アクションドラマ「キーハンター」では、一躍アイドル的な人気を博すも、イメージ定着を嫌い、人気絶頂の中、降板された、千葉真一(ちば しんいち)さんは、1973年には、その通り、深作欣二監督作品「仁義なき戦い 広島死闘篇」で、今までのイメージを覆す、凶暴なヤクザ・大友勝利役を演じられます。ただ、その舞台裏では、屈辱的なことが起こっていました。
「仁義なき戦い 広島死闘篇」では当初は主役の山中役だった
千葉さんは、1969年、笠原和夫さん脚本の映画「日本暗殺秘録」で、テロリストの小沼正役を演じて、京都市民映画祭の演技賞を受賞されているのですが、
「日本暗殺秘録」より。
「仁義なき戦い 広島死闘篇」でも脚本を担当された笠原さんは、この小沼正の一面を、
主役である、予科練(海軍飛行予科練習生)出身のヤクザ・山中正治のキャラクターにも取り込んでいたことから、千葉さんに山中正治を演じさせようということでのキャスティングだったそうで、
そのことを知った千葉さんも、小沼と山中に共通点を見出して役作りをし、セリフも全て覚えられていたのですが、
なんと、撮影に入る直前、北大路欣也さん(狂犬のように凶暴なヤクザ・大友勝利役を演じることになっていた)が、
山中(正治)の方が自分のキャラクターに合っているのでは? それにセリフがどぎつすぎる大友はできない。
大友は粗暴で下品すぎて、どうしても自分では演じられない。山中をやらせてほしい。
と、言い出したことから、
東映のプロデューサー・日下部五朗さんと宣伝担当者らが、千葉さんを訪ねてきて、
山中と大友を交代してもらえないか
と、言ってきたというのです。
北大路欣也のワガママで「仁義なき戦い 広島死闘篇」の主役交代
さすがに、万全に役作りをした後の、撮影直前での交代依頼には、
千葉さんも、当初、
深作組の映画ならどんな役でも二つ返事だけど、これだけは1週間、悩みに悩んだね
と、交代に難色を示したのですが、
それからほどなくして、深作欣二監督が会議で、
千葉に大友を演じさせたほうが、絶対おもしろくなる
と、主張していたことを知り、
また、映画監督の中島貞夫さんからも「大友をやるべき」と説得されると、
千葉さん自身も、
(小沼と山中)似たような役を再び演じることは俳優として停滞するのではないか
と、考えるようになり、
役作りし直すから、出番を少し後にずらしてほしい
と、最終的には、主役交代を了承されたのでした。
北大路欣也とは二度目の主役交代だった
これだけでも、驚くべき話ですが、深作監督によると、千葉さんが北大路さんに主役を譲ったのは、なんと、これが2度目だというのです。
実は、千葉さんは、1963年の映画「海軍」でも、北大路さんに主役を譲られており、
この時は、北大路さんが戦前からの大スター・市川右太衛門さんの御曹司ということで、聞き入れられたそうですが、
さすがに、2度目となる今回は、深作監督も、千葉さんの心境をおもんぱかられたとのことでした。
「海軍」より。北大路欣也さん(左)と千葉さん(右)。
大友勝利役は後にアウトロー映画の代表に
さて、千葉さんは、過激なセリフに悩みながらも、サングラスを常時かけて目を隠したり、唇を裏返しにしてのりづけするなどの、役作りをされると、
大友勝利に扮する千葉さん。
大友役は、シリーズ屈指の破天荒キャラとして人気を博し、後のアウトロー映画に、「千葉真一の大友のような」(雛形)と言われるほどの、絶大な影響を与えることに。
千葉さんご自身も、
監督がどう考えているのか‥‥あれこれ張り巡らせていったら、これは俺に大友勝利をやらせたがっているんじゃないかと思ってね。
まあ“御曹司”には悔しい思いをさせられたけど、結果的に俺が大友を演じておもしろくなったと思う。
と、主役を北大路さんに譲ったにもかかわらず、大友役で人気キャラクターを確立したことに、胸を張っておられました。
「新仁義なき戦い 組長の首」にも出演していた
ところで、千葉さんの大友役は大好評を博しながらも、同時期、千葉さんの空手映画出演が続いていたこともあり、「仁義なき戦い」シリーズへの出演は、この「広島死闘篇」1作のみなのですが、
千葉さんが、ある時、「新仁義なき戦い 組長の首」(1975年公開)の制作をスタジオで見学していると、
遊び心が働いた深作監督から、
ちょっと出ようか?
と、誘われたそうで、
バーテンダーの衣装を着せられて、バーカウンターのシーンでカメラがパンしていく。と、酒を差し出すシーンで俺が一瞬だけ映るわけ。
クレジットも出てないから、観客は「あれ?今の千葉?」ってあっけにとられていたね。
と、密かにもう一作出演されていたことを明かされています♪