1954年3月、主演映画「笛吹童子」が大ヒットを記録すると、一躍、経営難の「東映」の救世主となった、萬屋錦之介(よろずや きんのすけ)さん。その後、テレビ業界に進出しても変わらない人気を博します。

「萬屋錦之介は映画デビュー笛吹童子が大ブレイクで東映の救世主に!」からの続き

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殺人的なスケジュールで時代劇スターに

映画「笛吹童子」が大ヒットを記録した萬屋さんは、続く、映画「里見八犬伝」も、「笛吹童子」を上回る大ヒットを記録しているのですが、


「里見八犬伝」

以降も、「東映」の、稼げるうちに稼がせようという方針により、

1956年には15本、
1957年には12本、
1958年には13本、

と、殺人的なスケジュールをこなし、時代劇スターとしての地位を確立。

いずれも、商業主義的に量産された映画への出演でしたが、持って生まれた華やかさに加え、演技に対する感の鋭さ、研究熱心さから、どんな役でも周囲の期待以上に演じきられたのでした。

ちなみに、萬屋さんの映画スターとしての資質を見いだした「東映」のプロデューサー・岡田茂さんは、

あれだけ短期間でスターダムにのし上がったのは、私の知る限りでは、錦之介と石原裕次郎だけです

と、語っておられました。

「宮本武蔵」

また、萬屋さんは、1961年、映画「宮本武蔵」で、主人公の武蔵役を演じられると、これまた人気を博し、映画はシリーズ化。

1962年「般若坂の決闘」
1963年「二刀流開眼」
1964年「一乗寺の決闘」
1965年「巌流島の決闘」


「巌流島の決闘」より。

と、年1作のペースで出演されたのでした。

(ちなみに、錦之介さんは、このシリーズで男の凄まじい生き方を熱演。特に、「巌流島の決闘」での鬼気迫る演技や圧倒的な存在感は、時代を超えて、今もなおファンを魅了しています。)


宮本武蔵 巌流島の決斗

俳優労働組合の代表に~東映を退社

ただ、毎晩徹夜が続き、たった5日間で映画一本を撮るなど殺人的なスケジュールに、さすがの萬屋さんも、

俺、死んじゃうよ

とプロデューサーの岡田さんに訴えたこともあったそうで、

1965年には、「東映俳優労働組合」の代表となり、

・俳優の立場を守る
・映画づくりの姿勢をただす
・契約制度の安定をはかる

の3点を「東映」に申し入れるも、「東映」はこれを拒否。

そして、これらの活動により、萬屋さんと「東映」に軋轢(あつれき)が生じ、翌年の1966年、萬屋さんは「東映」を退社されたのでした。

テレビ業界に転身~「柳生一族の陰謀」が大ヒット

ただ、映画界が衰退してきたこともあり、萬屋さんは、他の映画会社に移籍するのではなく、1966年「暗闇の丑松」でテレビドラマデビューし、テレビ業界へ転向すると、以降、

1966年「真田幸村」
1968年「江戸一番の大泥棒」
1969年「魔像十七の首」
1971年「大忠臣蔵」


「真田幸村」より。

1972年「さすらいの狼」
1973年~1976年「子連れ狼」
1974年~1977年「破れ傘刀舟悪人狩り」
1975年「長崎犯科帳」


「子連れ狼」より。

1977年「破れ奉行」
1978年~1979年「破れ新九郎」
1980年「鬼平犯科帳」
1981年「宿命剣 鬼走り」


「鬼平犯科帳」より。

など、次々と時代劇に出演し、テレビ界でも変わらぬ人気を博します。

そして、1978年には、12年ぶりに、「東映」の映画「柳生一族の陰謀」で主人公・柳生但馬守宗矩役を演じられると、公開と同時に観客が殺到し、興行収入30億円の大ヒットを記録。

翌年1979年に行われた「第2回日本アカデミー賞」では、優秀主演男優賞を受賞されたのでした。

深作欣二監督と軋轢が生じていた

ところで、この「柳生一族の陰謀」「東映」が時代劇復興を目指して、12年ぶりに製作したもので、

クランクインの日には、

錦之介さんが入ります

と、全スタッフと出演者が「東映京都撮影所」に帰って来た時代劇スターの萬屋さんのために拍手で花道を出迎え、「東映京都撮影所」は特別な緊張感と格別な高揚感に包まれたそうです。

ただ、「東映」は、従来の時代劇ではなく、「新しい時代劇を作る」という狙いから、監督に「仁義なき戦い」深作欣二さんを起用しており(「時代劇版・仁義なき戦い」を目指していたそうです)、

脚本を読んだ時点では、萬屋さんも、

これはおもしろい

と、出演を快諾していたため、深作さん流の斬新な演出にも抵抗はなかったと思われたのですが、

共演者の西郷輝彦さんによると、

萬屋さんが1人で廊下を歩くだけのシーン。これを深作さんは7回もリテイクさせた。最後には萬屋さんが「これ以上、どうしろっていうんだ!」と怒って帰ってしまった。

と、萬屋さんと深作さんの間で軋轢が生じていたというのです。

というのも、深作監督は、別名を「深夜作業組」と呼ばれるほど、テストやリハーサルが長いことで有名で、それは、時代劇の重鎮・萬屋さんといえど例外ではなく、

西郷さんは、やがて、

サクさんは萬屋さんの芝居に対して「もっとリアルにできないのか!」と怒っているみたいだ

と、「東映」の俳優会館に集まる役者たちが噂しているのを聞くようになったのだそうです。

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歌舞伎調の台詞回しで大ヒット

それでも、ラストシーンで、柳生但馬守宗矩扮する萬屋さんが、

夢でござる。夢だ、夢だ、これは夢でござある!

と、取り乱して絶叫する様は、歌舞伎役者ならではの台詞回しで、異様な迫力を生んだそうで、

やっぱり萬屋さんはあれでいい。周りがリアルな演技だから、大画面に生きるのは萬屋さんのセリフ回し。同時に、この映画は当たると確信しました。

と、西郷さんは、試写で萬屋さんの演技を見て身震いしたそうです。

「萬屋錦之介と美空ひばりは初対面では印象最悪も交際していた!」に続く

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