俳優で舞踏家の麿赤兒(まろ あかじ)さんをご存知でしょうか?「アングラ界の怪人」を自認されており、その独特のオーラはまさに「怪人」と言っても差し支えないほどです。芸名の「麿赤兒」が、それを十分物語っていますね。
映画「ツィゴイネルワイゼン」「どついたるねん」
「キルビルVol.1」などに出演され、
一度見たら忘れられない、
強烈な存在感を放たれている麿さん。
早稲田大学を中退後、山本安英さんに共感され、
劇団「ぶどうの会」に入団するも、
上の人たちが演劇と政治の関係はどうあるべきか?
などの難しい話ばかりしており、
それに嫌気がさします。
そんな折、唐十郎さんと出会い、意気投合。
お二人で、「状況劇場」を旗揚げされたそうです。
しかし、1970年には、「状況劇場」を退団。
理由は、唐さんの書くセリフが長すぎたことに
嫌気がさしたとのこと(^^;)
その時は、「もう芝居はやめた!」
という気持ちだったせいで、
なんと、実業家に転身されたのだとか!
レコード販売、コメの産地直送販売、象牙販売・・・
などなど、いろいろな事業を始めた麿さんでしたが、
全部失敗に終わったのだそうです。
相当な借金があったそうですが、
どうやって支払ったのか、
誰が支払ったのか覚えていないというのです!
恐るべし麿さんです!
当時、カネはなかったけど、コメだけはあったと
冗談っぽく、おっしゃっていましたが、
まさか、お米で借金を返されたのでしょうか?
謎ですね(^^;)
商売に向いていないと悟った麿さんは、
以前からの知り合いだった、
舞踏の先輩、土方巽さんに弟子入りし、
舞踏家になる決意をされます。
その理由を、
自分は商売に向かないと、
自分で自分に引導を渡しました。天才の唐を間近で見ましたから、自分が芝居を書けるわけはないし、
自分には身体ひとつ、踊りしかない、と踏ん切りがつきましたね。
一方には土方巽という舞踏の先輩がいましたから。
と明かされていました。
そして、
土方の踊りは、不可思議なものに挑んでいく難解な踊りでしたが、
舞台で表現されると、身体の多面性というか、多様性と言うか、
そういうものが現れてきて面白かった。言葉にして解釈するとつまらないけれども、
それだけでは収まらない何かが常にありました。
と、踊りというものに対しての、
体を使った表現の仕方を語っておられました。
脇役ながら、その絶大な存在感を放たれているのは、
舞踏で鍛えた身体での表現力に、秘密があったんですね!
長男は?次男は大森南朋!
麿さんの長男は、
映画監督の大森立嗣(おおもり たつし)さんだそうです。
監督作品として、映画「ゲルマニウムの夜」や、
「さよなら渓谷」「まほろ駅前狂騒曲」などの話題作があります。
麿さんは常連俳優として、
しばしば、立嗣さんの映画に脇役で出演されているのだとか。
そして、次男は、あの、
俳優の大森南朋(おおもり なお)さんです!
南朋さんは、演技派俳優としての地位を確立され、
お父さんに負けず劣らずの独特のオーラを放つ、
存在感あふれる俳優さんです。
お二人が親子だということを、
知らない人も多いのではないでしょうか。
しかし、才能あふれる親子ですね~
似ている人は?
俳優で、舞踊家(ぶようか)の
田中泯(たなか みん)さんと似ていませんか?
似ているというより、かぶるというか・・・
初めて麿さんをお見かけした時、
田中さんかと思いました!
「舞踊家(ぶようか)」と「舞踏家(ぶとうか)」。
ルーツが同じなので、表現が共通しているものがあり、
そう思うのかもしれません。
さて、いかがでしたでしょうか?
麿さんは、1998年には、
胃がんの手術をされたこともあるそうで、
お体が少し心配ですが、
「がんサポート」のインタビューで、
騒乱の60年代を、
疾風のように駆け抜けた世界的舞踏家が、
胃がんになって考えたこと、踊ることで気分がほぐれ、
精神的な歪みがほどけてくるのかも。
と、おっしゃっていましたので、
踊ることがいかに、麿さんにとって、
なくてはならないものなのかが分かりますね。
怪しいおじさん・・・といった印象がありましたが、
意外と、ユーモアのセンスも兼ね備えた、麿さん。
これからも、体調には気をつけて、
舞踏家として、俳優として、末永く活躍してほしいですね。
応援しています!!