デビュー以来、その演技が、「お嬢様芸」と酷評され続けるも、1982年、映画「鬼龍院花子の生涯」で壮絶な演技を披露し、ついに、演技派女優としての地位を確立された、夏目雅子(なつめ まさこ)さん。しかし、女優としてこれからという1985年、突然、病に倒れます。
「夏目雅子の鬼龍院花子の生涯ほか出演ドラマ映画を画像で!」からの続き
急性骨髄性白血病で緊急入院
1985年2月14日、夏目さんは、舞台「愚かな女」の公演中、10円玉ほどもある大きさの口内炎ができ、さらに、激しい頭痛など極度の体調不良を訴えます。
実は、夏目さんは、この時すでに、舞台に立っていられないほど、体調が悪化していたにもかかわらず、泣きながら、
這ってでも舞台に戻る!
と、頑なに病院へ行くことを拒み続けたそうですが、
共演の西岡徳馬さんの勧めにより、翌日の2月15日、慶應義塾大学病院に行き、検査すると、結果は「急性骨髄性白血病」。
そのまま緊急入院し、降板を余儀なくされた夏目さんは、4階の病室で、
ここから飛び降りてでも私は劇場に行く!
と、半狂乱状態になったそうで、
飛び降りようとする夏目さんを、兄・一雄さんらが必死に羽交い締めにし、なんとか治療を受けさせようと必死で説得したそうです。
(公演中だった舞台「愚かな女」は、夏目さん初の主演舞台で、映画「鬼龍院花子の生涯」などで、ようやく、演技派女優としての地位を確立された夏目さんにとって、途中降板は受け入れ難いことだったのです。)
演出家・福田陽一郎の叱咤で治療を決意
ただ、当時は、今とは違い、ガンは本人に告知しないことが一般的で、夏目さんにも病名は告知されておらず、医師や家族からは「重度の貧血」と説明されていたのですが、
「急性骨髄白血病」は、抗ガン剤の副作用に耐えなければ完治しない病気で、病に打ち勝つには、本人の強い意志が必要。
かといって、病名を告げることもできず、兄・一雄さんは、どうすればよいのか悩まれたといいます。
そんな時、「愚かな女」の演出家・福田陽一郎さんが、病院に訪ねてきて、
ふざけるな!「愚かな女」はお前の舞台なんだ。だからどんなことがあっても、お前が復帰するまではこの舞台は再演をかけない!
芸能人は、支持してくれるファンの方のために、きちんと対応できる体力を持ってないとプロとは呼べない。今、お前はその体力をつける時に来てしまったんだ。がんばるんだ!
と、夏目さんを叱り飛ばすと、
夏目さんは、
本当ね!
と、目に涙をためて言ったそうで、
当たり前だ!
と、応じた福田さんに、
夏目さんは、
わかった
と、その日以来、女優として復帰する日を夢見て、決して弱音を吐かず、治療に向き合われたのでした。
副作用の激しい新薬の治療で寛解も・・・
しかし、当時、「急性骨髄性白血病」は不治の病と言われていて、特効薬がなく、効果の高い新薬は出始めていたものの、副作用も激しかったそうで、
兄の一雄さんが医師から受けた新薬の説明では、
副作用で髪の毛は抜け、30%以上の確率で命を落とす
とのこと。
また、それを聞いた母・スエさんは、
髪は女の命よ。女優なのに髪の毛がなくなるなんて、冗談じゃないわ。
と、いって、新薬の治療に反対したそうです。
ただ、2度の抗ガン剤治療でも病状が改善しなかかったことから、ついに、新薬での治療を検討することに。
そこで、ご家族は、新薬とその副作用について、おそるおそる夏目さんに伝えると、夏目さんは、
私、日本で一番坊主頭が似合う女優って言われてるのよ。そんなこと気にならないわ。
と、こともなげに言ったそうで(テレビドラマ「西遊記」で三蔵法師を演じられたことから)、新薬での治療が開始したのでした。
すると、髪の毛はすべて抜け落ち、吐き気、倦怠感、めまい、眼底出血など、この世のものとは思えない、想像を絶する副作用に襲われながらも、夏目さんは必死に堪え続け、ついに、「白血病」の症状が消えたのです(寛解)。
(※寛解とは、全治とまでは言えないが、病状が治まっておだやかであること。)
死因は白血病ではなかった
しかし、夏目さんは、1985年8月中旬、抗ガン剤の治療で最も免疫力が低下している時に、風邪をひいてしまい、「肺炎」を併発。
兄の一雄さんによると、
肺炎になってから意識が混濁(こんだく)し始めて、肺不全となり数日の間で亡くなりました。僕らも、病院の先生も、ここまで病状が悪化するとは予想できませんでした。
雅子の最期の言葉も、覚えていないんです。それほど予想外の出来事でした。
と、夏目さんは、1985年9月11日、27歳という若さで他界されたのでした。
ちなみに、母親のスエさんは、
髪の毛のことなど気にせず、私が最初から新薬で治療をさせていたら……
と、自身を責めたそうですが、
兄の一雄さんは、夏目さんの他にも、髪の毛が抜けることを恐れて新薬の治療を受けない人たちが大勢いることを知り、かつらを無料で貸し出す事業を始めようと決意。(夏目さんは、闘病中、かつらを準備していたそうです)
夏目さんが他界されて5年ほど経った頃、母親のスエさんが代表に就き、精力的に活動を開始すると、2008年にはスエさんは他界されているのですが、その後は、一雄さんが事業を引き継ぎ、現在も毎年500~700人にかつらを無償提供されているそうです。