1986年12月9日未明、ビートたけしさんは、「たけし軍団」11名とともに、写真週刊誌「フライデー」編集部(講談社)に乗り込んでいます。今回は、世に言うこの「フライデー襲撃事件」についてご紹介します。

「ビートたけしの事故の第一発見者は諸星和己だった!師弟関係だった?」からの続き

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写真週刊誌「フライデー」の記者に恋人をケガを負わされる

1986年12月8日、「フライデー」の契約記者が、当時、たけしさんと交際していた21歳の専門学校生の女性に、東京都渋谷区にある女性が通う専門学校の校門付近で、たけしさんとの関係について聞こうと声をかけたのですが、

女性が立ち去ろうとしたため、前方に立ちふさがり、テープレコーダーを女性の顔に突きつけると、手を掴んで引っ張るなどしたため、女性は、「頭部捻挫」「腰部捻傷」で全治2週間のケガを負ってしまいます。

写真週刊誌「フライデー」を襲撃

このいきさつを、後で女性から聞いたたけしさんは、激怒。

12月9日午前2時頃、「フライデー」の発行元である講談社に、

担当者を出せ

おいらの姉ちゃんに何やってんだ

と、電話します。

ただ、その記者がおらず、連絡がとれないままだったため、たけしさんは、2時半頃、再び、講談社に電話をし、9日午後の面会を取り付けたのですが、

怒りが収まらなかったのか、たけしさんは、午前3時過ぎ、「たけし軍団」の一部のメンバーを除く11人(柳ユーレイ(現・柳憂怜)さん、大森うたえもんさん、サード長嶋さん、ガダルカナル・タカさん、グレート義太夫さん、ふんころがし(現・ダンカン)さん、キドカラー大道さん、大阪百万円さん、松尾伴内さん、水島新太郎さん(当時19歳だったため少年Aとされています))とともに、

タクシー3台に、それぞれ4人ずつ乗って「講談社」本館の「フライデー」編集部に乗り込むと、どちらからともなく一斉にもみ合いになります。

(田中康夫さんによる裁判傍聴録では、当初、たけしさんは、手を出さないよう「たけし軍団」のメンバーに言っていたそうですが、当時の編集次長が「自分は空手が得意」という旨の発言をするなど、編集部員の挑発的な言動が原因で暴行に至ったと記されているそうです)

そして、たけしさんと「たけし軍団」は、

ぶち殺すぞ、この野郎!

と、叫びながら、粉末消火器を噴射したうえ、講談社の編集長及び編集部員らに、室内にあった雨傘や拳で殴る蹴るの暴行を加え、肋骨骨折などのケガを負わせたのでした。(一説には、たけしさんが雨傘を持って乱入したという話も)

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逮捕

しばらくすると、たけしさんと「たけし軍団」の12人は、「住居侵入」「器物損壊」「暴行」容疑の現行犯で逮捕。

ただ、逃亡のおそれなしとして、ほどなくして釈放されたのでした。

ちなみに、たけしさんは、連行される際、警察官に向かって、

こいつら(たけし軍団)には手錠しなくてもよくね?

「たけし軍団」には、

こんなことになってすまなかったなあ

と、言ったそうで、これを聞いた軍団は全員号泣したそうです。

「ビートたけしが活動自粛!懲役6ヶ月(執行猶予2年)の判決!」に続く


釈放されるたけしさん

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