる、ってやった。
四年たって制限撤廃で許可になりましたけどね。
子供を役者にしようという気はないんです。子供も言ってますよ。上の子は内閣総理大臣下、下の子は防衛庁長官になりたいって。僕の基地の子意識の血の流れですかね。
だいたい子供ってのはオヤジの生き方しか見ないものなんです。子供が大きくなって親から学ぶものは、オヤジの生き方、生きざましかない。男の子はとくにそうだ。
と、語っておられました。
さて、いかがでしたでしょうか。
石立さんの、
- 女優・吉村実子と地味婚
- 女優・吉村実子とは格差婚だった
- 婚約後ギャンブルで家財道具を失い音信不通
- 結婚生活は当初は順調も・・・
- 21年別居の末の離婚
- 子どもは息子が2人
について、まとめてみました。
絶頂期には、タレント的に売れていた作曲家の高飛車なものの言い方に腹を立て、散々殴ったあげく、レミーマルタンの瓶を投げつけたことがあるほか、首位打者をとったプロ野球選手と殴り合ったこともあるなど、数多くの武勇伝(?)を持つ石立さん。
子供が大きくなって親から学ぶものは、オヤジの生き方、生きざましかない。男の子はとくにそうだ。
と、豪語されていましたが、確かに、息子さんたちは、家庭を捨て、好き放題に生きた父親から、身を持って学ばれたことでしょう・・・
「石立鉄男の死因は動脈瘤破裂!晩年は熱海で麻雀店!通夜や葬儀は?」に続く