演出家・エド・ダンダスさんの紹介で単身渡米すると、現地の大学に通いながらアルバイトし、夏休みには全米1840キロを自動車旅行するなど、大いに青春を謳歌した、竜雷太(りゅう らいた)さん。1年半後、帰国すると、ラッキーが待っていました。

「竜雷太の生い立ちは?大学中退後アメリカに演劇留学していた!」からの続き

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「これが青春だ」でブレイク

竜さんは、アメリカから帰国後の1966年、劣等生のかたまりの2年D組を受け持つ、若く型破りな高校教師が、サッカーを通じて不良生徒と心を通わせていく姿を描いた、青春ドラマ「これが青春だ」で、主人公の教諭・大岩雷太役に抜擢されると、ドラマは大ヒットし、竜さんは大ブレイク。

竜さんは、このヒットで、一躍、スターダムを駆け上がり、翌年の1967年には、東宝青春シリーズの第3弾「でっかい青春」でも、引き続き、主演を務めることとなったのでした。

当初主演は夏木陽介の予定だった

ところで、東宝青春学園シリーズの第2弾として制作された、この「これが青春だ」は、当初、前作「青春とはなんだ」で主演を務めた夏木陽介さんが、再び、主演することで企画が進められていたそうですが、

夏木さんがクランクイン2週間前に、他の映画に出演することとなって降板されたため、プロデューサーの岡田晋吉さんが、急きょ、全くの新人を主役に抜擢しようと考え、

なんと、ドラマ「新・三等重役」で、たったひと言だけのセリフしかない端役(バスの運転手役)の竜さんを呼び出し、話をされたというのです。(端役ながら強い印象を持たれたのだそうです)

すると、竜さんの経歴が、まさに、主人公の経歴そのものだったことから、岡田さんは、竜さんを「これが青春だ」の主人公・大岩雷太役に大抜擢されたのです。

ちなみに、竜さんが撮影を終えて部屋に戻ると、「見知らぬ女性が勝手に料理を作って待っていた」というエピソードが残っているほど、当時の竜さんの人気は凄まじかったそうです。

「太陽にほえろ」でゴリさん役

そんな竜さんは、1968年には、夏木さんと「東京バイパス指令」でW主演を務めると、その後も、

1970~1971年「アテンションプリーズ」
1971年「ぼてじゃこ物語」
1972年「飛び出せ!青春」 第15話

と、テレビドラマに出演され、

1972年からは、1982年までの10年間「太陽にほえろ!」で、ゴリさんこと石塚誠刑事役を演じられているのですが、ゴリさんは、新人を教育する豪快な巡査長で、これまた、まさに竜さんにぴったりの役どころ。


「太陽にほえろ!」より。

そして、実際の撮影現場でも、ゴリさんの役さながらに、新人俳優・勝野洋さん(新人刑事「テキサス」役)に演技指導をされたそうで、

当時、新人刑事「テキサス」役に大抜擢されたものの、演技のことがほとんど分からなかったという、勝野さんは、

竜さんにはいろいろと教わりました。最初はボスに『はい』というセリフすら言えなかったんです。その時に竜さんが『外に出ろ』って。

それで裕次郎さんたちに待っていただいて『俺に「はい」って言ってみろ』『はい』『それでいいんだ、できるじゃないか』と竜さんに教えてもらったんですが、いざ撮影隊の前に行くとどうしても不自然になってしまいましたね。

それから竜さんに言われたのは、『カメラがどこにあるのか意識しろ』ということでした。殴り合いの多い作品でしたが、カメラが横位置にいる時に相手の顔を真っ直ぐ殴ろうとすると当ててないのがバレるんです。

相手の顔に被るように殴らないと、殴っているように見えない。そういう殴り方も、竜さんから教わりました。当時は今みたいにあちこちにカメラがあるのと違ってワンカメでしたから、そういう意識も大切だったんです。

と、語っておられました。

勝野洋を指導

そんな勝野さんは、この「太陽にほえろ!」出演後、一躍、スラーダムにのし上がるのですが、デビューする少し前、竜さんと一緒に飲んだ際、竜さんから、

必ず勘違いするからな。いいか。お前は絶対に変わるなよ。

と、言われ、

そうなんですか?

