「仁義なき戦いシリーズ」のような実録路線にとどまらず、「柳生一族の陰謀」などの大作時代劇、「蒲田行進曲」などの笑いあり涙ありの人情劇など、ジャンルにとらわれず、次々と娯楽作品を世に送り出した、深作欣二(ふかさく きんじ)さん。今回は、そんな深作さんのプライベートについて、調べてみました。
「深作欣二の死因は前立腺ガン骨転移!葬儀ではブルーハーツ?」からの続き
嫁は中原早苗
深作さんは、1965年、女優の中原早苗さんと結婚されています。
「かわいい女」(1959)より。金子信雄さんと中原早苗さん。
中原さんは、1953年、映画「村八分」の主演で女優デビューされると、その後は日活で主に悪女役で活躍され、1964年にはフリーとなり、深作さんの監督映画「仁義なき戦い」シリーズ(1974-1976)、「柳生一族の陰謀」(1978)に出演されるほか、同じく深作さんが監督を手掛けたテレビドラマ「ザ・ガードマン」(1971)にも出演されているのですが、
若き日の深作さんと中原早苗さん
脚本家の笠原和夫さんが、1964年頃、
それで同じ部屋に机を置いて、二人でヨーイ・ドンと始めたわけです。それで僕は五日間で書きあげちゃったわけですよ。で、「お前、どうなってる」と見たらまだ二〇枚しかできていないと。それで夜になると、なぜかノコノコ出ていく。何をしているかというと、ちょうど深作は(女優の)中原早苗と結婚間近でね
と、おっしゃっていることから、この頃にはすでに交際されていたようです。
ちなみに、結婚生活は、度々深作さんの女性関係に悩まされたようですが、動じず、深作さんが亡くなるまで夫婦として共に暮らされていたそうで、
深作さんが亡くなった後も、(女優業から遠ざかり)自宅で深作さんが過去に演出した作品を観るという生活を送られ、
日本暴力団・組長って映画、あれに私も出演していて安藤昇さんが私の夫役だったのね。久しぶりに見たら安藤さんがかっこよくてね。個人的に仁義なき戦いより好きな映画ですね。
と、ヤクザ映画本の取材にも応じられていました。
しかし、そんな中原さんも、2012年5月12日、「心不全」のため、他界されています。
息子は深作健太
そんな深作さんと中原さんの間には、1972年、息子の健太さんが誕生しています。
深作健太さん
健太さんは、大学卒業後、いったんは清掃会社に就職するも、その後、フリーの助監督として「東映テレビ・プロダクション」で戦隊シリーズほか、「身も心も」(1997)、「時雨の記」(1998)、「おもちゃ」(1998)などの映画に携わると、
お父さんである深作さんの遺作「バトル・ロワイアルII 【鎮魂歌】」の脚本とプロデュースを担当し、深作さんが2003年に他界された後は、監督を引き継ぎ、完成。
(深作さんが2003年初頭に他界されているので、実質的には、ほとんど健太さんが監督をされており、健太さんの監督第1作目となっています。)
近年は、映画のほか、演劇「里見八犬伝」(2019)、オペラ「L.V.ベートーヴェン『フィデリオ』」(2020)など、多方面で活動されています。
健太さんが幼い頃の家族のスリーショット♪
松坂慶子と不倫関係に
ところで、奥さんの中原さんが悩まされた、深作さんの女性関係とはどのようなものだったのでしょうか。
まずは、女優の松坂慶子さん。
深作さんは、1982年、東映から松竹に真田広之さんを連れて来て、松竹の看板女優だった松坂慶子さんを使って、映画「道頓堀川」を撮影されているのですが、
現場に4日遅れで入った松坂さんは、深作さんや真田さんがすでに現場に打ち解けているのを見て、すねてしまい、現場の雰囲気が悪くなったそうで、
それを見かねた製作スタッフが、
このままじゃ映画作れないから、作(深作)さん、一度松坂とちゃんと話してよ
と、新宿のホテルの部屋を2泊分用意されたのですが・・・
なんと、二人はそのまま男女の関係になったというのです。
その後、深作さんは、すっかり松坂さんに惚れてしまい、松坂さんもまた、深作さんの才能に心底惚れて、二人は深い仲になり、以降、長きに渡り、不倫関係となってしまったのでした。
ちなみに、松坂さんのお父さんによると、松坂さんは、深作さんとのデート費用はもちろんのこと、同棲のための諸経費ほか、深作家の諸経費、深作さんの息子の怪我の入院費用まで、30万、50万と言われるままに渡していたそうで、
ウチの娘はあの監督にボロボロにされた
とまで、おっしゃっています。
「深作欣二と荻野目慶子の不倫は息子の進言がきっかけだった!」に続く