植木等さんの付き人をしつつ、1964年、「シャボン玉ホリデー」でデビューすると、その後は、「クレージーキャッツ」の舞台や植木さんの主演映画に出演するようになっていった、小松政夫(こまつ まさお)さんですが、ある時、突然、植木さんからクビを宣告されてしまいます。
「小松政夫の若い頃は淀川長治のモノマネで人気を博していた!」からの続き
植木等にあちこちで売り込んでもらっていた
「ハナ肇とクレージーキャッツ」の舞台に出演し、映画評論家の淀川長治さんのモノマネで、一躍人気を博した小松さんですが、
実は、師匠である植木等さんは、ことあるごとに、番組スタッフに小松さんを売り込んでおり、植木さんの有名なギャグ「お呼びでない」も、生みの親は小松さんだと、植木さんは周囲に宣伝されていたそうで、
小松さんによると、植木さんは、小松さんから(勘違いをして、出番ではないのに)「出番です」と言われ、場違いなシーンに登場してしまい、その時、とっさにひねりだしたと言っていたそうですが、
聡明(そうめい)なおやじさんが出をとちるはずがない。私を売り出すために考えてくれた作り話でした。
と、明かされています。
(実際、植木さんは、小松さんが付き人になる前の1961年、この「お呼びでない」のギャグで、爆発的な人気を博しています)
大スターの鶴田浩二にも植木等のお陰で声をかけてもらう
また、小松さんは、フジテレビの廊下で、当時、大スターだった、鶴田浩二さんとすれ違ったことがあったそうですが、その時、
おはようございます
と、あいさつすると、鶴田さんは、わざわざ、小松さんの前で立ち止まり、
君は小松政夫君だね
と、声をかけてくれたそうで、
小松さんが、初対面にもかかわらず、声をかけられ、びっくりしていると、
鶴田さんは、
この前、植木さんと仕事をしたけど、君の話を30分もしていたんだよ
と、言われたのだそうです。
そのほかにも、
植木さんに聞いてるよ。頑張れ。
と、雲の上のような芸能界の人たちから、よく声をかけてもらったそうで、
小松さんをなんとかしてやろうと、陰で尽力してくれている植木さんに、小松さんは、一生ついていこうと思われたのだそうです。
植木等からクビを宣告され号泣
こうして、小松さんは、デビューしながらも、4年近く植木さんの付き人を務めていたのですが、
ある日、突然、植木さんから、車の中で、
お前、明日からもう俺のところには来なくていいからな
と、言われたそうです。
これには、小松さんは、驚くとともに、クビになったかと慌てたそうですが、
実は、そうではなく、植木さんは、(小松さんを正式にタレントとして一本立ちさせるために)事務所の社長に話を持ちかけ、これに対して社長も喜んで賛成したことから、小松さんのマネージャーもお給料もすべて決めてきたと、言われたそうで、
これを聞いた小松さんは、涙がポロポロとこぼれて、運転ができなくなってしまい、路肩に車を停めて大泣き。
そして、しばらくして、植木さんから、
別に急いでないけど、そろそろ行くか
と、優しくなだめられたのだそうです。
(小松さんいわく、「目にワイパーが欲しいぐらい」泣いたそうです(笑))
植木等から独立祝いにスーツを仕立ててもらう
そして、植木さんの家に帰ると、植木さんは、小松さんのスーツを作るため、仕立て屋を呼んでくれていたそうで、
小松さんは、縫い合わせる前に裏地に名前を刺繍(ししゅう)する際、芸名の「小松政夫」を入れるか、本名の「松崎雅臣」を入れるかで迷ったそうですが、
珍しく植木さんがムッとした顔をして、
なぜ松崎と入れるんだ?
と、言われたそうで、
小松さんが、
おこがましいと思って
と、答えられると、
おこがましいもクソもあるか。お前は小松政夫じゃないか、俺は小松政夫に作ってやったんだ。
と、その時、小松さんは、初めて植木さんの不愉快そうな顔を見たのだそうです。
「小松政夫はギャグで人気が出た後も植木等との師弟関係を続けていた!」に続く