テレビドラマ「SPEC〜警視庁公安部公安第五課 未詳事件特別対策係事件簿〜」に出演されたことで、一躍、若い人たちの間でも知名度が上がった、竜雷太(りゅう らいた)さん。今回は、そんな竜さんの、生い立ちからブレイク前までについてご紹介します。
年齢は?出身は?身長は?本名は?
竜さんは、1940年1月21日生まれ、
大阪府豊能郡箕面村(現・箕面市内旧箕面村域⇒西小路等地域)のご出身、
(京都府舞鶴市育ち)
身長176センチ、
体重73キロ、
血液型はAB型、
学歴は、
舞鶴市立青葉中学校
⇒大阪市立汎愛高等学校
⇒日本大学藝術学部中退
趣味・特技は、
料理、テニス、ドライブ、
ちなみに、本名は「長谷川龍男」です。
芸名の竜雷太は本名の長谷川龍男から
竜さんは、まだ、新人で無名だった頃に、テレビドラマ「これが青春だ」の主人公・大岩雷太に大抜擢されているのですが、その際、本名の「長谷川 龍男」で売り出すにはインパクトが足りないとの理由から、役名の「大岩雷太」をそのまま芸名にしようと、プロデューサー間で決められたそうです。
しかし、竜さんが、
親に貰った名前を変えるのは嫌だ
と強く抵抗したそうで、
最終的には、本名の「龍男」から「龍」の字をとり、「竜 雷太」となったのだとか。
それでも、竜さんは、ドラマ終了後には、本名に戻すつもりでいたそうですが、結局は、そのまま現在に至っています。
「これが青春だ」より。
生い立ち
竜さんは、お父さんが映画館の支配人だったことから、幼い頃からたくさんの映画を観て育つのですが、終戦の年の冬(5歳)には、両親の郷里である京都・舞鶴へ帰ることになったそうで、その日、雪の降るホームで列車を待ちながら、不安と期待がない交ぜになっていたのを、今でもはっきりと覚えているそうです。
それでも、自宅があった東舞鶴のすぐそばに舞鶴湾が広がっていたことから、海で泳ぎを競ったり、船の下に落ちている弾丸を拾ったりするほか、お腹がすいたら山であけびや山葡萄、海では貝をとるなど、自然の中でのびのびと育ちます。
また、その頃は、満州(現・中国東北部)やシベリアからたくさんの人が引き揚げてきており、女性や学生たちが、引き揚げてきた人たちに、ふかした芋やお茶を振る舞うなど、街中で歓待していたそうで、
竜さんら子どもも、船がつくたびに、学校からバスに乗って桟橋に行き、沿道に並んで、「おかえりなさい」と、みんなと声を合わせて引き揚げてきた人たちを歓待。
そして、久しぶりの祖国で少しでも和んでもらおうと、「引き揚げ援護局」で劇を披露されたこともあったそうで(ただ、この時は、将来俳優になっているとは夢にも思わなかったそうです)、
竜さんは、この時のことを、
子供心に、外地から大変な思いをして帰ってこられたんだというのは分かりました。思い返すと、みんな国民服を着て、ピア色の光景です。
終戦から5年ほどして、シベリアに抑留されていた、隣のプリキ屋さんの長男が帰ってきました。一家が涙ながらに喜ぶ姿に、長い間の苦労を実感させられました。
と、語っておられました。
大学中退後にアメリカ留学し演劇を学ぶ
その後、竜さんは、中学を卒業し、お父さんの仕事の都合で大阪に戻られると、大阪の高校に入学。高校卒業後は、日本大学藝術学部に進学するも、1960年には中退し、タレント養成学校「テレビタレントセンター(TTC)」の3期生となられます。
そして、1962年には、「松竹」に入社されると、映画「馬鹿まるだし」(本名の長谷川龍男で出演)の鴨川ロケの帰りの汽車の中で、来日していた演出家・エド・ダンダスさんと知り合い、身振り手振りで演劇論を交わしているうちに仲良くなったそうで、
1965年には、お芝居を勉強するため、エドさんの推薦で単身渡米し、「サンフランシスコ・ステート・カレッジ」に留学。
留学中は、皿洗い、運転手などのアルバイトをしながら大学に通い、大学の夏休みには、全米1840キロを自動車で回るなど、青春を大いに謳歌したそうで、1年半後、留学を終えて、帰国されたのでした。
「竜雷太の若い頃は青春ドラマ!太陽にほえろのゴリさん役も!」に続く