アラン・ウィリアムズさんの斡旋(あっせん)で、ハンブルク(西ドイツ)に行くべく、ドラムスにピート・ベストさんを加えた「The Beatles」は、アランさんが運転する車に機材を積み、意気揚々とフェリーでリヴァプールを出航したのですが・・・
「ビートルズの名前の由来は?改名前の3つの名前とは?」からの続き
ハンブルク「インドラ・クラブ」
ドラムスにピート・ベストさんを加えて、なんとかバンドとしての体裁を整え、ハンブルクに到着した、「The Beatles」ですが、まだ駆け出しの彼らにはホテルなど用意されておらず、寝泊まりするのは、すぐ近くにトイレがあって悪臭ただようコンクリートむき出しの映画館の舞台裏で、猛烈な悪臭と寒さの中やっと眠りにつくも、映画の大音量で起こされる毎日。
そして、肝心の仕事も、ブルーノ・コシュミダーさんが経営するナイトクラブ「インドラ・クラブ」で、毎日6~8時間の演奏という過酷な労働(ただ、週100ポンドとギャラは良かったそうです)。
しかも、港町ハンブルクのクラブに来る客はというと、ストリップ目当ての気性の荒い船乗りのため、普通におとなしく演奏していた「The Beatles」の評判は散々だったのでした。
インドラ・クラブ
リンゴスターと「The Beatles」の出会い
そんな中、オーナーのコシュミダーさんに、ステージの前まで来て、大声で、
Mach Schau‼ Mach Schau‼(ショーを盛り上げろ!)
と言われて、尻を叩かれるなどしているうち、次第に「The Beatles」のメンバーも盛り上げることができるようになると、長時間のステージで演奏が上達したこともあり、次第に人気を博すように。
その後、「インドラ・クラブ」は、クラブの上の階に住む女性住民の騒音による苦情などで警察が動き、「The Beatles」は追い出されるのですが(結局、1960年8月17日から10月3日まで48日間連続で演奏し続けたそうです。)、
その翌晩からは、オーナーのコシュミダーさんが所有する、同じ通りの、さらに広いもう一つのクラブ「カイザーケラー」に移って演奏を続けると、「The Beatles」の人気はうなぎのぼりに。(特にポールさんが一番の人気だったそうです)
そして、この「カイザーケラー」には、後にメンバーとなるリンゴ・スターさんがドラムスを務める「ロリー・ストーム&ザ・ハリケーンズ」も出演しており、ピートさんが何度かステージを休んだ際には、リンゴさんが代役として「The Beatles」のドラムを叩くようになったのでした。
カイザーケラー
ジョンがパンツ一丁でステージに?
ところで、この「カイザーケラー」では、なんと、ジョンさんが、パンツ一丁でステージに立ったという話があります。
というのも、ジョンさんが、ある晩、女の子とイチャイチャしてステージに上がらずにいると、「カイザーケラー」で用心棒をしていたホルスト・ファッシャーが怒って、ジョンさんの頭に水をぶっかけ、
ステージに上がれ!
と命令。
すると、なんと、その後、ジョンさんは、パンツ一丁に頭から便座をかぶった姿で、ギターを弾き始めたというのです。
当然、酔っぱらい客には大ウケした訳ですが、ミュージシャンのプライド云々ではなく、生活を賭けて音楽をしていた彼らのプロ根性が、後々に、「The Beatles」をスーパースターにしたのかもしれませんね。
ちなみに、ジョンさんは、後に、
僕らが本当に進歩したのはあの場所だった。ドイツ人を楽しませて、それを12時間続けるためには本当に頭をしぼらなきゃならない。リヴァプールにいたら絶対あそこまで進歩できなかっただろう。
ハンブルグでは思いついたことはどんなことでも試してみなければならなかった。真似る手本なんて無かった。僕らは僕らが一番好きなものを演奏したけど、ドイツ人はやかましい曲なら何でも好きだった。
と、語っておられます。(結局、この「カイザーケラー」では10月4日から11月28日まで56日間連続で演奏し続けたそうです。)