2012年の大晦日には、NHK紅白歌合戦に初出演して「ヨイトマケの唄」を熱唱し、各方面から絶賛された、美輪明宏(みわ あきひろ)さんですが、2019年9月には、「脳梗塞」と診断されて、入院されています。
「美輪明宏の霊感は本物?天草四郎の生まれ変わりは嘘?」からの続き
養子は元付き人
美輪さんは、2013年、「週刊文春」に養子がいることを明かされています。
実は、1970年代に美輪さんの付き人が辞め、親友の紹介で当時17歳の文学座の研究生だった男性Aさんが美輪さんの付き人をすることになったそうで、
Aさんは、眉毛が濃く、目鼻立ちがはっきりしていて、俳優の神田正輝さんを真面目にしたようなルックスだったことから、その後、付き人としてではなく、美輪さんのもとで役者修行をしながら、1978年放送のNHK大河ドラマ「黄金の日日」などにも出演されていたそうですが、
それから数年後には役者を廃業し、再び、美輪さんの付き人として働き始め、現在は、美輪さんの所属事務所「オフィスミワ」の社長を務められているとのことで、この方が養子だというのです。
(この男性Aさんは、藤堂貴也さんという方だといわれています。)
養子にした理由は尽くしてくれた感謝から
美輪さんによると、Aさんは、両親が健在中は、自分の息子の苗字が変わるのはいい気持ちがしないし、寂しくなるだろうからと、養子の話を受け入れなかったそうですが、
両親が亡くなった後、美輪さんが再び、
そろそろウチの籍に入ってもらっていい?
と、養子になることを打診されると、Aさんもようやく承諾されたそうで、
美輪さんは、
ただ報いてあげたいと思うじゃないですか!感謝です一生懸命陰ひなたなくやってね
と、Aさんに対する感謝の気持ちから、養子にされたことを明かされていました。
(これまで、アクセサリーや衣裳の手入れまで、何から何までAさんが全部一人でやっておられたそうです)
ちなみに、美輪さんの遺産は数十億円とも言われているのですが、
美輪さん本人は、
そんな大金はありませんよ(笑)。大半は税金で取られるので残らないです。
と、笑っておられたそうです。
脳梗塞で入院
そんな美輪さんですが、2019年9月11日夜に「脳梗塞」で入院されたことがニュースで報じられています。
美輪さんは、9月11日の昼には、NHK「ごごナマ」に生出演し、元気な姿を見せていたのですが、
週刊誌「女性自身」によると、実は、その前日の9月10日、東京・池袋の東京芸術劇場プレイハウスでのコンサート「美輪明宏の世界~愛の話とシャンソンと~」の上演後、美輪さんの楽屋を訪ねると、
コンサートは今年で最後になるかも……
と、これまでの取材では見せたことがないような疲れた様子だったそうで、今回の入院報道は、そんな矢先の出来事だったそうです。
そこで、記者が、状況を確認するため、9月12日、美輪さんの所属事務所に連絡を取ってみたところ、
美輪さんは、「ごごナマ」に生出演された後、体調の違和感を訴えたそうで、
病院で検査を受けたところ、軽い脳梗塞と診断されました。意識もはっきりしているし、会話もふだんと変わりません。でも大事を取って2週間ほど入院することになりました。
と、公演中だったコンサート「美輪明宏の世界~愛の話とシャンソンと~」の東京公演(9月23日まで)は中止となった模様。
美輪さんは、そのことについて、
コンサートを楽しみにされていたファンの方々に申し訳ない
と、話をされていたそうですが、
記者が、美輪さんの担当マネージャーと話し終えた30分後には、携帯のメールに、
ご心配をお掛けしました。申し訳ございません。ですが私は不死身です。不死鳥のように蘇ります。こうご期待。ルンルン
と、美輪さんからメッセージが入ったそうで、
2日前に会った時とは違い、気丈でユーモアあふれる美輪さんのメールに、記者はホッとしたと綴り、美輪さんへの応援メッセージで記事を締めくくられていました。
ちなみに、美輪さんは、この「ルンルン」という言葉について、
会話の途中にルンルンって入れると、深刻な問題も深刻じゃなくなって気が楽になるんです。これは救いの言葉。本心をぶつけ合っても、ソフトな印象を受けるから、気分が上がる。皆さんで、はやらせていただきたい。
と、入院前に、ステージ上で話されていたとのことでした。
(最終的に、「美輪明宏の世界~愛の話とシャンソンと~」は、東京公演だけでなく、10月以降全国4ヶ所で予定していた公演全て中止となり、さらには、11月から翌年2月にかけて、神奈川、埼玉、千葉で予定していた「音楽会」の中止も発表されています)
さて、いかがでしたでしょうか。
美輪さんの、
- 年齢は?出身は?身長は?本名は?
- 裕福で恵まれた幼少期
- 子供の頃から批判的?
- 悲惨な光景を目の当たりにしさらに批判的に
- 戦争を経験
- 原爆のピカドンを目の当たりにし被爆
- 家族全員無事も・・・
- 空襲後の悲惨な光景を目の当たりに
- 終戦後も目を覆う惨状を目の当たりに
- 小学生の頃からピアノと声楽のレッスン
- 独学でシャンソンの勉強
- 実家が破産も・・・
- シャンソン「メケ・メケ」で大ブレイク
- 「銀巴里」を文化の発信地に
- 大人気から一転、激しいバッシング
- 作詞作曲を始めるもさらにドツボ
- 「ヨイトマケの唄」で人気再燃
- 「ヨイトマケの唄」が不適切な歌詞で放送自粛
- NHKで再ブレイク
- 47年の時を越え紅白で「ヨイトマケの唄」を歌唱
- 寺山修司の「天井桟敷」旗揚げ公演「青森県のせむし男」で俳優デビュー
- 三島由紀夫との出会い
- 当初は牽制し合っていた?
- 三島由紀夫が美輪の姿にカルチャーショック?
- 三島由紀夫から歌の才能を認められる
- 三島由紀夫の愛人だった?
- 真相は?
- 三島由紀夫が割腹自決
- 実際の恋人は俳優の赤木圭一郎
- 「天草四郎の生まれ変わり」はいつ頃から?
- 三島由紀夫に取り憑いた青年将校の霊を言い当てる
- 霊はどのように見える?
- 「天草四郎の生まれ変わり」は売名行為?
- 養子は元付き人
- 養子にした理由は尽くしてくれた感謝から
- 脳梗塞で入院
について、まとめてみました。
裕福な家庭で何不自由なく育ち、歌の才能に恵まれるも、戦争、同性愛者への偏見など、それ以上に、苦しい経験をたくさんされてきた美輪さん。
お体の具合が心配されますが、ご本人の言われるとおり、不死鳥のごとく蘇られることを願ってやみません。
https://www.youtube.com/watch?v=5jOZf0vOgyw