芥川賞作家の兄と妹同様、自身も、女優のほか、俳人、エッセイストとしても活躍し、80代の現在も現役の、吉行和子(よしゆき かずこ)さんですが、幼少期はとても病弱だったそうです。
「吉行和子の母親あぐりは朝ドラのモデル!兄と妹は芥川賞作家!」からの続き
幼少期は小児喘息を患い病弱だった
吉行さんは、作家である、お父さんの吉行エイスケさんと、美容師をしていたお母さんのあぐりさんのもと、3人兄妹(一男二女)の長女として誕生されるのですが、
2歳の時には、「小児喘息(ぜんそく)」を患っていたそうで、発作に襲われると、苦しくて横になることができず、積み上げた布団にもたれて眠ることしかできなかったそうです。
そんな吉行さんの苦しさを少しでも和らげようと、お母さんのあぐりさんは、「ぜんそくに効く」と言われれば、からしの粉を練って塗った布を体中に貼る、といった民間療法も含め、どんな治療法でも試すなど、手を尽くしてくれたそうです。
(ちなみに、吉行さんは、忙しい美容院の仕事の最中でも、湿布を張り替える時間になると、職場から走って戻ってきて、湿布を張り替えてくれ、また、職場に戻っていくということを繰り返すお母さんの姿を見て、「やるべきことは必ずやる」ということを学んだそうです)
4歳の時には父親が他界
その後、吉行さんは、お父さんの故郷である岡山で療養することになると、今度は、お母さんに代わって、お父さんが付き添い、面倒を見てくれたそうですが、吉行さんが4歳の時には、お父さんが、突然、他界。
吉行さんは、幼いながら、
これから私の面倒は誰がみてくれるんだろう
と、不安な気持ちになったそうです。
劇団「民藝」の舞台を観て芝居の世界に憧れる
こうして、幼い頃、病弱だったことから、家にいることが多く、友達がいなかった吉行さんは、本を読むのが好きだったそうで、想像の中で、本の中に登場する好きな人物と一緒に遊ぶことを楽しんでいたそうですが、
中学3年生の時、劇団「民藝」の舞台を初めて観に行くと、自分が読んでいた本の中の人物が現実に存在し、本のページをめくるように話が進んでいくことにとても驚き、すっかりお芝居の虜に。
当時の吉行さん。
そして、吉行さんは、
この世界に私も入りたい
と、強く思われたのだそうです。
劇団「民藝」に研究生として入団
とはいえ、体は弱く、学校でも引っ込み思案だったことから、その時は、女優になるなど夢にも思っていなかったそうですが、
そんな自分でも何かできることがあるんじゃないかと思いつつ、お芝居を観ていると、次の幕で衣装が変わったり、カーテンが変わったりすることに気づき、あれなら自分でもできるのではと、衣装や美術などの裏方になりたいと思ったそうです。
そんな思いを胸に、高校3年間を過ごし、その間、いくつかお芝居を観られたそうですが、最初に観た、劇団「民藝」が忘れられず、1954年、高校3年生の時、劇団「民藝」の募集広告を見て、すぐに応募し、受験されると、見事合格。
そこで、裏方でやっていきたいことを伝えたそうですが、「芝居とはどういうものかをみんなと勉強しなさい」と言われたため、「民藝」の俳優研究所に通うことに。
勉強会ではセリフを言う機会もあり、すごく下手だったそうですが、それでも、勉強のために、一応、やっていたそうです。
舞台「アンネの日記」の主人公・アンネ役で女優デビュー
そんな中、「民藝」で、舞台「アンネの日記」を公演することになり、研究生も勉強のため、その舞台稽古を見学することになっていたそうですが、
吉行さんが見学には参加せず家にいると、突然、電話がかかってきたそうで、呼ばれて行くと、なんと、吉行さんが主人公・アンネ役の代役候補に。
実は、幕が開いて少しして、オーディションで選ばれたアンネ役の人が、風邪で声が出なくなってしまったとのことで、吉行さんに白羽の矢が立ったのでした。
そして、「アンネの日記」に出演する先輩たちが勢揃いする中で、稽古は始まるのですが、(吉行さんによると)なぜか、吉行さんはセリフを全部覚えていたそうで、
先輩たちから色々と動きを教えてもらうと、うまくこなせ、その日中に、正式に吉行さんがアンネ役の代役に決定。
後に、吉行さんは、
緊張はなくて、もう必死でした。これも勉強だ、しっかりやらなきゃみたいな感じで舞台に立っていました。
と、語っておられるのですが、
こうして、吉行さんは、1957年、22歳の時、舞台「アンネの日記」の主人公・アンネ役で、女優デビューを果たされたのでした。