父親が旅役者との不倫の末に生まれた子どもだったというだけでも衝撃的な、仲代達矢(なかだい たつや)さんですが、さらに今回は、仲代さんの母方のおじいさんの驚くべき真実と、その娘である仲代さんのお母さんについて、ご紹介します。
「仲代達矢の弟は仲代圭吾!父親は不倫相手との子だった!」からの続き
母方の祖父は中国で測量
仲代さんの母方の祖父・野口佐市郎さんは、麹町の生糸商に勤めていたそうですが、明治37年(1904年)、参謀本部測量技術官養成所で学ばれると、陸地測量部に雇われ、旧満州などに配備されたそうで、
著述家の牛越国昭さんは、
外務省への説明もですね、測量器具を持っていくのではないんだと、非常に簡単な方向器ですね。歩いた歩幅で正確に距離を測る。実際の地形はほとんど測量者が自分の目で確かめて、スケッチをするわけですね。
外務省はこうした秘密測量というのは国際問題にもなるということで、できる限りやめてほしい、あるいは慎重にして欲しいというような要求をしていた。
野口は、明治42年、香港班に所属するわけですが、入り方はいろいろあるんですがこの時は遊歴という感じ。時代がちょっとずれますと、有名なのは、薬売り、雑穀商であるとか骨董商であるとか。身分を隠してですね、偽って中国各地に入っていく方法を取っていく。
野口の場合には秘密測量ではなく単なる遊歴者ということを、そのまま主張し続けることが出来るわけですね。日本の方は。
と、佐市郎さんのことを詳しく語っておられます。
母方の祖父は中国で殺害されていた
そんな佐市郎さんは、明治42年(1909年)、広東省麻車村を訪れているのですが、村の近くでは鉄道施設の建設工事が行われるも、川の流れが急で工事が難航しており、人柱として子どもが流されるのではないか、との噂が流れていたそうで、
(※人柱とは、難工事完成を祈って神にいけにえとして生きた人を水や土に沈めること。または、そのいけにえにされる人)
そんな折、佐市郎さんがたまたまそこを通りかかると、なんと、鉄道工事の人間が新たに現れたと思い込んだ村人たち数百人に取り囲まれ、殺されてしまったそうです。
(仲代さんは、幼い頃、お母さんから、「おじいさんは、中国でスパイ活動をしていて銃殺された」と聞かされていたそうですが、2019年、NHK「ファミリーヒストリー」の調査で、外務省や防衛省で次々に貴重な資料が見つかり、100年以上前のおじいさんにまつわる真実が明らかになったそうです。)
母親は殺害された夫の弟と再婚
佐市郎さんの死後、妻・リンさんは、故郷の栃木に戻られると、親戚の勧めで、佐市郎さんの弟・野口多三郎さんと再婚。
多三郎さんは、豊玉郡(現在の大塚駅周辺)で「野口豊玉堂薬舗」を始められたそうですが、薬剤師の免許を持っていなかったため、経営に行き詰まったそうで、五反田に引っ越し、新たに「順天堂薬舗」を開業。しかし、こちらもうまくいかなかったそうで、一転、今川焼き屋を開店されたそうです。
そんなお二人の間に、仲代さんのお母さん・愛子さんは生まれたそうですが、生活は楽ではなく、兄弟の豊さんが開業した薬局を手伝っていた折、仲代のお父さん・忠雄さんと知り合い、結婚されたのでした。