「ザ・ローリング・ストーンズ」の曲がR&Bのカバー曲から自作曲へと移り変わる中、1965年には、キース・リチャーズさんと作曲を担当した「(I Can’t Get No)Satisfaction」が大ヒットを記録した、ミック・ジャガーさん。今回は「ザ・ローリング・ストーンズ」のその後の快進撃や、ミックさんの意外な人物との交友についてご紹介します。
「ミックジャガーのブレイクの陰にはブライアンジョーンズとの不仲&死が!」からの続き
ストーンズ風R&B確立
ミックさん率いる「ザ・ローリング・ストーンズ」は、1969年にブライアン・ジョーンズさんが脱退(その後、死去)した後は、新しくミック・テイラーさんが加わり、2本のギター・アンサブルを軸とする、「ストーンズ風R&B」を確立すると、
(ちなみに、1962年10~12月頃、ブライアンさんとキースさんは、マディー・ウォーターズ、チャック・ベリー、エルモア・ジェームズのアルバムを聴きながら、当時、ほかのバンドはまだ誰もやっていなかった、2本ギターを同時に演奏するという作業を、1日8時間も練習されていたそうです。)
その後も、
1969年「Honky Tonk Woman」
1971年「Brown Sugar」
1972年「Tumbling Dice」
1974年「It’s Only Rock’n Roll」
など、次々とヒット曲を連発。
1976年には、テイラーさんが脱退し、ロン・ウッドさんが代わりに加入しますが、それでも、基本スタイルは維持しつつ、流行も取り入れながら、「Miss You」(1978)、「Start Me Up」(1981)などのヒット曲を連発。
1993年には、ビル・ワイマンさんが脱退しますが、以降も、大規模な世界ツアーを定期的に実施するなど、今もなお、常に音楽シーンのトップを走る存在として、世界的な人気を博し続けています。
いつからブルースからロックに?
ところで、1960年代はじめ、もともと、ブルースとR&Bのカバーバンドとして活動を開始した「ザ・ローリング・ストーンズ」が、ブルース・バンドではなく、ロックンロール・バンドとなったのは、いつ頃なのでしょうか。
ミックさんによると、
そもそも俺達のファンは別にブルース純粋主義者じゃなかったと思うよ。確かにクラブを経営してたのはブルース純粋主義者だったろうけど、オーディエンスは喜んでロックを聴いてた。
でも、トラディショナル・ジャズ・ナイトとモダン・ジャズ・ナイトに分かれていて、それぞれ違う客が来る。どれもこれもちっぽけな箱に収められ、箱から箱へ移動することはできなかった。
だからストーンズはそこから抜け出すしかなかったんだよ。俺達はそこを離れ、映画館とかダンス・ホールとか、当時のブリティッシュ・ロックをアンプでガンガン響かせる場所に出るようになった。
ということで、
「ザ・ローリング・ストーンズ」が、「ブルース」や「ロックンロール」に合わした訳ではなく、周りが勝手に、「ザ・ローリング・ストーンズ」の音楽を「ブルース」や「ロックンロール」に分類しているだけで、そんなことはどうでもいいと言わんばかりのコメントをされていました♪
デビッド・ボウイと親友だった?
そんなミックさんを「デビッド・ボウイ」で多くの人が調べられているのですが、
ミックさんによると、デビッド・ボウイさんといつ頃どのように出会ったのかは、もう覚えていないそうですが、1970年代初め頃、一緒にパーティに行ったり、ミックさんの家にデビッドさんが遊びに来て、一緒にデビッドさんの音楽をプレイするなど、よくつるんでいたそうです。
ちなみに、ミックさんは、そんなデビッドさんについて、
僕らの友情の中にはいつも、情報の交換があった。僕らの間には、競争心の要素もあったと思うけど、大したことじゃなかった。
彼が来ると、僕らはそれぞれの仕事――新しいギタリストや曲作りの新しい方法、スタイル、フォトグラファーなんかについて話していた。ステージでビッグなことをやりたいって、共通点があったんだ。
彼はいつも僕の服のラベルをチェックしてた。彼に会うと、ハグを交わすんだけど、彼が、僕がなにを着ているのか、僕のシャツの襟の内側を見ているの、感じてたよ。
彼はときどき僕のマネをしてた。でも、それに対して正直だった。僕の動きをマネしたら、“これは君のだ。僕もやってみたんだよ”って言ってた。彼となにかを共有するのは構わなかった。僕ら、たくさんのことを共有していたからね。お互いさまだった。
と、明かされているほど仲が良かったようで、1985年には、「Dancing In The Street」で、初のコラボレーションも果たされています。
ただ、デビッドさんが2004年頃に体調を崩すと、それが原因でか、疎遠になってしまったようで、以来、一度も会わぬまま、デビッドさんは、2016年1月10日に「ガン」で他界。
ミックさんは、デビッドさんがガンで闘病されていたことも知らなかったそうで、
彼が亡くなる前にリリースされた『★(ブラックスター)』(遺作)を聴いてたんだ。長い間、会っていなかったから、連絡を取り合わなきゃと思っていたんだ。でも、そのすぐ後に亡くなってしまってね。ひどく動揺しているんだ。
と、亡き友を偲ばれていました。
「ミックジャガーの歴代恋人(マリアンヌフェイスフル、マーシャハント)」に続く