少年時代は戦争で数多くの悲惨な体験をしてきた、宝田明(たからだ あきら)さんですが、中学生の時に東京へ引っ越しすると、一気に道が開かれて行きます。
東宝ニューフェイス第6期生
新潟では、お兄さんと辛い再会を果たした宝田さんでしたが、中学生の時に一家で東京に転居されると、その後は、やっと平和に暮らせるようになったそうで、
宝田さんは学校で演劇を始めると、そのことがきっかけで、自分以外の人間になることに興味を持ち始め、1953年、高校生の時には、宝田さんの通う高校に出入りしていた写真店の店主に強く勧められ(友人に勧められたという説も)、「東宝ニューフェイス」に応募すると、書類選考を通過。
高校時代の宝田さん(中央)。
最初の審査で東宝の撮影所に行かれた際には、何千人も並んでいるのを見て緊張で動けなくなってしまい、長い間、ベンチにうずくまり、
守衛さんに、
キミ、受験に来たんじゃないの?
と、声をかけられて、ようやく審査会場に入ったほどだったそうですが、
その後は、あれよあれよと審査に合格し、5ヶ月後には最終の6次審査まで進むと、3500分の1の倍率をくぐり抜けて見事合格。
こうして、「東宝ニューフェイス第6期生」として東宝に入社された宝田さんは、同年、映画「かくて自由の鐘は鳴る」で、福沢諭吉を狙う腰抜けの暗殺者役で俳優デビューされると(この時はまだ演技研究生)、翌年の1954年には、「水着の花嫁」で「ニューフェィス」として正式にデビューを果たされたのでした。
「ゴジラ」は被爆者
そして、1954年初夏のこと、宝田さんは、プロデューサーの田中友幸さんに、東宝撮影所の所長室に呼ばれると、真っ赤な表紙いっぱいに黒い文字で「ゴジラ」と書いてある台本を渡され、
(ゴジラとは)ゴリラとクジラを足して2で割った怪獣
と、田中さんから説明されたそうです。
ただ、そもそも、「怪獣」という概念自体なかった宝田さんにとっては、「ゴジラ」がどういう姿をしているのか全然想像がつかなったそうで、
田中さんから、水爆実験で目を覚ました巨大な生き物がゴジラで、放射能を帯びた炎を口から吐くようになったという説明を受け、ようやく、
じゃあ、ゴジラも被爆者で、かわいそうな存在ですね
と、合点すると、
田中さんも、
宝田くん、そのとおりなんだよ。そいつが人類に仕返しをしに来る。これは被爆国である日本が作るべき映画なんだ。
と、力を込めておっしゃったのだそうです。
(奇しくも、その年の春、マグロ漁船「第五福竜丸」がビキニ環礁で水爆実験の放射能を浴び、犠牲者を出しているのですが、この事件により、日本は、広島と長崎の原爆に続き、水爆の被害まで受けてしまったのでした)
「ゴジラ」に同情して泣きじゃくる
その後、撮影が始まると、宝田さんは撮影の初日、スタジオ入りされた際、
宝田明です。主役をやらせていただきます。よろしくお願いします!
と、挨拶をしたそうですが、
どこからか、
バカヤロー! 主役はゴジラだ
という叱責の声が響き渡ったそうで、
宝田さんは、驚きつつも、その通りだと納得されたそうです。
そして、撮影が進むにつれ、宝田さんは、だんだん、ゴジラのことが気の毒に思え、撮影所でスタッフ、キャストら関係者が見守る「初号試写」の際には、
なぜ人間はこんなひどいことをするのか。静かに眠っていた生き物が、人間が作った核兵器で起こされて暴れる。そして最後は、オキシジェン・デストロイヤーで白骨と化して海の底に沈められてしまう。
ゴジラは人間のエゴの犠牲者ですよ。そう思うと、あの鳴き声も哀れに感じます。
と、無性にゴジラに同情し、一人でわんわん泣かれたのだそうです。
「ゴジラ」で一躍ブレイク
こうして、宝田さんは、水爆実験で安住の土地を追われたゴジラが、東京に上陸して街を破壊していく姿を描いた、映画「ゴジラ」で、ゴジラの脅威を食い止めようとする調査隊員の一員・サルベージ会社の技師・尾形秀人役をフレッシュに演じられると、映画「ゴジラ」は、観客動員数961万人という、当時では空前のメガヒットを記録。
これに伴い、長身で華やかなルックスの宝田さんは一気にスターダムにのしあがり、東宝映画の二枚目トップスターとして、以降、三船敏郎さんや森繁久彌さんとともに、東宝を支え続けたのでした。
「ゴジラ」より。河内桃子さんと宝田さん。
ちなみに、「ゴジラ」は、その後も多くの作品が作られ、現在では、世界中に多くのファンを持つようになっているのですが、もともとは、原爆や水爆への抗議が込められていることから、
宝田さんは、アメリカなど、原爆・水爆を使用している国でのゴジラの人気については、
核兵器を廃絶させたい気持ちに国境はありませんから、アメリカでも人気者になったことは嬉しいし光栄なことだと思っています。
と、しつつも、
最初の「ゴジラ」は日本で封切った2年後に、アメリカでも現地の配給業者が手を入れた再編集版が公開されたんですけど、あれはひどかった。アメリカ人俳優の出演シーンを付け加えて、核兵器に対する抗議のニュアンスはきれいにカットされて、単に怪獣が暴れる映画になっていたんです。東宝はどうしてそんなことを許したのかな。
15年ぐらい前に、アメリカの20大都市でオリジナル版の「ゴジラ」を封切ったんです。それを見て多くのアメリカ人が共感してくれました。評論家も絶賛でした。あのときは、やっと真意が伝わって「よかった」という気持ちが半分、俺たちは50年前にこんなにすごい映画を作ったんだぞ「ざまあみろ」という気持ちが半分でしたね。
と語っておられます。
そして、最後には、
ここ5年ほど毎年、アメリカのゴジラのファンイベントに招かれて各地を回っています。何万人も集まって、ぼくを見て喜んでくれる。「この人、まだ生きてたのか」と驚かれているのかもしれません。
戦争でひどい目に遭った自分が、ひょんなことから俳優になり、核兵器が大きなモチーフになっている「ゴジラ」という映画に出た。そして65年経った今も、機会があるたびにこうして「ゴジラ」について語っている。
何か運命的なものを感じますね。ゴジラという存在は、核兵器や戦争について考えるきっかけを与えてくれます。暴れまわって破壊しているイメージがあるかもしれませんが、彼はいわば“平和の伝道師”ですよ。
と、ゴジラへの熱い想いを語っておられました。
ゴジラ出演作
ちなみに、宝田さんは、日本で制作された映画「ゴジラ」シリーズ全29作品(2019年現在)のうち、
1954年「ゴジラ」
1964年「モスラ対ゴジラ」
1965年「怪獣大戦争」
1966年「ゴジラ・エビラ・モスラ南海の大決闘」
1992年「ゴジラVSモスラ」
2004年「ゴジラFINAL WARS」
と、6作品に出演されているのですが、
実は、2014年に公開された、アメリカ版の「GODZILLA ゴジラ」にも、出演予定だったとか。
ただ、編集段階でカットされてしまったそうで、
宝田さんはこれについて、
渡辺謙の出演シーンを2分削って、私のシーンを入れてほしかった(笑)
と、ギャレス・エドワーズ監督に意見したことを打ち明けられています♪
「宝田明は中国語がペラペラで中華圏でも大人気だった!」に続く