と、尋ねたところ、

間違いない

と、言い切られたそうで、

それ以来、勝野さんは、

絶対に変わらないようにしよう

と、初心を忘れないように心がけていたというのですが、

実際、「太陽にほえろ!」での成功で、いろいろな人から話しかけられたり、チヤホヤされ、この時初めて、竜さんから言われたことが理解できたそうです。

ちなみに、勝野さんは、竜さんに、

お前が十年このまま、今の精神のまま変わらないでいたら、俺は銀座で逆立ちでも何でも、お前の好きなことをやってやる。どこでも連れて行ってやる。

と、言われていたそうで、

その言葉を守り続けた勝野さんは、10年後、

竜さん、十年経ちました

と、報告に行かれたそうですが、

竜さんは、

え、何が

と、言われたそうで、

十年変わらないでいたら、銀座で逆立ちしてくれるって言いませんでした?

と、勝野さんが言うと、

竜さんは、勝野さんをじっと見て、

うーん、もう十年やれ

と、言われたそうで、

勝野さんは、さらに10年、竜さんの言葉を守り続け、報告しに行くと、

随分長い間があってから、

ごめんなさい

と、竜さんは頭を下げられたとのことでした♪

それでも、勝野さんは、これまで芸能界でやってこられたのは、竜さんに初心の大事さを教わったお陰だと、

竜さんの存在は、僕にとって本当に大きいです

と、語っておられました。


「太陽にほえろ!」より。ゴリさんこと竜さん(左)と、テキサスこと勝野洋さん(右)。

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石原裕次郎との絆

こうして、勝野さんを導いてこられた竜さんですが、竜さんがずっと憧れていたのは、石原裕次郎さんだったそうで、

竜さんは、「太陽にほえろ!」で、ボスこと、捜査一課係長の藤堂を演じられていた、石原裕次郎さんとの出会いを、

高校、大学時代にあこがれて、同じ32インチのパンツを引きずってでも、はいていたくらいで、遠い遠い人でした。

ドラマでご一緒することになって、32歳で初めてちゃんとお話ししたんですが、すごく丁寧な言葉づかいで、本当に紳士なんですよ。

どんな新人に対してもそういう態度だったんです。常に「自分はテレビの世界では新人」、と思っていたんじゃないでしょうか。

と、明かしておられます。


「太陽にほえろ!」より。ゴリこと竜さん(左)と、ボスこと石原裕次郎さん(右)。

また、この頃、映画はすでに斜陽の時代を迎えていたのですが、映画スターだった裕次郎さんは、当初、テレビドラマに出演することに抵抗があり、時代がテレビへと移行していることをプロデューサーに説明されるも、テレビの持つ力の大きさに疑いを持たれていたそうで、

竜さんは、そんな裕次郎さんとのエピソードを、

2年目くらいかな、飲んで話してる時、「やっぱりテレビより映画だよ」って何度もおっしゃったんですよ。だから、「ボス、僕はテレビで育ってきたんですから、もうそんなこと言わないでください。 映画、映画って言わないでください。ドラマで頑張ってほしいんですよ」って、酔って言ったんですよね。

ボスは「お前はしつこいなあ」と笑っていましたが、後々、奥さん(石原まき子さん)が「よく言ってくれたわね」って。

ボスは僕に、映画の話はしなくなりましたが、今生きておられたら、やっぱり、映画を作って名プロデューサーになってたと思います。「竜ちゃん、こんな役あるんだけど、どう?」 って、声をかけてくれるんじゃないかなあ。

と語っておられました。

ちなみに、「太陽にほえろ!」で、竜さん演じるゴリさんは、犯人と銃撃戦の末、救急車に運ばれる途中で、ボスと婚約者に見守れながら息を引き取るのですが、


「太陽にほえろ!」より。殉職するゴリさん。

竜さんは、

殉職は僕にとっての卒業のようなものでしたから、ボスにはうれしく卒業します、と言いました。私の殉職シーンだけボスが付き添って、みとってくれたことは私の自慢です。本当にうれしかったです。

もちろん、岡田プロデューサーをはじめとした方が、どういう殉職にするか決めるわけですが、ボスが芝居で気持ちを見せてくれたのかもしれません。

と、明かされていました。

「竜雷太のデビューからの出演ドラマ映画を画像で!」に続く

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