23歳の時、石原裕次郎さんにスカウトされ、軽い気持ちで端役でテレビドラマに出演された、神田正輝(かんだ まさき)さんですが、その後は、トントン拍子で人気者になっていきます。
「神田正輝の生い立ちは?母親は旭輝子で婚外子だった!」からの続き
「大都会 闘いの日々」で本格的なテレビドラマデビュー
学生時代、石原裕次郎さんに誘われ、軽い気持ちで撮影に参加されるようになった神田さんですが、やがて、石原さんの人柄に惹かれ、お芝居に真面目に取り組むようになると、
1976年には、テレビドラマ「大都会 闘いの日々」の新聞記者・九条浩次役で正式に俳優デビュー。
そして、翌年の1977年の「大都会 PARTII」では、第14話から刑事役でレギュラー出演し、激しいアクションシーンを披露されます。
「大都会 闘いの日々」より。神田さん(左)と寺尾聰さん(右)。
「太陽にほえろ!」でブレイク
そんな神田さんは、その後も、
1978年「青春ド真中!」
「ゆうひが丘の総理大臣」
1979年「俺たちは天使だ!」
「俺たちは天使だ!」より。(左から)柴田恭兵さん、神田さん、沖雅也さん、渡辺篤史さん。
など、立て続けにテレビドラマに出演され、
1980年には、「太陽にほえろ!」に、西條昭(通称・ドック)役で出演されると、一躍人気者に。
(ドックは、医大を中退後、警察官募集を見て軽いノリでやってきた若い刑事ということで、神田さんが芸能界入りした当初の、軽いノリと重なるところがあり、そんなところも、ブレイクした一因だったのかもしれません)
「太陽にほえろ!」より。(左から)露口茂さん、石原裕次郎さん、下川辰平さん、木之元亮さん、竜雷太さん、神田さん、三田村邦彦さん、渡辺徹さん。
ちなみに、「太陽にほえろ!」は、ドラマチックな殉職シーンでおなじみですが、神田さんは殉職することなく、1986年の最終回まで出演されています。
石原裕次郎の人柄に惹かれて俳優を続けていた
ところで、神田さんは、芸能界に入られてから一度だけ、撮影のある日に海に遊びに行ってしまったことがあったそうです。
(仕事に嫌気が差しており、「クビになったらラッキー」と思っていた時期だったそうです)
しかし、その後、撮影所に行くと、スタッフや「石原軍団」のメンバーが全員、神田さんを待っており、
石原さんに、
もう二度とするなよ
と、言われたそうで、
神田さんは、
石原さんだけでなくスタッフに対しても、まずいことしたな
と思い、それからは、毎日ちゃんと時間通り現場へ行って、台本も読むようになったのだとか。
神田さんは、以降、数多くのテレビドラマや映画に出演されているのですが、当初はむしろ嫌だった俳優業をずっと続けている理由について、
(裕次郎さんは)慣れると本当に家族みたいに接してくれるけど、最初は自分から頭を下げる
芝居が好きというより、僕がずっと会社にいたのは撮影部や照明部のスタッフがみんなよかったから。会社との心の距離が離れていたら、とっくに辞めていただろうね。
誰が偉いかとかは関係ない、本当の家族のような存在。また、石原さんは僕の父と同じような話し方をする人だったから。
と、お芝居に目覚めたというよりも、石原さんの人柄に惹かれてのことだったと、明かされています。